夜会
「……また貴方なの」
「はい、また私です」
ため息をついて、私は目の前に立っている男を見上げた。黒髪に黒い礼服、胸ポケットの白いハンカチーフと白いグローブがよく似合う。整った眉に、ほとんど黒に見える群青色の瞳。それなのに全く暗い雰囲気にならないのは、きっと彼の顔立ちが華やかだからだろう。
「お父様は私と貴方をくっつけて結婚でもさせる気なのかしら」
「ははは、それは…私にも拒否権というものがありましょうから」
「ちょっとそれどういう意味よ」
いつもの軽口。彼は意地の悪い笑みを浮かべている。
こうして私の反応を見て、揶揄って楽しんでいるのだ。私の横に控えている侍女が、いつもの私たちの様子におもしろそうに笑いを堪えている。
「本日はお躓きにならないと良いですね、イリヤ殿下」
「貴方はいつまでそれを覚えているの?随分昔の話でしょう」
私も私とて負けるわけにはいかない。
いつからこうなったのかは覚えていない。けれど、彼の嫌味には全力で対抗するようになってしまった。
「そこしか私を馬鹿にするところがないのかしら。完璧な王女と褒めていただいたと解釈して宜しくて?」
「もちろんですよ。王女殿下は子供の頃から木から落ちるわ、騎士団の事務所から勝手に剣を持ち出して大騒ぎになるわ、国王陛下の演説会場で急に走り出して転けるわ…本当に完璧でいらっしゃいます」
「それを馬鹿にしてるというのよ!」
もう、全く口の減らない男だ!ニコニコと嫌味ったらしい笑顔なのもさらにイラつきを加速させる。
「公爵閣下、お時間でございます」
扉の前で控えていた衛兵が声をかけた。
ここは夜会の控え室。王女が使用するこの部屋は、控え室といえど装飾品で飾られており、大きな鏡面がある。
明るいグリーンのイブニングドレスに長いはちみつ色の髪はあえておろして、白くて長いオペラグローブに身支度を整えた私を迎えにきたのは、この黙っていれば完璧なのに話すと口が悪い、ウィスター・アズライト公爵という男だった。
「それではイリヤ王女殿下。参りましょう」
夜会に参加する王女は、入場の際に貴族のエスコートを受ける慣例になっている。
今日は国王陛下主催の特別な夜会。私も父上に恥をかかせないように、いつもの夜会よりも意識的に綺麗目に着飾っている。
「公爵は何だか地味じゃなくって?たまには他の殿方のように明るい服をお召しになったらいかが?」
精一杯皮肉を言ってみたつもり。
「それはそれは、本日は王女殿下をエスコートするという重大な任務がございますので。引き立たせるためにも私はこの程度で丁度いいのですよ」
先程までの嫌味な表情がコロリと変わって爽やか100%の顔となり、ウィスターは私の前に跪いて右手を差し出した。私は立ち上がり、ウィスターの差し伸べた手に左手を載せる。
私の手をそっと取って、ウィスターは立ち上がって微笑んだ。
彼の右側後ろに立って、エスコートされながら控え室の扉をくぐる。
夜会会場の入り口に立っている衛兵が大きく声を張り上げた。
「アレキサンド国第一王女、イリヤ殿下のご入場で御座います!!!!!」
会場の視線が一気に集まるのが分かる。
国中から様々な貴族たちが着飾ってやってきている特別な夜会で、普段は私たちと合わないような辺境伯や下級貴族たちも今日は来ている。わぁっという歓声と、拍手が沸き起こった。
「王女殿下…!」
「素敵ねぇ」
「エスコートしていらっしゃるのはアズライト公爵閣下ね」
「王女様素敵なドレスだわ…」
それぞれから、思い思いの声がざわめきとして聞こえてきた。
拍手と羨望の眼差しの中、ウィスターは私の手を引いて席までエスコートをしている。
どうしよう、手汗かいてないかな。いくら王女とはいえ、こういう夜の社交場は17歳になった私はデビューしたてだ。少し緊張が走ったのが分かったのか、ウィスターがチラリと私を振り返った。
少し吊り気味の瞳を少し細めて、そのまま右手で軽く私の左手を握る。
悔しい。
私のこの緊張した気持ちは全部お見通しのようだ。安心させるように、ウィスターの大きな右手が包み込んでくれる。こんなことで、安心してしまう自分が悔しかった。
たくさんの人に見守られながら席にはあっという間に到着し、私は王女のために誂えられた豪華な椅子の前に立った。ウィスターは私の前にもう一回跪いて、恭しく手を差し伸べてくる。
「イリヤ王女殿下、本日もご機嫌麗しゅう」
ほんっとよく言うわね。
先程までの意地悪な笑みはどこへやら。まるで今の今まで、いつものように王女には礼節を尽くしていましたみたいな顔をして、私には腹黒いこの男が何を考えているのか分からない。
「エスコート感謝申し上げますわ、アズライト公爵」
私も内心気取られないように、柔らかい笑みを浮かべた。右手を差し出すと、ウィスターが跪いたまま目を伏せて、長い睫毛がさらに長く見えた。そのままそっと、手の甲に口付けられる。
夜会の会場はまた一段と歓声と拍手でいっぱいになった。
「イリヤ王女殿下!」
「本当絵になりますわ」
「素敵なシーン、憧れますね」
貴族たちの様々な声、視線、言葉に包まれて夜会が一層華やかな空気になる。実はこれだけで王族の仕事は半分果たしたと言ってもいい。
もっともこれから父上と母上が入場するので、さらに盛り上がるだろうけど。ひとまず役目を終えたことに安堵して、椅子に浅く腰掛けて一息ついた。
ウィスターも同じく、役目は終えましたと言わんばかりに立ち上がってネクタイを片手で直している。会場を見回しているその横顔は端正で、仕草一つ一つが様になるものだからやっぱり悔しい。
「どうかなさいましたか、王女殿下」
私の視線に気づいたウィスターがニッコリと笑いかけてくる。社交場用の、表向きの笑顔だ。
「……………なんでもないわ」
そっぽを向いて従者から飲み物のグラスを受け取った。
きっとこれから、様々な貴族令嬢たちが彼をダンスに誘うことだろう。そんな令嬢たちも華やかに、優しくエスコートしてみせるウィスターの株が今日もどんどんと上がっていくのが目に見える。
先代のアズライト公爵が急逝したことにより、当時26歳の若さで爵位を継いだウィスターはその眉目秀麗さと優秀さで一目おかれている。貴族令嬢たちのもっぱらの噂の的だ。
アズライト公爵家は、この国の公爵家の中でも一番歴史が長くて、序列が高い。憧れの玉の輿相手として狙われているのは私も知っている。
……皮肉屋で意地悪なことしか言わないウィスターだけど、結婚なんてできるのかしら。
いや、違う。
公爵子息だった頃からよく王宮に出入りしていた彼は、よく私の遊び相手になってくれた。私も「兄様、兄様」と素直に慕っていて、よく懐いていたものだ。
そんなウィスターに、私はずっと、
恋をしている。
「それではイリヤ王女殿下。後ほど一曲お相手願えますか」
ニッコリとウィスターが問いかけてくる。
本当は誰とも踊らないで。私のところにずっといてよ。
そう言いたい気持ちはあるけれど、そんなことを言ったらまた目を輝かせて一生のネタにされるだろう。「あの王女殿下が私に」なんて、言いふらされるなんてたまったものではない。
「ええ、もちろん」
偽物の笑顔を作ることは上手になっている。
私はニッコリと社交用の笑顔を浮かべた。
……これでいい。今は。
腐れ縁のような幼馴染のような、兄のような彼だけど、私はこれからもずっと彼と同じこの場所で生きていける。何の根拠もないけれど、私はそう信じていた。




