夜風のテラス
私の生まれたアレキサンド王国は、広い国土に豊かな自然が広がる、宝石を名産とする国だ。原石となる鉱物があちこちの山で採れる。それを加工する職人も多く、美しい宝石を輸出することで国民もわりと豊かな生活を送っていると聞く。
侍女に寝支度を整えてもらい、私はぐるぐるとした頭を冷やそうと自室のテラスに出た。王宮からは、すぐ近くにある王都の灯りがぽつぽつと見える。夜風が気持ちいい。半袖から伸びる腕を爽やかな風が撫でてゆく。
他の国のことはまだ詳しく知らないけれど、私はこのアレキサンド王国が好きだった。
宝石を採掘する者は屈強で、加工する職人は繊細で、それでも人々はみな温かい。街に下りれば笑顔で皆話しかけてきてくれる。彼らの生活のため、この国が侵略などされないように、私が他の国へ行って結婚する。
それは確かに大切なことに思えるけど、この先、この国以上に愛せる国が、彼以上に好きになれる男性が現れることなんてあるのだろうか。
ため息をついて、オレンジ、赤、緑と色とりどりに輝く王都の灯りを見つめてずいぶんと経った。
「お風邪をひきますよ、王女殿下」
すぐ下から声がしたので、私は驚いた。声の主を探すと、自室のテラスの下、庭園の中にウィスターが立っていた。
「夜中にそんな格好で何をしてるんですか」
王宮での執務の帰りだろうか。ジャケットを脱いで片手に持ち、シャツ一枚というラフな服装のウィスターは呆れた顔で私のことを見上げていた。
私はといえば薄手のネグリジェで、確かにこの姿を見せることはそうそうないだろう。
「…ウィスター!」
「こんばんは。王女殿下」
「どうしたの、何してるの?」
「いい加減に帰ろうかと思ったら不用心に外でぼけっとしてる王女殿下が見えたもので、散歩がてら様子を見にきました」
「ぼけっとって。私だって悩むことくらいあるわよ」
「そうでしたか。もしかしたら風邪を引いて今度の遠征外交をおサボりになるつもりなのかと思いましたよ」
「…………遠征外交?」
「おや、まだ聞いてませんでしたか。イリヤ王女殿下の初の外交公務ですよ」
「……そう」
目線をウィスターから外して、また遠くの王都を見た。これからどんどんと外国へ行く公務も増えていくのだろうか。ウィスターと過ごせる時間は、どんどんと減ってしまう。
「…王女殿下なら、外国へ行けるのを喜んでくださると思っていたのですが」
ウィスターは少し拍子抜けした顔をしている。私はつんと顔を背けて見せた。
「今その話はちょっとナイーブになってるのよ」
「何かあったんですね。王女殿下が珍しく夜風に当たって悩まれるほどに」
「もう、うるさいわね!貴方が思うよりちゃんと色々と考えてるわよ!」
思わず頬を膨らませて言い返すと、ウィスターが「ははっ」と笑った。王都の灯りと夜空の星しか灯りはなく、ほとんど見えないほど暗いはずなのに何故か明るく見える。
「何を悩まれてるのか知りませんが、私は明日以降もしばらく執務室におりますので。もしご用事がありましたらどうぞ」
「えっ、行っていいの!?」
「何を今更。いつも予告なしに私の残業を増やしにくるでしょう」
これは私が来ると仕事が終わらないという嫌味だろう。それでも、そう言ってもらえたことが嬉しくて思わず笑顔になる。自分でもなんて単純なんだろうと思う。
「だから、王女殿下はさっさとお部屋に戻ってお休みください」
恭しくウィスターが礼をして見せた。
「……分かったわ」
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
確かに風邪をひいても大変だ。部屋に戻ろうと身を翻して、名残惜しくなって、もう一度振り返って庭園を見下ろした。ウィスターはまだ立っていた。まるで、私が部屋に戻るのを見張っているようだ。そして、いつもと変わらない調子でニヤリと笑っていた。
「私との時間が名残惜しいのは分かりますが、振り返っても何も出ませんよ」
「もう!!!」
図星をつかれて、顔が赤くなるのが分かった。
急いで部屋に戻り、テラスへ通じる窓には鍵をかけた。大きく深呼吸をして、ベッドに潜り込む。
私は私の運命を知ってしまった。
けどーーー好きな人に少し出会えただけで、この気持ち。いつもこうだ。私が落ち込んだり悩んだりするたびに、私の気持ちを引っ張り上げてくれるのはいつも彼だった。
ねぇウィスター。いつもありがとう。面と向かっては絶対に言えない言葉を、呟いて私は目を閉じる。
*
翌日、私は早速ウィスターの執務室を訪れていた。
公爵であるウィスターは自邸にも執務室を持っているが、ほとんどの仕事はここ王宮内にある執務室でこなす。曰く「こっちの方が全てが早い」だそうだ。効率を求めるのはいかにも彼らしい。
早速すぎて引かれるかな…という思いはありつつも、扉の前で深呼吸をして、コンコンとノックする。
「入れ」
返事はすぐ返ってきた。
私には見せない強い声色。私はおずおずと扉を開けて、顔だけをひょっこり覗かせた。やっぱり邪魔したかもしれない。部屋の奥の大きい机に座ったウィスターが、厳しい表情で手元の書類にサインをしている。
「イリヤ王女殿下」
脇に控えていた、ウィスターの執事がにっこりと私に声をかける。
「どうぞ、お入りになってください。ウィスター様、イリヤ殿下がお見えでございます」
「…早かったな」
そう呟いたウィスターは独り言のようだった。その間、私は執事に出迎えられ、応接用のソファーに腰掛けさせられる。ウィスターはキリが悪いのか、まだ厳しい表情で書類に目を通しながら私に向けて手を挙げた。
「ちょっと、5分ほど待っててくれ」
「…出直してもよくてよ」
「いや、いい。ちょうど休憩を取ろうと思っていた」
仕事モードなのだろう。いつもの私に対する変に回りくどい敬語ではなくて、まるで部下に対するような仕草。なんだか彼の部下になれたような気持ちで悪くない。
「殿下に温かい紅茶でも持ってきてくれ」
「かしこまりました。イリヤ殿下、少々お待ちくださいませ」
「あぁ、ありがとう。ごめんなさいね」
ウィスターに命じられた執事が私に微笑んで、部屋を出ていった。
私は昨日のショックから、仕事モードのウィスターを見学したいという興味に置き換わってぐるりと執務室を見渡したり、ウィスターをじっと見たりしていた。ウィスターは難しい顔で書類に何か書いたり、判を押したりしている。いつもは揶揄ってくるウィスターの、こうした書類仕事の様子を見ることはなかなかない。
大きな椅子と、大きな机。机の上には大量の書類が積み上がっている。これを処理していくのはなかなかに大変な作業だろう。公爵として、そして国王の補佐として、その仕事内容は多岐にわたる。大きな椅子に腰掛けて、長い足は持て余したようにリラックスして大きく広げていた。
彼の右足が、時折リズムを刻むように揺れている。どうやら集中して考え事をしているようだ。シン、とした部屋にウィスターの紙をめくる音が大きく響く。私が入ってきても途切れない集中力は、目を見張るものがある。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
執事が戻ってきて、私の目の前にティーカップを置いた。ゆらゆらと揺れる赤い紅茶からは湯気が立ち上って、いい香りがする。なんて落ち着く空間なんだろう。ウィスターは圧倒的な存在感があるのに、時には恐れるほどの威圧感もあるのに、この部屋では他者のことなんて何も気にせず自分に集中しているように見えた。
「…お待たせしました」
紅茶がきたタイミングで、ウィスターが立ち上がった。難題は片付いていないようで、顔には少し悩みの色が残っている。
「すまないが、私にも紅茶を」
「かしこまりました。お茶菓子もお持ちしましょう」
「頼む」
贔屓目だろうか。仕事モードのウィスターは、全てがかっこよく見える。指示を出す声はいつもより低く、ピリリとしている。けれど変な嫌味や怒気はがなく、あくまでも淡々としている。
元々あまりキツくは締めていなさそうなネクタイをさらに緩めて、机から応接ソファーの方に歩いてきた。
「忙しそうね」
「あぁ、王女殿下の初の遠征外交の準備ですよ。これは失敗させるわけにはいかないですからね」
「…国のために…?」
「?まぁ、それもありますが。王女殿下とて、恥はかきたくないでしょう。殿下のためですよ」
私の穿った問いに、ウィスターは怪訝な顔をして答えた。まるで、何を当たり前のことをと言いたげだった。
なぜこの男は、この捩れた気持ちを汲み取るような言葉をさらりと言えるのだろう。ウィスターはよく私を馬鹿にして揶揄うけれど、私の求めていた答えもちゃんとくれる。
ここで国のためと言われていたら、私はまた落ち込んでしまうような気がしていた。




