第22話 聖女襲来
そんな日々を過ごしていた週の半ば、空き教室での編集会議に、フリーデリケが息を弾ませて駆け込んできた。
「皆様、聞いてくださいまし! 面白い話を拾いましたの!」
「フリーデリケさん、扉。扉を閉めてからお話をなさい」
マルガレーテが扇の先で扉を示し、エリーゼが手帳を開いて待ち構える。
この流れも、すっかり板についた。
「研究院に、ものすごく元気な特待生がいるらしいんですの。平民出身の女の子で、廊下を走っては叱られて、でも先生方には可愛がられていて。近頃は畑の土を治す研究をしているとか」
「畑の土を、治す?」
エリーゼが首を傾げ、私は口元まで運んだカップを、静かに受け皿へ戻した。
特待生。平民の女の子。畑の土。
誰のことかは、名前を聞くまでもない。
元気にやっているようで何よりだ、と思う一方で、研究の内容が噂になって学園まで届く速さに、少しだけ緊張する。
良い噂も悪い噂も、情報は伝わる。そして、いつか必ず、誰かの耳に着く。
この学園にも。
ならばその第一報は、私のこの手でやりとげたい。
それは、結果的に良くなったとはいえ、断罪から逃れるために彼女を研究院へ送った、私の責務だと思うから。
「その話、次号の参考になるかもしれないわ。フリーデリケさん、続報をお願いね」
「お任せくださいまし!」
けれども、この時の私は、続報が記事より先に、本人の足で届くとは思ってもいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日も、定例会議を終えた生徒会室で書類を整理していた。
ノックの音がしたのは、窓の光が傾き始めた頃だった。
「失礼します。ユリアーナ様……でいらっしゃいますか」
聞きなれない声に誰だろうと思いつつも、入室を許可する。
扉の向こうに立っていたのは、亜麻色の髪に琥珀色の瞳の少女だった。質素だが清潔な服装。胸元には、王立魔導研究院の徽章が光っている。
この顔を知っている。
ミリア・レーヴェン。
ヒロインが、目の前にいた。
心臓が跳ねた。なぜここに。研究院にいるはずでは。
いや、落ち着け。研究院と学園は同じ王都の中だ。来ようと思えば、来られる距離である。
ゆっくり息を吸って、部屋の中を素早く見渡す。
攻略対象は、今この部屋に一人もいない。五人の放課後は今日も公務で埋まっている。イベントの発生条件は、満たしていない。
分かってはいても、確認しないではいられなかった。
「ええ。私がユリアーナ・ヴァイスフェルトです。あなたのお名前は?」
「ミリア・レーヴェンです。研究院のものです」
「お噂は伺っていますわ。特待生の方ですわよね。どうぞ、お入りになって」
平静を装って招き入れる。
声は震えなかった。前世でクレーム対応と徹夜のプレゼンで鍛えた声帯ではないけれど、代わりに厳しい王太子妃教育に耐えてきた精神力は伊達ではない。
ミリアはおずおずと入室し、部屋の中を物珍しそうに見回した。
書類の山、掲示板の週報の綴り、五人分の席。
それから、慌てたように姿勢を正す。
「あ、あの、忙しいのにごめんなさい」
「構いませんわ。ちょうど区切りのいいところでしたの。お掛けになって。お茶を淹れましょう」
「そんな、公爵令嬢様にお茶なんて」
「ここでは、手が空いている者が淹れる決まりですのよ」
そういう決まりを今作った。
マクシミリアンには事後承諾となるが、まあ、問題はないだろう。
ミリアは恐縮しながらも椅子に浅く腰掛け、湯気の立つカップを両手で包み込むように受け取った。
「それで、今日はどうなさいましたの?」
問いかけると、ミリアは緊張した面持ちで、それでもまっすぐに私を見た。
「お礼を言いたくて来ました」
「お礼?」
「聖属性特別研究枠を作ってくれたのは、ユリアーナ様だって聞きました。ヴェーバー教授が、公爵家のご令嬢がこんな素晴らしい提案をしてくれたって言ってました」
情報が漏れていた。
いや、提案は公文書に残っているのだから、別に隠していたわけではない。
ただ、本人の口から礼を言われる展開は、私の計画書のどこにも書いていなかった。
というか、普通はこんな風に直接押しかけてこない。
並外れた行動力を持つ乙女ゲーム主人公だから仕方ないのかしら。
「特別なことではありません。国の人材を正しく育てるのは、貴族の務めですもの」
「いいえ」
ミリアは首を横に振った。琥珀色の目に、ゲームのスチルでは見たことのない光が宿っている。
「正直に言います。私、学園に入るのが怖かったんです。だって平民の私が、貴族の人の中で学ぶなんて、不安で仕方なくて。でも研究院のお話をもらって、そこは平民も働いてるって聞いて、それなら、って思って。――今、毎日が楽しいんです。聖属性の研究が、こんなに奥深いものだったなんて、知りませんでした」
頬を紅潮させて研究を語る顔は、恋する少女のそれとは違う。
いや、ある意味では恋なのかもしれない。相手が人間ではなく、知識というだけで。




