野菜スープ
たっぷり丸二日は寝込んだけれど、身体は徐々に回復した。
特に初日の夜は高熱が出て辛かった。
翌日イーヴァに薬をもらったが下がらず、肺炎の可能性もあると言われたのだが、そこからは幸いにも重症化せずに経過した。熱が下がると気持ちも少し落ち着き、のんびりと過ごせるようになった。
そして体調が良くなると、イリヤには今度は別の悩みがでてきた。
(私はこれからどうなるの?)
今はアレキサンドの町で、ウィスターも滞在してくれて、診療所の人々は優しい。けれどイリヤの立場は厳密には王女殿下ではない。
フェルディナ王太子の婚約者。
婚約が成立している以上、イリヤはフェルディナへ行かなければならないだろう。
(……またあの森を…)
診療所の部屋からは、ミグリの山も見える。そびえ立つその山の中、あの男はどうなっただろう。
フェルディナには情報屋がいると言っていた。イリヤがまた行くとなれば、また襲われる可能性だってある。
言いようのない恐怖が身体を走る。イリヤにとってミグリの山は、恐怖の象徴のような存在になってしまった。
心なしか山は緑ではなく灰色に見える。
イリヤの体調が落ち着いてから、ウィスターがあの夜の出来事の詳細を聞いてきた。努めて冷静に話すようにしたが、最終的に時系列もぐちゃぐちゃで、そんな中突如登場した「猫がいて」の言葉に、ウィスターも反射的に「は?猫?」と聞き返していた。
あれから、姫様とは呼ばれていない。再会した時は抱きしめられたけど、翌日以降はごく普通……よりも少し優しい程度だった。
やはりあの日は、さすがのウィスターでも気が動転していたのだろうと、イリヤはなるべく普通に接するようにしていた。
「ブラッド、何か手伝おうか?」
「え?いやぁ患者に手伝ってもらうわけにはいかないよ」
「えー、いいリハビリになると思うのだけど」
「リハビリって、姫さんは戻ったらこんな家事雑用はしないだろ。余計やらせるわけには」
暇を持て余したイリヤはブラッドに声をかけたが、イリヤの午後の診察を終えたブラッドは気のない返事だった。ケチ、と唇を尖らせる。
診療所の入院生活は暇だった。
朝晩と包帯が交換され、消毒や洗浄をし、食事をとる。
元々王宮でもそんなに色々と動く方ではなかったけれど、それでも王宮は広かったので、どこかに行くだけでも気分転換になっていた。診療所は狭くて、イリヤには退屈な場所この上ない。
それでも、診療所の人たちはかなり気安く話してくれるので、イリヤはそれが新鮮だった。
イーヴァやブラッドは、医師としてこの小さな町で診療を行っている。土地柄、ミグリの山で怪我をした人も多く来るらしい。特に賊に襲われたという人もちらほら見るようだ。
「…暇なら食堂に行ってあげてよ。今日の食事当番はイーヴァだ。手伝いが欲しいってきっとぼやいてるよ」
「そうなんだ…!!行ってみるわね」
いいことを教えてもらったので、イリヤは診察室を出た。
(食堂に行くって一応言ってたほうがいいかしら)
少し遠回りになるけれど、自分の部屋に寄ることにする。午後の診察に行くと言って部屋を出て行ったので、しばらく戻らないとウィスターが心配するかもしれない。診療所は狭いから探せばすぐ見つかるんだろうけど、一応自分の居場所を誰かに報告しておく癖はついている。
イリヤが部屋を覗くと、ウィスターはソファーで横になっていた。
今日は冬の真ん中の小春日和で、温かい。冬らしい柔らかい日差しが差し込む中、部屋の隅っこに置かれたソファーに横になり、足はだらしなく組んで肘おきに乗せている。
「……珍しい」
思わず声が出た。
ウィスターは口と態度はあまりよろしくないが基本的に仕事は真面目にこなす方で、うたた寝をするところなど今まで見たことがない。
珍しいもの見たさで忍びよる。ウィスターは完全に目を閉じていた。閉じられた瞼に、長いまつ毛が伸びている。黒髪は少し伸びただろうか、日差しから顔に日陰を作っている。
(きれいね…)
まじまじと見ると、改めてそんな感想が湧き起こる。
かっこいい、どきっとする、などは今まで思ってきたような気がするが、じっくりと見ると実に整っていた。胸の上に置かれた手はイリヤのそれより大きくて、骨張っている。
(……って、なんか私きもちわるいわね!)
あまりに凝視してしまって慌てて視線を外す。日が落ちたら寒くなるだろうか。
ウィスターにも毛布は与えられているが、今はソファーの下でウィスターに踏まれている。
イリヤは自分のベッドから毛布を引っ張ってきて、起こさないようにゆっくりウィスターにかけた。
ソファーだと体も休まらないだろうし、イリヤが来たときより診療所は患者が減って、静かである。空いてるベッドがないか聞いてみよう、と考えて、イリヤは部屋を立ち去った。
「へぇー、手伝ってくれるの、姫さまが!ありがたいわぁ」
そう言って台所で出迎えてくれたのはイーヴァだった。高齢の女性だが、足腰はしっかりしている。もう医師になって長いらしく、処置の手際もいい。
イーヴァはにこやかに目尻を下げながら、イリヤに使い込まれたエプロンを渡した。
「あ、でも!私実はあんまり料理はしたことないんです。手際が悪いのでご迷惑になるかも…」
「そんなことないですよぉ。もうこの歳になるとね、たくさん料理作るのが大変なのよ。特に今は姫様の護衛の方もいらっしゃるでしょう。病人じゃない人に変なものを食べさせるわけにはいかないしねぇ。あ、そこのお野菜取ってくれる?」
「あ、はい」
「手を洗ってね、ここに石鹸あるから」
「はい」
すっかりイーヴァのペースである。イリヤは慌てて水道で手を流した。
石鹸を泡立てるといい匂いがする。
「洗ったら、そうねえ。姫様にはスープを作ってもらおうかねぇ。大丈夫、スープは簡単だし美味しくできるよ。じゃあこのお野菜を洗って、切ってくれる?」
「はい!」
思ったよりきちんと料理をさせてもらえるものだ。イリヤはわくわくとしながら野菜を手に取った。人参と、玉ねぎと、セロリ。
「姫様は王宮では料理しないのかい?」
「ええ。料理人がいますから。習ったことはありますが、覚えているかは…」
「大丈夫、スープは味付け簡単だからね。にしても姫様は綺麗なのに気さくなお方なんだねぇ。私ゃびっくりしたよ」
「ありがとうございます。王都に来たりはされないんですか?あまり遠くはありませんが」
「そうだよぉ。私は診療所があるからねぇ。何か用事がある時はブラッドに行ってもらってるよ」
話を聞きながら、野菜をまな板に並べた。白、緑、赤がちょこんと並んでいる。
野菜を左手で押さえて、慎重にヘタをとる。
その間にも話はどんどんと進んでいく。
「ブラッドとイーヴァはどうして知り合ったんですか?」
「ブラッドはねぇ、元々は騎士さまになりたかったんだよぉ。でも、ちっちゃい頃に病気になってね、ああ見えて丈夫じゃないんだ。それを面倒見てるうちに、私に弟子入りしてくれてね、今じゃ立派にやってくれてるよ」
「そうなんですね…。大変だったんですね」
「うんにゃそうでもないけどねぇ。ここはちっちゃい診療所だから、王都とか他の大きい町にある診療所の方が色々と勉強になるよって言ったんだけどねぇ。ここが気に入ってくれてるよぉ」
「ずっと一緒に暮らしてるんですか」
「ブラッドは通いだよぉ。私はここに住んでるからね。夜はしんどいだろうって泊まってくれることもあるけどね。優しい子なんだよ。あ、そこの塩を取ってくれる?」
「はい」
話をしながら、セロリは順調に切れていった。手際が悪いのと、大きさがあまり揃っていないのは申し訳ない。
塩を渡すついでにイーヴァに見せる。
「あの…大きさこんな感じでいいでしょうか」
「ん?あぁ十分十分。食べられればいいからねぇ。次は人参と玉ねぎも切ってねぇ」
「あの……玉ねぎって」
「真ん中で半分にまず切るんだよぉ。どれおばちゃんが手本を見せてやろうね」
イーヴァが慣れた手つきで玉ねぎを半分に切った。ついでに、と人参も縦に割ってくれる。
「姫様の手を怪我させたら大変だからねぇ。ま、怪我したら消毒液は使い放題だから大丈夫だよぉ」
「怪我させないでくれよ、俺は姫さんに包帯巻くの飽きたぞ」
台所の入り口から顔を出したのはブラッドだった。背が高く、ヒョロリという言葉がよく似合う。
ブラッドはイリヤを見て顔をしかめた。やれやれという風に寄ってきて、急にイリヤの髪を後ろで束ねる。
「料理するときは髪をまとめるの。髪の毛入ったら大変だろ」
「あ……ありがとう」
雑だが慣れた手つきで、イリヤの髪をざっと一つにまとめて紐で縛る。
そのまま「怪我すんなよ」と念を押して、また去っていった。その後、イリヤはイーヴァと顔を見合わせて、ぷっと二人同時に吹き出してしまう。
「本当に優しい子ですね」
「ええ、ほんとにね」
あはは、と台所に笑い声が響く。
イリヤの初めての料理は、上手に切れたセロリと、不恰好な人参と、さらに不恰好な玉ねぎのスープになった。
*
その日の夜。
イリヤは目の前のウィスターをチラリと見た。
目の前に並んでいるのはパンと潰したじゃがいも、焼いた卵、野菜を炒めたソテー。そしてイリヤの作ったスープだった。
イリヤの部屋のテーブルに二人分の料理が並んでいる。いただきます、と二人で食事を始めてしばらく。
イリヤはウィスターの反応が気になって仕方なかった。スープのカップに口をつけて、そのままウィスターを覗き見る。
ウィスターはといえば何やら考え込んで、難しい顔でパンを齧っている。
(美味しいかな)
イリヤも緊張しつつパンや他の料理を口に運ぶ。
「珍しいですね」
「えっ?」
急に話しかけられて、驚いて肩が跳ねる。
「髪、結んでるの」
「あぁ、そうね。昼間ブラッドに結んでもらってーーー」
ブラッドに、の辺りでウィスターの眉がぴくりと動いた、気がした。
「……なぜ?」
「えっ……いやぁ診療所の手伝いをしてたら、邪魔だろうって」
やばい、料理をしたことは内緒にしてるんだった、と慌てて話を逸らそうと試みる。
「そういえば、ウィスター疲れてるんじゃない?ベッドなら今部屋が空いてるから使っていいそうよ」
「何で話を逸らすんですか」
「逸らしてないわよ。昼間ソファーで寝てたじゃない、あれじゃ疲れも取れないわ」
「大丈夫です。それとも私がいると嫌ですか」
思わぬ方向に話が飛んで、イリヤは急いでブンブンと首を振った。
正直、王宮にいる時よりもずっと長い間ウィスターと一緒にいられる。しまい込んだ恋心が出てきそうで困る……けれど、イリヤは嘘もつけなかった。
「じゃあここでいいです。ベッドは護衛に使わせましょう。彼らの方が重労働です」
「でも…きついでしょう」
「じゃぁ殿下が添い寝でもしてくれたらいいじゃないですか」
また思わぬ方向の話が飛んできて、イリヤは真っ赤になった。
「何言ってるのよ、するわけないでしょう?それとも何、して欲しいの?」
「別に」
くつくつとウィスターが喉の奥で笑いながらスープを口にした。
あぁ、いつもの笑い方だーー、とイリヤも安心しつつ、反応を窺う。
「本当に私は大丈夫です。毛布もありがとうございました」
「私じゃないかもしれないでしょう」
「それはないですね。私がどこで寝転がっても診療所の誰も興味ないですよ」
「…………」
「あれ、無視?」
イリヤが答えなかったので、ウィスターが怪訝な顔になってスープのカップを置く。
「そのスープ、美味しい?」
「これですか?いや、まぁ普通に美味しいですけど…」
困惑したようなウィスターから、欲しい言葉がもらえてイリヤはよしっ、と拳を作った。
「よかった!それ、私が作ったのよ〜」
「え?で、殿下が……?」
ウィスターはまじまじとカップの中のスープを観察して、天を仰いだ。
「……それは大変だ、イーヴァやブラッドが倒れないように見張ってないと」
「失礼ね!さっき貴方『美味しい』って言ってたわよ」
「そりゃあ誰が作ったか知りませんでしたから。殿下が作ったなら話は違う。…料理、できるんですね」
「ふふ、でも味付けはほとんどイーヴァよ。私は…手際は悪いし、切るのは難しいし。イーヴァの足手まといだったかも」
それを聞いて、ウィスターは改めてスープのカップに口をつけた。
「まぁ、殿下らしい不揃いの野菜たちが上手ですね」
「無理して褒めなくていいわよ。普段全然しないもの、そこまで小さく切れたのが奇跡」
頬を膨らませると、ウィスターがまた楽しそうに笑った。
「殿下の初めての料理をいただけるとは、これは光栄でした。だから髪も結んだんですね」
ふっとウィスターが手を伸ばして、イリヤは思わず肩をすくめる。
こればっかりは反射である。トラウマだろうとイーヴァは言っていた。ウィスターは気にしていないように、イリヤの後ろで結んだ髪にそっと触れた。
「でも殿下は髪は下ろしたほうが素敵ですよ」
「本当…?」
「はい」
ウィスターの手が、イリヤの髪を縛っていた紐をサッとひく。はちみつ色の髪の毛が広がった。
「後、スープは美味しいです」
何これ、反則。ウィスターの顔が見れない。
イリヤは今度こそ赤くなって俯いた。




