第20話 観察者の杞憂2(マクシミリアン視点)
報告書が届いたのは、それから十日後の夜だった。
人払いをして、燭台を一本だけ机に引き寄せる。封を切ると、几帳面に綴じられた紙の束が出てきた。
調べさせたのは公爵家周辺の聞き込みと、この半年の彼女の行動だ。
一枚目。
令嬢は冬の終わり、数日間、熱を出して臥せった。快復の後、人が変わったように東棟の書庫へ通い始めた。
二枚目。
書庫には三ヶ月近く通い詰めた。扱った書物は法制、税制、外交記録、農政。娯楽の類は一冊もなし。
三枚目からは、使用人たちの評判が続いた。
侍女は「お嬢様が朝食を残さなくなった」と目を潤ませた。老執事は多くを語らぬが、令嬢の話題になると目元が緩む、と調査の者が書き添えている。
伯爵家以下の令嬢三人を茶会に招き、以後、四人での会合が頻繁にある。内容は不明。
ただし三人の家の者は、いずれも「娘が近頃生き生きしている」と。
出入りの商人らの評判は良好。支払いは早く、値切らず、ただし納品物の検分は極めて厳しい。
夜半過ぎまで、自室の窓に灯りが見える日が多い。
紙をめくる音だけが、部屋に響いた。
どこまで読んでも、出てくるのは潔白な事実ばかりだった。後ろ暗い金の流れも、怪しい人物との接触も、何一つない。
あるのはただ、十五の令嬢が書庫にこもり、資料を作り、人を集め、遅くまで学んでいるらしき記録だけだ。
まるで何かに追われているかのようだと思った。
だが、一体、何に?
彼女の身に、問題は何も起きていない。
私との婚約は揺らいでいないし、公爵家は安泰だ。
それなのに、この行動の密度は、期限を切られた人間のようではないだろうか。
政務に関わって三年、締め切りに追われた文官の書類を山ほど見てきた。彼女の提案書は、まさにあれだ。美しく整っているのに、行間だけが急いでいる。
燭台の蝋が、じりと小さく鳴った。
仮説を立ててみる。
一つ。婚約の解消を恐れている。
違うだろう。恐れているなら、私に媚びる方が早い。彼女は媚びるどころか、私に仕事を割り振ってくる。
一つ。公爵家の政敵を警戒している。
報告書に係争の記録はない。それに家の争いなら、父公爵が動く。娘が一人で書庫にこもる理由にならない。
一つ。野心。王妃の座より先を見ている。
これも捨てた。野心家は成果を誇示する。彼女は五つの改革案の手柄を、丸ごと私の名義に載せてきた。
どの仮説も、彼女の行動を説明できない。まるで、この世の誰も知らない期限を、彼女一人が知っているかのようだ。
……我ながら、馬鹿げた結論だな。
最後のページには、雑多な聞き込みがまとめて記されていた。
公爵領の穀物取引に不審な動きなし。
家門間の係争なし。
なお、レーゲンブルク侯爵家の使いと思しき者が、公爵家の動向を尋ね回っているとの由。
最後の一行で、目が一度だけ止まった。
レーゲンブルク侯爵。神殿と治癒魔導士ギルドの後ろ盾で知られる、議会の重鎮だ。
もっとも、躍進中の公爵家を探る家など、今は十や二十では利くまい。物見高いのは、どこの家も同じことだ。
私は紙をめくり戻し、報告書をもう一度だけ、最初から読み直した。
結論は変わらなかった。
彼女は潔白だ。そして、何かに怯えながら、誰にも頼らず、一人で走り続けている。
調べれば分かると思っていた。だが調べるほどに、分からないことが増えていく。
彼女が何を恐れ、何と戦っているのか。
この報告書は、そこにだけ一行も割けていない。
燭台の火が、小さく揺れた。
ならば、調べるという行為そのものが、もう間違っている。
私は立ち上がり、暖炉の前に膝をついた。火掻き棒で熾を起こし、報告書を一枚ずつ、火にくべていく。
紙の焦げる匂いが、ゆっくりと部屋に満ちた。指先に熱が触れる寸前で手を離すたび、彼女の半年分の記録が、縁から橙色に染まって崩れていった。
コンラートの言葉を思い出す。
調べたという事実だけが残る、か。
違うな。残すものは、こちらで選べる。
この灰は今夜のうちに掻き出させるし、調査の者への口止めは済んでいる。
残るのは、私の頭の中の結論だけでいい。
これは杞憂だ。そうであってくれ、とも思う。
だが、万一そうでないのなら――彼女が本当に何かと戦っているのなら、盗み見た紙の束など、何の役にも立たない。
知りたければ、調べるのではない。本人に信頼される他ない。
最後の一枚が燃え尽きるのを見届けて、机に戻った。
四つ目の山から週報の次号草稿を引き抜き、赤を入れた余白の隅に、一文を書き足す。
『次の定例で、教育案の予算配分について、君の考えを聞かせてほしい』
書いてから、少し迷って、もう一文を足した。
『急ぎではない。夜更かしはしないように』
なぜ夜更かしをしているのを知っているのかと根拠を問われたら、どう答えたものかな。
インクが乾くのを待って、私は草稿を封筒に収めた。




