第21話 なぜご存じなの
週明けの生徒会室。私の席には、差し戻された週報の草稿が置かれていた。
余白の赤入れは、いつも通りの几帳面な字だ。段落の入れ替えが二箇所、語尾の直しが一箇所。そして紙の隅に、記事とは関係のない二行が添えられていた。
『次の定例で、教育案の予算配分について、君の考えを聞かせてほしい』
『急ぎではない。夜更かしはしないように』
なぜ、夜更かしのことをご存じなのかしら。
目の下の影は、今朝もソフィアの白粉で完璧に消してある。昨夜遅くまで次号の構成を練っていたことは、この部屋の誰にも話していない。
草稿を必要以上に長く眺めてしまってから、私は文箱の一番上にそれをしまった。
返事を書くのに要るから上に置いただけよ。他意はないわ。
入学から三ヶ月と少し。放課後の生徒会室は、すっかり改革プロジェクトの作戦本部になっていた。
窓際の長机には五人分の書類の山。
掲示板の『改革プロジェクト通信』は先週で第十号。
マルガレーテたちの情報網のおかげで、発行日の昼には学園の隅々まで知られるようになった。
順調、と胸を張っていい進み方だと思う。
「ユリアーナ嬢。この統計だが、あなたの見解をお聞きしたい」
銀髪をかき上げながら、リヒャルトが紙の束をテーブルに滑らせてくる。外交提言書の下調べで、隣国との交易量を十年分並べた表だ。
「三年前だけ、穀物の輸入が跳ねていますわね。凶作の年かしら」
「私もそう思ったのだが、調べて見ると降水量は例年通りだった。だとすればこれほど輸入が増えるはずはないのでは」
「収穫量に問題がないとなると、他になにが……。ああ、では、当時の諸外国での収穫量と市場の取引価格を突き合わせてみてはどうでしょうか。外国産の安い穀物が入ってきて市場価格が混乱した可能性もありますわ」
「なるほど。その後輸入が落ち着いたのは……そういえば、この翌年に輸入作物への関税が上がったのではないだろうか。だとすれば、これは……」
そう言ってリヒャルトが深く思考に沈むのを見守る。
自分で辿り着いた答えには達成感がある。やりがいがあれば、自主的に問題に取り組むものだ。
それにリヒャルトとの数字の読み合いは、正直に言って楽しい。
前世でも、彼のような同僚と組めた案件は必ず当たった。
跳ねた穀物の値の理由は、結局資料が足りずその日のうちに正解は出なかった。次回までの宿題としておく。
「ユリアーナ様! 新しい訓練表、第三小隊で試しました! 走り込みの後に模擬戦を入れる順番、大当たりです!」
扉が開く音より先に声が届くのは、今日も健在だ。バルトロウは日報の紙を高く掲げ、大股の三歩で長机まで来る。
「怪我人は?」
「ゼロです! 休みを増やしたのに記録が伸びるのが、まだ半分信じられませんが!」
「疲れた体で百回剣を振るより、準備運動をしてから五十回振る方が身になりますのよ」
日報の字は、今日も元気に跳ねている。でも項目の抜けは初週から一度もない。見た目より、ずっと丁寧な仕事をする人なのだ。
「ユリアーナ様。面白い論文を見つけたのですが……。よければ、お茶でも飲みながら」
ユリウスは眼鏡の縁を押し上げ、分厚いノートを胸に抱えている。
断る理由もないので付き合うと、お茶が冷めるまで魔力伝導率の話が続いた。
三口目のお茶で、私はようやく口を挟む。
「その理論、廊下の魔導ランプに使えませんの? 学園の改修案に足せそうだわ」
「! 使えます。使えますとも。ああ、なぜ気づかなかったんだろう」
彼はノートに猛然と書き込みを始めた。
なにか思いついたら他のことができなくなるので、彼のお茶は、いつも半分以上残ってしまう。
それを不調法だと思うものは多いのかもしれないが、ここ生徒会室では不問とされる。
だからこそ、普段は研究室に引きこもりがちなユリウスも、ここへ足を運ぶのだろう。
「あのぅ、ユリアーナ様。平民の子ども向けの教材の、二冊目ができました。……見ていただけますか」
最後に、セバスティアンが簡単に綴じた本を差し出してきた。文字が大きく、挿絵の代わりに市場の値札の写しが貼ってある。
「値札で数を教えるの?」
「はい。子どもは、パンの値段なら間違えませんから」
現場を知っている人間の教材だ。表紙を指先で撫でて、私は次号の一面に決めた。
そして、マクシミリアン。
定例の後、他の四人が引き上げても、発行人と編集の打ち合わせだけが残ることが増えた。
教育案の予算配分、週報の方針、宰相府への根回しの順番。議題は毎回、真面目なものばかりだ。
ただ、いつからか、私のお茶は頼む前に二つ目のカップで支度されている。
「君は甘いお茶は好きではないのだな」
「よくご存じですこと」
「毎週見ていれば覚える」
例の予算配分についても、その席で考えを述べた。
教育に厚く、式典の飾りは薄く。
マクシミリアンは指先で紙面を二度なぞってから、短く頷いた。
「私の案より、君の案の方が三年後まで活用できそうだ。こちらで通そう」
「殿下のご意見も伺ってからと思っておりましたのに」
「君の案のほうが良い、というのが、私の意見だ」
言い方に一切の飾り気がないものだから、返す言葉に困る。
私はお茶を一口飲んで、次の議題の紙を引き寄せた。
「それと、ユリアーナ」
「はい」
「近頃、目の下に影がある。白粉で隠しても、光の加減では見える」
カップを持つ手が、一瞬止まった。
夜更かしの出所は、調査でも密偵でもなく、ただの観察だったらしい。
「この仕事が楽しくて……。ですが、これからは少し気をつけますわね」
「無理をしすぎないように」
「ご心配をおかけしました」
彼は私の顔を見てから一つ頷き、視線を書類に戻す。
それきり、会話は続かなかった。
続かなかったのに、カップの中のお茶がやけに甘く感じられて、私は砂糖を入れ間違えたのかと本気で疑った。
入れていない。いつも通り、入れていないのだ。
味覚というのは、その場その場で変わるものだろうか。
そういうもの、ということに、しておく。
これは深く追求してはいけない問題だ。




