ラストダンス
「……また貴方なの」
「すみません、また私です」
相変わらず嫌味ったらしい声、顔。
この日の夜会のエスコートも、当然のようにやってきたのはウィスターだった。
控え室の椅子に座る私の正面に立って、ニコニコと笑っている。前はこれでドキドキしたのに、私の心の中は変わってしまった。ウィスター自身は何も変わっていない。私の心はあれからウィスターとうまく距離を置いている。
「王女殿下、何だかお久しぶりですね」
「なかなか忙しかったもの。どこかの公爵が遠慮なくこき使うものだから」
「いやぁ、王女殿下は外面がいいので助かっております」
「ごめんなさいね、内弁慶なもので」
「ははは、内弁慶なんてそんな可愛らしいものじゃないでしょう」
にこやかに答えた私に、ウィスターが笑った。
思わずムッとして、剣呑な目つきでウィスターを見る。
「そんなこと言ってていいのかしら。可愛らしいご令嬢に幻滅されないようにお気をつけて」
「何の話か分かりませんが、私に女性関係の嫌味を言っても痛くも痒くもないと何度も」
「痒がるくらいしなさいよ、不誠実だわ」
ピシャリと言うと、ウィスターが目を丸くした。
「王女殿下…強くなりましたね…!!」
「何よ、悪い?」
「いいえ、悪くはないです!あぁ、あの頃、私に言い負かされて泣いていた可愛らしい王女殿下はもういないのですね……!!」
「ちょっと嘘泣きしながら変なこと大声で言いふらさないで!」
さすがに焦ったところで、声がかかった。
「公爵閣下、お時間です」
「わかった。……では王女殿下。いきましょうか」
ウィスターの表情がころりと変わって、恭しく手を差し出してくる。この二重人格、と毒づいてやる。その笑顔はいつもと変わらないし、細めた目から感情は読み取れない。
左手を彼の手のひらに乗せる。きゅっと握られると、まだ胸は苦しい。苦しいけれど、前のように心をかき乱されることはなかった。
ゆっくりと手を引かれて、控え室になっている部屋の扉をくぐる。ただ眩く輝く夜会の会場。今日も大勢の貴族たちが集っている。
「アレキサンド国第一王女、イリヤ殿下のご入場でございます!!!!!」
衛兵が大声を張り上げて、会場の視線が集まる。拍手がおこった。前の夜会から随分時間は空いたけれど、私は他国で夜会や晩餐会に出席をしていたのでもう緊張はしない。
ただ、微笑んで皆の視線に応える。
「王女殿下は随分と貫禄がつきましたね」
「うるさいわね」
笑顔のまま、お互い小声でやり合うのも忘れない。そこへーーー父上が入場してきた。
通常であれば、王女の私が着席し、落ち着いたところで父上が入ってくる。今日は私の婚約発表をする予定だ。私に注目が集まっている今、言うつもりなのだろう。
ウィスターの手を離して父上に礼をする。ウィスターも滑らかな動作で跪いた。突然のことに他の貴族たちも、何事かというように頭を下げながら顔を見合わせている。
堂々と歩いてきた父上は、スカートを持ち上げて頭を下げている私を見て、優しい笑みを浮かべた。そして、私の肩に手をかけて貴族たちのほうをぐるんと向かせられる。
「諸君!我が親愛なる臣下たちよ。今日は喜ばしい日だ、聞いてほしい!!」
父上はさすがだ。声を張り上げなくてもよく通る低い声。父上の言葉に、貴族たちが一斉に頭を下げた。
「今日ここに、我が娘イリヤと、隣国フェルディナ王国のレオン王太子の婚約が成立したことをご報告する!!!」
張り上げた父上の声に、会場が静寂に包まれた。やがて一拍おいて、驚き混じりの歓声と拍手が巻きおこった。
「隣国フェルディナは情勢的にも不安定な部分が大きい。しかし、彼の国は着実に力をつけてきている。この婚姻は、そんなフェルディナ王国と、我らが愛すべきアレキサンド王国の新たな友好の証となるだろう!!どうか皆からの祝福が娘にあらんことを!」
ワッ……と一段と歓声が大きくなる。
「おめでとう!」
「おめでとうございます、イリヤ殿下!」
「イリヤ王女殿下…!!」
父上は私の肩から手を離し、ウィスターの前に立った。
「ウィスター公。公も娘が嫁ぐまでの間は、引き続きよろしく頼むよ」
「は。勿論でございます。全力でお護りいたします」
ウィスターは顔を上げずに答えた。父上は満足したようで、「今日の主役は娘だ」と言って、また堂々と会場をあとにした。
自信に満ちたその背中からは、相変わらず喜びが溢れているように見えてくすりと笑う。
ウィスターが立ち上がって、また私に手を差し伸べる。割れんばかりの拍手に背中を押されて、また一歩歩き始めた。
「……かなり早いご婚約でしたね」
笑顔を崩さないように、ウィスターが小声で聞いてくる。
「ほんの数日前よ」
「レオン王太子は王女殿下のことがお気に召していましたからね。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。…レオン王子から手紙が来てたわよ。貴方のおかげだって、ありがとうって書いてあった」
微笑んだ。ウィスターも笑みを浮かべている。
「私は背中を押しただけですが。……数ヶ月前は国外に行きたくないと泣いていたのに、あっという間でしたね」
「ええ、本当。色んなことがあったわ。でも、後悔はしていない」
「そうですか、それは何より」
ウィスターのエスコートで、私は自分の椅子の前に立った。ウィスターが跪いて、私が差し出した左手に口付けをする。
拍手は、止まない。
ウィスターの唇の感触が手の甲に残る。
前はあんなにドキドキしたのに、どこか俯瞰して冷静な自分に、自分でも驚いた。
それからしばらく経って、顔見知りの令嬢や貴族たちから囲まれて世間話をこなしていると、ウィスターがその輪を崩して入ってきた。
「皆さん、王女殿下がご結婚なさるとのことで気になるのは分かりますが、そろそろ王女殿下のダンスも見たいのではないですか」
「おお、そうでございますな」
「公爵閣下のおっしゃる通りですわ。踊っていただきましょう」
皆口々に言って輪が広がる。ウィスターはニコリと笑って、私に手を差し出した。
「フェルディナへ行かれる前に、是非一曲」
「ええ、喜んで」
手を乗せると、ウィスターがいつものように会場の中央へとエスコートした。私たち二人の様子に、感嘆のため息がもれ聞こえる。
「…………相談、してくださらなかったですね」
「え?」
それは意外なところから来た文句だった。
ウィスターは私をエスコートしながら、微笑んでいる。しかし、それはほとんど恨み節だった。相談なんて、自分もレオン王子の背中を押したくせに、意味が分からない。
「何、相談してほしかったの」
「そういうわけではありませんが。王女殿下がお一人で決められるとは思っておりませんでした」
「貴方は、レオン王子が婚約を申し込むって知ってたんでしょう?相談したところで結局何にもならなかったと思うわよ」
「そうですね」
ぐっと腰を引き寄せられて、正面にウィスターが立った。私を見下ろすその目は、どこか冷たい。
「けど、殿下ならなんでも話してくれると思っていましたよ」
馬鹿、なんでそんなこと言うの。
この男に相談なんてしなくて良かった。考えても考えても答えが出ない問いを、無理矢理これで良かったんだと何度も言い聞かせてきた。私は表情を変えないように、左手をウィスターの肩に置く。
「貴方には関係ないでしょ」
「関係ありますよ。大切な妹が何も言わず結婚を決めた。その衝撃を想像してください」
音楽が始まって、ウィスターがリードしてダンスが始まる。
妹。それは初めて言われた言葉だった。
今までたくさん喧嘩も仲直りもしてきた。確かに幼いあの日から、ウィスターは兄のようだった。本当の兄のことは知らないけれど、私たちの今までの関係が急にしっくりきた気がする。
「ウィスターはお兄様だったのね」
「違いましたか。私は可愛い妹だと思っていましたけどね」
少し機嫌の悪いウィスターが面白くて、私は吹き出した。
「可愛いだなんて初めて言われた気がするわ」
「散々言っておりますけどね。王女殿下の記憶力が足りないだけでしょう」
「素直じゃないお兄様をもつと妹も大変なのね。勉強になったわ」
「生意気な妹をもっても大変でした」
「それは失礼いたしました」
くるくる、ステップ、ステップ。
いつものウィスターとのダンス。もしかしたらもうこれが最後かもしれない。
「王女殿下。視線が下がっていますよ」
囁かれて、私はハッと顔をあげた。ウィスターは微笑んでいる。
「目をずっと逸らさないのだけ得意でしたのに、そこまで下手くそになってしまわれたのですか」
「うるさいわね」
キッと睨み返すと、彼の瞳に私が映っているのが見えた。これがたまらないと、前は思った。
まるで全部見透かすような群青色の瞳。けれど、妹というのは実にいい。この私たちの長くて不思議な関係も一言で収めて、隠してくれる。
「今までありがとう、兄様」
「……我が家は結構大人しいんです。こんなじゃじゃ馬が生まれるはずはありません」
「貴方が言ったんじゃない!」
ははは、とウィスターが実に楽しそうに笑った。昔のにらめっこを思い出す。そう、あの時も彼はこうして屈託なく笑ったんだ。
曲が終わると拍手が鳴り響いた。
ウィスターの手がそっと離れる。
「…負けず嫌いの王女殿下の幸せを、このアレキサンドでお祈りしております」
ウィスターが礼をした。
最後まで片想いだった。けれど、最後まで心に残っていた棘を、ウィスターにそっと抜いてもらったような気がした。




