フェルディナ王国
「きもちいーーっ!!」
カコカコと蹄の音が響く馬車の中。私はカーテンの隙間から、外を眺めていた。窓からは塩の匂いが混じったぬるくて強い風が入ってくる。窓の外には、真っ青な海が広がっているのが見えて、私は思わず声を上げた。
「海って広くて大きくて気持ちいいわね!!」
「はしゃぐようなものじゃないでしょう。初めて見たわけでもあるまいし」
「何度見たって感動するわよ。綺麗だもの」
隣に、相変わらず皮肉たっぷりの表情で足を組んだウィスターが座っている。
あれから…私がウィスターへの気持ちを押し殺すと決めた日からは目まぐるしかった。この遠征外交が決まっていた私は、この公務への準備を熱心に行なった。失恋した直後の気持ちを紛らわせるのに、忙しいのはちょうどよかった。
初めての遠征先は、アレキサンド王国の隣、フェルディナ王国。アレキサンドが豊かな自然の国なら、フェルディナは海と魚の町だ。国土は狭くアレキサンドより小さいが、ほとんど島のように大陸から飛び出しており、主に魚介類の輸出・観光業を行なっている。アレキサンド王都から、一日かけて馬車でやってきた。
ウィスターも外の景色を見て微笑んだ。
「小国ではありますが、観光産業が豊かなだけあって景色は綺麗ですね」
「本当、いいところね!開放的な気分で市場も盛り上がるといいわね」
「そうですね。海が気持ちよくて開放的な気分になると散財されるような殿下のような方がたくさん来ていただけると」
「…馬鹿にしてる?」
「とんでもない」
ジロリと睨みつけても、ウィスターはニッコリ笑って見せた。
今回の公務のミッションは、【アレキサンドとフェルディナの共同開催市場の視察】という話らしい。要は、アレキサンドの名産の宝石などの鉱物と、フェルディナの名産の魚や海老などを売り出す共同の市場を作って一緒に観光客に買ってもらおう!ということのようだ。今回が初開催のため、その市場に人を呼ぶ目玉として、アレキサンド王国第一王女の私も参加することになった。
フェルディナからも王太子が参加する予定のため、今私たちはフェルディナの城へ馬車で向かっている。
「もー、そもそもウィスターはやっぱり別の馬車でくればよかったじゃない」
「言ったでしょう、護衛ですよ。国内はいいですが、国外は何があるか分かりませんから。念には念です」
むぅ、と唇を尖らせた。
その危ない国外に私が嫁ぐと言っても「当然です」みたいなことを言ってたくせに。
何で今更心配してるフリなんて。
ウィスターも今回は公爵として参加することになっているので、賓客として別々の馬車で行くのは不自然じゃない、むしろ自然だ。ただ馬車や護衛の配列を考えたのがウィスターらしく、私が知った時はすでにこうなっていた。
「フェルディナの国境には深い森がありますからね。護衛も完璧にできるわけではありませんので、一人は同乗するのが望ましいです」
「もう、そんなこと言って、本当は私とおんなじ馬車に乗りたかったんでしょ?照れ屋さんなんだからぁ」
「ほう、言うようになりましたね」
ウィスターを諦める。
その選択肢が私の中に出て来たことで、私のウィスターに対する態度も随分と変わったような気がする。昔だったらこんなこと絶対に言えなかった。否定されるのが怖かったから。
「殿下が私と一緒の方がいいかなと思って気を遣ったんですよ。殿下のお話相手兼護衛として私が適任とは思いませんか?」
ドクン、と胸が早打つ。
諦めようとして無理やり縫った心に、そのセリフはあまりにも鋭かった。素直に肯定をするのも、無理矢理否定するのも痛い。
「……まぁ、護衛対象が同じ馬車だと兵が楽というのもありますが」
「気を遣ってないじゃない!」
何も言えずにいると、くつくつと笑いながらウィスターが付け足した。
ほらみろ、やっぱりこの男は期待させた後に落とす天才だ。危ない危ない、変なことを言うところだった。
膨れて崩れかけた姿勢を正し、座り直す。そろそろお尻が痛くなってきた。なんせ今朝夜明け頃に出発して、休憩を入れながらとはいえ時刻はもう夕方になろうとしている。
「もう間も無く着きます。カーテンは閉めておきますね」
私の様子に、ウィスターが身を屈めて、私の前を横切ってカーテンを閉めた。不意に近づかれたので、慌てて顔を背ける。
というか、失恋してようやく立ち直りかけたところに、またこんな密室で二人きりだなんて。ある種の拷問に近い。
「行きは急ぎの行程だったので、申し訳ありません。帰りはゆっくり楽しみながら帰ることにしましょう」
「…そうね。せっかくの遠征なのに、貴方の顔しか見るものがなくて退屈だわ」
「ははは、それはこちらも同じですよ」
精一杯の皮肉も、ウィスターには全く刺さらない。
我ながら負けず嫌いだ。
それからしばらく、ようやく馬車が止まった。
外で御者や護衛たちが誰かと話している声がする。やがて、執事が馬車の扉をノックした。
「では、殿下。出番です」
低くウィスターが呟いた。私も小さく頷く。外交はファーストコンタクトが命である。笑顔と、優雅さ。疲れなど見せず、立ち振る舞わなければならない。
髪の毛を撫で付けて、深呼吸をした。
執事が馬車の扉を開けた。一気に明るい夕日が差し込んでくる。
まずは扉側のウィスターが馬車から降りる。そして、振り返って私に右手を差し出した。
彼にエスコートされて、できる限りゆっくりと馬車を降りる。一瞬だけ、ウィスターがぎゅっと手を強く握った気がした。彼は安心させる時、こうして手を握る癖がある。
「お待ちしておりました。遠かったでしょう。長旅お疲れ様でした」
そうして出迎えたのは、金髪に青いシャツが爽やかな雰囲気の、少し年上の男性だった。
歳の頃からして、きっと話に聞いていたフェルディナの王太子だろう。
「イリヤ王女殿下。ようこそいらっしゃいました。こちらがフェルディナ王国王太子、れお…」
「自己紹介くらい俺がするさ。レオン・ルシード・ノルディックといいます。お会いできて光栄です」
横に立っていた執事の紹介を遮って、レオン王子が一礼をした。遮られた執事はあわあわとしている。随分とハキハキとした、男らしい印象の王太子だ。
「お出迎え感謝いたします。アレキサンド王国第一王女、イリヤ・レイ・アレキサンドと申します。この度は、どうぞよろしくお願いいたします」
ニッコリと微笑んで、ドレスの裾を持ち上げて礼を返す。
レオン王子は私を見て、少し驚いたように目を丸くした。
「……い、いやぁ、噂通りのお綺麗な姫君でいらして、見惚れてしまいました。ご足労いただいたところ申し訳ありませんが、フェルディナでは貴族というものがないもので、私含め何かとご不便をおかけするかもしれませんが、すみません」
少し緊張させてしまったかもしれない。レオン王子の表情が硬い。
これはきっと、私の挨拶が固すぎたんだわ。咄嗟にそう判断する。外交は笑顔と優雅さが大切。舐められてはいけない。けれど、それより大切なのはー、雰囲気だ。
「お気になさらないでください。私、海を見ることがあまりないのでとても楽しみにしておりました。お時間があれば、ぜひ海のこと、教えていただきたいです」
私の言葉に、レオン王子の顔がパッと明るくなった。
「良いのですか!フェルディナの海は美しいですが、この城から見える景色はまた格別です!それでは早速ご案内しましょうーーーー」
「王太子」
横の執事が嗜めるように声をかけて、咳払いをした。
「…失礼しました。今ではなかったですね。いやぁ、本当に不慣れで申し訳ない」
頭をかいて照れたように笑うレオン王子に、ふふふと笑みが溢れた。
「レオン王太子、こちらはアレキサンド王国のウィスター・アズライト公爵です」
「ウィスター・アズライトと申します。この度はお招き感謝申し上げます」
「そちらが公爵殿でありましたか!お会いできて嬉しいです。よろしくお願いいたします」
ウィスターとレオン王子が笑顔で握手を交わした。
ウィスターの挨拶は普段から貴族社会で洗練された、お堅いものだった。レオン王子は大丈夫かしら、と思ったが、私の対応ですっかり緊張が解けてしまったようだ。
「ウィスター公爵も、力を抜いて話してください。俺はどうも堅苦しくされるとやりにくくって」
「王太子におかれましては、恐れ多いお言葉ありがとうございます。私は一介の公爵でございますから、お言葉だけありがたく受け取らせていただきます」
「へ、そういうものなのか?」
「レオン王子、ウィスター公爵のことはお気になさらないでください。私の付き添いでございます」
「そ、そうですか…いやぁ。本当に不慣れで申し訳ない」
「いえ、ふふふ」
はははは、と豪快に笑うレオン王子に、場の空気が和む。
「さ、お泊まりになる部屋をご案内して、その後夕食にいたしましょう。荷物はうちの従者に運ばせます」
後ろに控えていた従者たちが一斉に動き出した。私とウィスターは、レオン王子の案内でフェルディナ城の方に足を進めた。




