さよなら恋心
「それで、珍しいですね。何を落ち込んでるんですか」
執事が再度持ってきたウィスターの分の紅茶と、クッキーが目の前に置かれる。ウィスターはティーカップを持って紅茶の香りを楽しんで、話題を切り出した。執事は空気を読んだのか、いつの間にか部屋から消えている。
「…昨日、父上から縁談の話があって」
「ほう、ご結婚おめでとうございます」
私としてはこれから長々と昨日のことを話そうと思っていたのだが、ウィスターの淡々とした思わぬ返しにずっこけてしまった。
「違うわよ!!!」
「え、違うんですか?てっきりマリッジブルーになられているのかと」
ウィスターは涼しい顔で紅茶に口をつけている。
少しだけ、縁談の話をしたらどんな反応が返ってくるのか、興味はあった。妬かせてみたい。貴方が女性の相手をしているときに私が悔しかったように、ウィスターにも悔しい思いをさせてみたい。そして、そのときにどんな顔をして、何て言うのか。
そんな興味は玉砕された。
ウィスターは私が結婚することも、普通に受け入れてしまうのだ。
「そうじゃなくて!!…え、えと、こないだの夜会で踊った、リューランド子爵からだったんだけれど」
「あぁ、彼ですか。別に面白い奴ではないですが、真面目な男ですね」
「父上は、あんな辺境の伯爵家になんか嫁がせないって、私は国外の男と結婚してもらうと、バッサリ言われてしまって。なんか…それがショックで」
「…殿下は彼のことがお気に召したんですね。それは残念でございました」
イマイチ話が伝わらなくて混乱する。
この男、私が失恋のショックで悩んでいると思ってる!
「えっ、私の話聞いてる!?国外に行けということよ!?」
「聞いてますよ。あの子爵が気に入っていたのに、せっかく来た縁談も断られて、国外になんて行きたくないということでしょう?殿下の今の言い方だと、辺境の伯爵家との縁談を反故にされたショックというように聞こえました」
ウィスターはきょとんとした顔で私を見て、私は焦って身を乗り出してしまう。
「違う違う。あの子爵はどうでもいいのよ」
「おかわいそうにリューランド子爵。せっかく好意を寄せたというのに殿下にそんな言われようとは」
面白がっていそうなウィスターは、おめおめと嘘泣きの仕草をした。
「貴方もさっき面白くない奴とか何とか言ってたじゃない」
「まぁそれは忘れてください。…ということは、リューランド子爵と結婚したかったわけでもないと」
「違うわよ。…国を出て嫁ぐということが、実を言うと今まで考えていなかったというか」
「考えていなかったんですか?今まで?」
「そうよ。てっきりどこかの貴族に嫁ぐと思うじゃない」
驚いた顔をしたウィスターは、ティーカップをテーブルに戻して、やれやれと言った様子でソファーの背もたれに身体を預けた。
「そんな王女いませんよ。…いやまぁ、前例がないとは言いませんが。基本的に王女というのはまだ見ぬ土地の、まだ見ぬ殿方に嫁ぐ運命であると相場は決まっていますね」
「父上は優しいから、私たちに今まで話していなかったの。だから、何なら自由に結婚させてくれるのかとか思ってたし」
「それはないでしょう。陛下は極めて冷静なお方ですよ。自分の娘が貴族に嫁ぐと権力が変に分散しますからね。そこは見極めていらっしゃる」
暗い影が落ちた。さっきまで晴れていた空に雲がかかってきている。窓から吹く風が雨の匂いを運んできて、私の心も翳る。
「………なんかウィスター冷たい」
「私にはどうしようもありませんよ。お話を聞くことはできますが」
「もしかして、ウィスターは知ってたの?」
「知ってたというか基本知識ですよこんなもの。強いて言えば、こんなことも教えてもらってない夢見がちな王女だということが今分かってショックを受けております」
ぐっ。
馬鹿にされて言葉に詰まる。父上は優しさで言わなかったのではなく、もしかして当然のことだからわざわざ言わなかったのか。そんな気もしてきて、つい駄々っ子みたいになってしまった。
「だって…私は、この国を離れたくない。家族や、ウィスターとも離れたくない」
これはかなり、本音だった。
我儘を言っている自覚はある。幼い子供みたいに。
「へぇ。王女殿下にそう言っていただけるのは光栄です」
「真面目に言ってるのに!」
「分かっておりますよ。けれど、今だけでしょう。そんな嫌々言っても変わらないことは、殿下が一番ご存じのはず」
「嫌々って…!」
「イヤイヤのイリヤ殿下とでもお呼びしましょうか」
「もう、また揶揄う!」
「ははは、これは失礼いたしました。でもこれは真実です。貴女はいずれ、国を背負って顔も知らない異国の王族と将来を誓い合うことになります。私は式場で拍手を送る立場。何もできることはありません」
顔は笑っているのに、放たれた言葉が剣のように胸を刺してくる。実際にドレスを着た私と、拍手を送るウィスターが脳裏に浮かんだ。
そう、彼はきっと、昔読んだ恋愛小説のようにそこで「ちょっとまった」と言って乱入はしてこないだろう。穏やかに、拍手をしているのだ。「お綺麗ですね」なんていつものように笑って。
やっぱりどこまでいっても、片想いだ。
縁談の話を聞いて妬くような展開を期待していた自分を殴りたい。でもウィスターらしいなと思う。ここでそんな軽い反応をするような男だったら、私はこんなに好きになっていない。国王と共に、国を背負う覚悟を持っている男だからこそ恋をしていたのだ。
だからウィスターは、きっと笑顔で私を送り出す。
…まぁ、これまでの反応で、嫉妬心なんて無さそうなことはありありと分かったけど。
私はもう、この恋を諦めることしかできない。
「………」
「ですので、それまではよき友人として、殿下が楽しく過ごせるように尽力していきますよ」
「友人?」
「はい。友人として」
充分だ。
それまでは側にいてくれると言っている。私も諦めるいいきっかけになる。そう思おう。俯いたら涙がこぼれた。
悔しい悔しい悔しい。
この男の前で、17歳にもなって悔しくて泣くとは思わなかった。我ながら子供じみて嫌になる。何も言い返せない。
ウィスターはどこまでも正論で、どこまでも理論的だ。そこに感情は入らないし、必要ない。それがどうしようもなく悔しい。私だけが、感情に支配されている。
ウィスターが立ち上がって、私の頭にポンと手を乗せた。
「……久しぶりに泣きましたね」
ウィスターは笑っていた。なんだか5歳のあの日の、屈託なく笑う彼が見えたような気がした。
私は何も言わなかったし、ウィスターも何も言わなかった。ただぽんぽんと頭を撫でる手だけで、私は自分の気持ちを押し殺すことに決めた。




