運命と縁談
「イリヤ、お前に縁談が来ている」
唐突に父上が話し始めたのは、それから数日経った、夕餉の時間。王宮の一室にある大きなテーブルに、父上、母上、それに弟妹たちが揃って座っている。
父上は厳しいところもあるが、家族には優しく語りかけるように話す。その話が出てきたのは、今夜のメインディッシュもそろそろ食べ終わろうかという頃だった。
父上なりにタイミングを窺っていたのかもしれないそのワードに、私は心臓が飛び跳ねるかと思った。
「え、縁談?私にですか?」
思わず声がひっくり返りそうになる。肉を切り分けていたナイフの手が止まってしまう。
「長女なんだからイリヤ、お前に来るのが当然だろう」
「えっ、お姉様結婚するの!?」
「えんだん?えんだんってなに?」
「お相手はどなたですか!?」
弟妹が口々に話し出す。母上は末の弟に「しーっ」と静かにするように仕草をした。
四人姉弟の長女の私には、妹が一人と弟が二人いる。末の弟はまだ7歳だ。現在テーブルマナー教育の真っ最中。しかし妹などはもう大きいので、突然やってきた面白そうな話題に目を輝かせている。
「………静かに聞けるかい、おまえたち」
「はい」「すみません」
優しい父が微笑みながらゆっくりと、諭すように弟妹をたしなめた。みんなで返事をして、お行儀よくナイフとフォークをお皿に立てかける。
父上の執事が「ご家族の話をされますので」と言って給仕達を部屋の外へ追い出している。何やらものものしい雰囲気になってきた。
結婚。
今までその二文字を意識したことがないといえば嘘になる。父上から直接この話題が一度も出たことがないのは、父上なりの、子供の頃は何も考えなくていいようにという優しさだろう。
だからこそ、私は今まで純粋な気持ちだけでウィスターに片想いをしていられた。5歳だったあの日から、今まで。他国ではもっと幼いうちに婚約・結婚させられることも多いという。
そして、どこかで。
27歳という、結婚適齢期をほぼ抜け出したウィスターが未だ独身なのは、もしかしたら、もしかしたら。
そう考えたことだって勿論ある。
父上とウィスターの父親は仲が良かった。「うちの子達、仲が良いし将来〜」なんて、勝手にどこかで話が進んでたりしないかな、と考えたことだってあった。
まぁ、その間もウィスターは様々な女性達と浮き名を流していて、その度に私が枕を濡らしていたのはまた別の話だけれど。それでも、何も根拠はないそんな将来への楽しみが私の片想いをずっと後押ししていたのは分かっている。
人払いが済んだ頃、父上が右手を挙げた。
横に控えていた執事が、金色に縁取られた開封済みの封筒を父上にすっと渡す。
「今までお前たちには言っていなかったが、実はこの手の話は結構ある。イリヤだけじゃないぞ。シーラ、ニコラス、カイル。お前ら全員、一度は縁談、つまり結婚してほしいという申し入れが来てるんだ。だが、今までは私から丁重にお断りをしていた。我が子達は皆幼い、社交界デビューもしていない、時期が来たら検討すると言ってな。だが、イリヤが社交界デビューをしてもうしばらく経つ。よい機会だから、お前たち全員に聞いてもらいたい」
父上がゆっくりと言葉を紡ぎながら、執事から受け取った封筒を開けた。
話の終着点がどこなのか、まだ私にはわからない。弟妹たちは真剣な顔で話を聞いている。紙が擦れる音がして、父上が封筒から中の書状を取り出した。
「お前たちは、全員私たちの大切な子供だ。だが、私はこのアレキサンド国の命運も同時に背負っている。そして、それはイリヤ含め、お前たちも同じだ。これは教育係からもよく聞かされているね」
「父上、僕は分かります。僕も将来、父上のような立派な国王になりたいです」
そう言葉を発したのは、長男であるニコラスだった。私の6歳下だが、帝王教育が開始されてみるみるとしっかりしてきた。
「ニコラス、今は私が姉上の結婚の話をしているんだ。ニコラスの気持ちは嬉しいし、期待もしているけれど、今はお前の決意表明の場ではないよ」
「………はい。すみません」
父上らしい威厳だ。表情こそ柔らかいけれど、ばっさりと言い切る父上。ニコラスは少ししょんぼりした顔をしたけれど、また気を取り直したように背筋を伸ばして父上の方に身体を向けた。
「私はお前たちが一番大切だ。しかし、それと同じくらい、この国の民たちにも幸せになってほしいんだよ。そのために、お前たちと協力していきたいと考えている。そして、その方法の一つはお前たちにしかできないことだ。政略結婚とも言う。国をもっとよくするため、お前たちの結婚相手は、私が決めることになる」
おおよそ予想がついた。
つまり、今回の縁談の相手と結婚をしろということだろう。でなければ、このタイミングでこの話をする意味がない。そして、父上はゆっくりと手元の手紙を一瞥した。まるで興味も関心もなさそうな、冷たい一面が見えた気がして、私は背中に冷たいものが走る。
「これは、オパール伯爵の長男、リューランド・オパール子爵から、イリヤへの縁談の申し込みだ」
「オパール子爵……」
「イリヤ、お前が先日の夜会で踊っていたな」
「はい、そうでした。縁談の相手というのはリューランド子爵だったのですね」
あの日、私に一番にダンスを申し込んできた緊張した銀髪の男の顔を思い浮かべる。確かあの日が初対面だったはず。あのダンスがきっかけだったのか。何で気に入られたのかは記憶にないけれど、なんとなく納得してしまって、私は内心でだけ天を仰いだ。
悪い男ではなかった、と思う。どちらかといえば誠実そうな、真面目な印象だった。緊張していたからか、ダンス中はほとんど話すことはなかったけれど、悪くない相手かもしれない。オパール伯爵家は海沿いの領地だから、王家と直接的に関わりが深い家ではない。政略結婚の相手と考えると、妥当。
「そうだ。イリヤ、お前がもしあの男を気に入っていたのであれば悪いが。この縁談は断る」
「えっ………!?」
父上は、一瞥した手紙を指で挟んで持ち上げた。控えていた執事がサッと取り上げる。
「父上、今のお話ですと、私がオパール伯爵家に嫁ぐということでは……」
父上の目がまっすぐ私を見る。
「イリヤ。お前は自分の価値を分かっていない。なぜこの国の第一王女が、あの辺境の伯爵家に嫁ぐメリットがあると思うんだ?」
ゆっくりと、しかしはっきりとした問いかけだった。
そして厳しく、強い表情だった。
そして言い方には少し棘がある。辺境の伯爵家。しかも相手はまだ子爵。そんな分際で、とでも言いたげな父上に、私は何も言葉を返せない。
「それは……」
「イリヤ。そしてシーラ。お前たち二人は特に重要だ。女性は嫁いで、相手の家の人間となる。しかし、元王族という肩書きは一生ついてまわる。そこらの貴族に簡単に嫁がせるわけにはいかない」
父上はそう言って、少し悲しげな顔になった。
「お前たち二人には、必ずや国外に嫁いでもらうことになる」
衝撃だった。目の前が真っ暗になる。国を離れる可能性なんて、全く予想だにしていなかった。
国が変われば、風土も何もかも違う。
そして父上のこの言葉は、ウィスターとの結婚も同時に認めないという意味もはらんでいる。
どこか期待していた自分が馬鹿らしくなる。なんて、なんて子供じみた夢を見ていたんだろう。国が変われば父上にも母上にも、妹のシーラにも、いずれ国王になるニコラスも、そしてーーーーウィスターにも。
恐らく一生出会うことはないだろう。
なんたる覚悟。
王女としての覚悟や責任は、私が分かったつもりになっていただけだった。
豪華なドレスも部屋も食事もある、侍女がついた華やかな生活。年上の公爵に恋をして、いつか父上の許しを得て結婚ーなんて、甘いものではなかったのだ。
父上は、国王として方針を決めたら一切曲げない。
そんなの嫌だ、この国に居させてと泣いても喚いても、父上の情がもらえることはないだろう。
「二人には、辛い思いをさせてしまう。しかし、分かってほしい。今すぐに結婚しろとは言わない。ゆっくり、ここでの時間を楽しむんだ。いずれ、私たちとの別れが来ると思って過ごしてほしい」
先ほどの冷たい父上はいない。父上の顔は優しかった。その横に座る母上は、涙ぐんでいる。
「これが、私からお前たちへの、一番のお願いだ。どうか、国のために身を捧げてくれ」
ーーー重い沈黙。
食事を続けよう、と父が言う。心配そうなニコラスが私を窺うように見ている。末の弟のカイルも妹のシーラも、不安そうな表情をしている。全部、ぜんぶ目に入っているのに、心には入ってこなかった。




