子ども
初めてウィスターに会ったのは、5歳くらいだっただろうか。
私より10歳年上の彼は、当時は存命だった彼の父親、アズライト公爵とよく一緒に王宮に訪れていた。アズライト公爵家は領地を持たない公爵家だ。普通の貴族は、国の中でそれぞれ領地を持っていて治めている。そして、領民たちからの税金を一部国に払っている、そんな仕組みだった。
そんな中領地を持たない唯一の貴族。その代わり王家の補佐や、政治も一緒に行う。いわば、国全体が領地という形なので、アズライト親子はほぼ毎日のように王宮に出入りしていた。
私は王宮の中庭で遊ぶのが好きだった。
噴水に、整えられた広い庭園。そこで遊んでいた私に声をかけたのが、当時のウィスターだ。
「姫様。よければ一緒に遊びましょう」
この言葉がとても嬉しかった記憶がある。
当時の私はといえば、淑女教育が始まったばかりでなかなか一緒に遊ぶ同年代(今思うと全然同年代ではないけど)の友達がいなかった。
「うん、あそぶ!おにいさまはなにしてあそびますか?」
「そうですね、あちらで花札でもいたしますか」
ーーーーーーーー
いやいやいや!!!!!!!
5歳の姫に花札させる!!??
花札というのは向日葵やバラなどの絵が描かれた札を揃えて役を作る、カードゲームだった。
後から知るのだが、この花札は賭け事によく使われるいわゆるダークな遊びらしい。
すっかりハマってしまった私は、この後淑女教育の先生に卒倒されてこってり叱られることとなる。
ーーーーーーーー
それからウィスターはちょくちょく中庭に顔を出して、一緒に遊んでくれるようになった。
「兄様、イリヤはこの池をジャンプしてとびこえることができます!」
「姫様、濡れてしまいますよ」
「だいじょうぶ、です!」
そうしてびしょ濡れになった私を抱き上げて、ウィスターは大笑いしていた。
ある時は、「にらめっこ」という遊びを教えてもらった。
掛け声の後二人でお互いを笑わせにかかる。変な顔をしてもいいし、面白い格好をしてもいい。そして、先に笑った方が負けなのだ。
「にーらめっこしましょ、あっぷっぷ!!」
そうして私は、王女とは思えないほどメチャクチャな変顔をしたらしい。
「ぷっ………あっはっはっはっは!!!!!!姫様、それははんそk……ぷはっ……あはははは!!!!!」
思わず立ち上がって笑い出したその時のウィスターの声も顔も、今でも覚えている。
兄様として慕っていた、頼り甲斐のあったウィスターが15歳の少年として、年相応に大笑いしたのだ。
私は当時5歳にして、その笑顔にやられてしまった。
昼間の明るい太陽にキラキラ光る噴水の水しぶき、青い空、白い雲。背の高い彼は立ち上がってしまってずっと笑い転げていたので、私は下から彼の様子を見上げていた。
(兄様、こんなにわらってくれるんだ)
変な顔をしても咎めるどころか、一緒に楽しんで笑ってくれる彼。
今思うと、しょうもないような、ちっちゃい理由だ。
それでも、第一王女と言われ大事に大事にされて、そしてたくさんのことを教えられてきた私にはその笑顔はとても新鮮で、眩しかった。
それからというもの、私の視線はずっとウィスターを追っている。
*
「王女殿下、お目にかかれて光栄でございます。リューランド・オパールと申します」
ぼーっと顔には出さないように昔のことを思い出していたら、一人の男性が声をかけてきた。
そういえば、いつからウィスターは私のことを「イリヤ王女殿下」なんて呼び方をするようになったんだろう。でも、大人になったんだもの。そりゃそうか。
ウィスターに「姫様」と呼ばれるの、好きだったんだけどな。
鮮やかな銀髪の男性は私の前に跪いていた。髪色に合わせたのかシルバーの礼服を着て、黒いネクタイがよく締まっている。
「オパール伯爵のご子息の、リューランド子爵でございますね。お噂は伺っております。本日はお越しいただき、感謝申し上げますわ」
ニッコリと返事を返すと、リューランドは感極まった様子で顔を上げた。
オパール家は海沿いの領地を持っている伯爵位を持つ由緒正しい家だ。リューランドという名は、その家の跡取り息子の長男の名前だったはず。よし、覚えている。
「覚えていただいておりますか!光栄です…!」
「もちろんでございますわ。そなたのお父上も領地をよく治めてくださって感謝しております」
「勿体無いお言葉、ありがたき幸せにございます…!」
そうそう、こうこう。
普通貴族というのは、こうしてへりくだって私と話せるだけで感極まって。
あの男のように、昔の話を出して揶揄ったり失敗を馬鹿にしたりしないものよね。
「僭越ながら、もしよろしければ私と一曲踊っていただけませんか」
跪いたまま、リューランドは右手を差し出してきた。
チラリと玉座の方を見る。先ほど大歓声で迎えられた父上と母上は他の貴族たちと熱心に話をしている。王女は基本貴族からのダンスの誘いに応じるものだし、タイミング的に問題はないだろう。
「ええ、喜んで」
リューランドの手を取って立ち上がった。
空気を読んで、オーケストラが曲の繋ぎに入ったのがわかった。私たちが踊り出すタイミングで、新しい曲を演奏し始めるのだろう。リューランドのエスコートで会場の中心部に出る。そこでは各自思い思いに男女ペアでダンスを踊っていた。
ウィスターはどこかしら。
あまり目立たないように視線を配ると、会場の隅の方でどこかの令嬢と話し込んでいるのが見えた。お互い片手にワイングラスを持ち、にこやかに談笑している。私の前ではあんな顔は見せないのに、ずいぶん楽しそうだこと。
他の男性と踊る前にそんなことを考えていたら本当は失礼に値するだろう。いけないいけない、今はリューランド子爵とのダンスに集中しなければ。私は心の中でだけ首を振って、雑念を取り払った。
私たちが広場に出ると、スッと真ん中のスペースが空いた。新しく演奏され始めた音楽にのせて、リューランドのリードに任せて踊り始める。
ダンスは好きでも嫌いでもない。むしろ苦手な方だ。男性はそれぞれリードの仕方が違うから、毎回緊張してしまう。半ば義務感のようなもので応じている。
手を握られ、腰に手を回され、顔が近いのも恥ずかしい。
けれど、そんなことはおくびにも出してはいけない。私は堂々と、優雅に踊ることに集中した。
リューランド子爵といえば、緊張しているのか私の腰に添えた手が微かに震えている。華美な音楽、シャンデリア、外は夜。明るい夜会の会場。
くるくる回って、腰を傾けて、手を伸ばして。
そうしていると、意識せずともウィスターが目に入った。
先ほどの令嬢と、仲良くまだ話し込んでいる。
お互い話が合うのだろう。相手の令嬢も、キラキラとした目でウィスターを見上げてコロコロと笑っている。
こっちを少しでも見ればいいのに。王女が踊っているのよ。
全く興味なんてなさそうに、爽やかな彼の視線はその令嬢に向けられていた。
あぁ、片想いだ。
心に影が落ちた。
顔には出さずとも、彼が私に何の興味もないことは普段の仕草言葉から分かっている。
ねぇウィスター。
少しは気にしてよ。
曲が終わる。
リューランドは感極まった様子のまま、一礼して私の手を離した。私もドレスの裾を持ち上げて、一礼する。
周りから拍手が沸き起こった。
玉座にいる父上と母上も、にこやかに私たちを見ている。
こうして夜会を盛り上げて、華やかな雰囲気にするのが私の仕事。
「王女さま、ダンスおじょうずだったね!!!」
どこかの貴族の令嬢だろう。5歳くらいの女の子が、目を輝かせて母親と思われる人に話しかけているのが見えた。母親は「こらっ、失礼でしょ!」と焦って女の子の口を塞ぎにかかっている。
さっきまで私も子供の頃のことを思い出していたので、懐かしくなった。
屈託ない子供の笑顔は、とても眩しい。
でも、そうね。私は今17歳。私がこのくらいの年の子を好きになるかと言われれば、それはないかもしれない。
つまり、ウィスターも当時、私のことを可愛いと思ってくれていたかもはしれないけど。それは恋とか愛とはまた別の、慈しみだったのかな。
私は女の子に近づいた。
「王女さま…!」
その女の子は、母親のドレスの後ろに半分隠れながら、それでも目は輝かせてしっかりと私を見ていた。
目線を合わせるように少し屈む。
「今日は、いっぱいたのしんでね」
「う、うん…!とってもたのしいです!王女さま、ありがとう!!」
キラキラした笑顔で言われて、クスリと笑ってしまう。
「失礼を…!申し訳ございません!!!!」
「構いませんよ。とても可愛らしかったもので。どうぞおくつろぎなさってくださいな」
恐縮しきったような母親と、憧れの眼差しで見てくる女の子。
私もこんな表情で、ウィスターのことを見ていたのだろうか。
それでも、女の子のかわいさと真っすぐさに心が温かくなる。
手を振ると、女の子も小さく手を振り返してくれた。




