第23話 前世社畜はヒロインを排除したい
「研究院では、寮に入っているんです。同室の先輩が水属性の研究をしていて、夜中まで属性の掛け合わせの話をしてしまって、寮母さんに叱られたりして。あっ、ご、ごめんなさい、こんな話」
「いいのよ。続けてちょうだい」
「それで、その先輩と一緒に考えたんです。浄化と水を合わせたら、井戸の水質も変えられるんじゃないかって。教授に話したら、面白いからやってみなさいって言ってくれました」
叱られた話と研究の話が、楽しそうな声で語られる。
友人ができて、師に恵まれて、夜更かしを叱ってくれる大人までいる。
ゲームの学園で用意されていた「居場所」より、よほど上等じゃないの。
「ヴェーバー教授は、私の聖属性を百年に一度の素質だってほめてくれました。治癒だけじゃなく、浄化の応用で、水や土を治せるかもしれないって言ってくれて。その研究が進めば、飢饉に苦しむ土地を救えるかもしれないんです」
ミリアの話を聞いて、私は驚いた。
これは、ゲームでは一度も語られなかった話だ。
もしもミリアがゲームの通りに恋愛の花園に閉じこめられていたら、誰も知らないままだった可能性が、今、目の前で芽吹いている。
「素晴らしいですわ、ミリアさん」
お世辞ではなく、本心からそう言った。
断罪回避のための一手が、こんな実をつけるなんて、嬉しい誤算にもほどがある。
「あの、それでですね」
ミリアがもじもじと指を組んだ。
来た。この間の取り方は、相談事の前触れだ。
「研究院で、一つ問題が起きていまして……。浄化魔法の大規模実験には特殊な魔導炉が必要なんですけど、あの、実は予算が足りなくて、ですね。もし、ユリアーナ様にお力添えいただけたらと、思って頼みにきました」
手紙で知らせてくれれば、翌日には返事をしたというのに。
その一日すら待てずに、学園までやってきたらしい。
ゲームのヒロインも、思い立ったら即行動の子だったわね。それでよくトラブルに巻きこまれていた。
猪突猛進は、シナリオが消えても健在らしい。
「では、具体的な金額と、必要な設備の一覧を出してくださいな。来週までに、公爵家の予算から出せるか検討しますわ」
反射的に答えていた。
社畜の条件反射だ。困っている相手には、まず見積もりを取る。
ミリアは目を見開いて、それから、花がほころぶように笑った。
「ありがとうございます! あの、ユリアーナ様は、噂通りの方ですね」
「噂?」
「困り事を持っていくと、次の週には解決策を考えてくれるって研究院でも評判なんです。尊敬します。私も、ユリアーナ様みたいに、自分の力の使い道を自分で決められる人になりたいです」
尊敬。悪役令嬢が、ヒロインに。
ゲームの断罪シーンで浴びるはずだった言葉と、ちょうど正反対だ。
不思議な感慨とともに、まっすぐなミリアの視線を受ける。
これは……もしかして、私への断罪ルートが消えたということかしら。
そうだったら嬉しいのだけれど。
いえ、まだ油断できないわね。
ユリアーナが断罪される時まで、気を緩めてはいけない。
「ならば、まずはその一覧からね。書類の書き方に迷ったら、遠慮なく手紙をちょうだい」
「はいっ!」
元気な返事を残して、ミリアは来た時と同じ速さで帰っていった。
廊下を駆ける足音に、遠くで誰かの注意が飛んでいる。
扉が閉まってから、私はしばらく、彼女の座っていた椅子を眺めていた。
断罪の条件は三つ。ヒロインへの嫌がらせ、権力の濫用、悪評の捏造。
一つ目に至っては、嫌がらせどころか、本人から尊敬されてしまった。嫌がらせをした加害者と、された被害者。
その配役で成立していた断罪イベントは、もう配役の段階から崩壊している。
シナリオ壊しの手応えとしては、満点だ。満点なのだけれど。
カップの底に残ったお茶が、ゆっくり冷めていく。彼女の語った「飢饉に苦しむ土地を救えるかもしれない」という言葉が、妙に耳に残っていた。
あの子の研究は、もう私の断罪回避の道具ではない。あの子自身の、道だ。
ならば、投資家として最後まで面倒を見るのが筋というものでしょう。
私は椅子に座り直し、白紙を一枚引き寄せた。
とはいえ、実際に寄付をするなら、その金額に見合うだけの根拠がいる。
私のポケットマネーで解決してもいいのだが、それをしてしまうと、売名のためにミリアを利用していると誤解されるかもしれない。
断罪ルートが確実に消えたのではない以上、少しでも弱みに繋がる可能性のある行動は避けるべきだ。
きちんと調査して、なぜ投資したのかをしっかり書類に残しておいたほうがいい。
そう考えた私は、学園が終わった後、時間を作って研究院へ行くことにした。
名目は、寄付の実地確認だ。
わが公爵家の有能執事クラウスが、半日で取り付けてくれた、正式な訪問である。
彼の手にかかると、王立機関への訪問状も茶会の招待状も、届く速さが変わらないように思うのは気のせいだろうか。
前世社畜も、あの有能さをぜひ見習いたいところだ。
馬車から見る街並みが、少しずつ変わっていく。
学園周辺の華やかな石畳が途切れ、倉庫と工房の並ぶ区画を抜けると、王都の北の外れに、飾り気のない石造りの建物群が見えてきた。
王立魔導研究院。
門をくぐった途端、薬草を煮た匂いと、なにか分からない鉄のような残り香が鼻を掠める。
匂いからして、普通ではない。もしかしてここは、マッドサイエンティストの巣窟なのではないだろうか。
「ようこそお越しくださいました、ユリアーナ様。ここで聖属性研究を預かっております、ヴェーバーと申します」
ミリアと一緒に私を出迎えたのは、白いものの交じった髭の老教授だった。




