婚約
遠征外交が成功に終わり、それから私の生活は忙しくなった。
帰国後、初の遠征外交の報告のため、家族の夕食にウィスターも参加した団欒が設けられた。そこでウィスターはいつものようにフェルディナのことを父上に語り、私のことを褒めちぎってくれていた。父上は私の外交に満足したらしく、それからしばらく色々な国を回る公務が増えた。初回のフェルディナのような数日間かけるものから、日帰りで行う短いものまで。
外交の公務が増えたことで、私には外交専門の側近が与えられたけれど、ウィスターは相変わらず、私のサポートをしてくれていた。ウィスター自身は忙しく、初回のフェルディナ以降実際に一緒に行くことはなかったけれど、外国へ行く前は必ず時間を作って、言葉の練習や挨拶の仕方など、その国に沿ったやり方を覚えるのを付き合ってくれていた。
国外だけでなく、国内の各地を回ることも増えた。
アレキサンド王国の国民は、皆私が来ると喜んでくれた。中には私の姿を見て『婆ちゃんの若い頃にそっくりだ…』と泣き出すお爺さんもいて、困惑しながらも最終的にはもらい泣きをしてしまった。
忙しいのはありがたい。私は忙しい方が、色々なことを忘れられる質なんだと思う。
感情を押し殺すことにも慣れた。
どこか忙しい自分を俯瞰して見ているような感覚。
フェルディナから帰って数ヶ月。
久しぶりに家族との夕食をとっていたその場に、数ヶ月前と同じような話題がのぼることになる。
「イリヤ、お前に婚約の申し込みが来ている」
あまりびっくりはしなかった。そろそろ来るような気がしていた。
父上はにこやかだった。いつもの優しく語りかけるような口調よりも、今日は父上自身の嬉しさが全面に出ているような気がした。私はナイフとフォークをお皿にかけて、父上の方に身体を向けた。
「えっ、婚約!?」
「お姉さま今度こそケッコンするの!?」
とまた弟たちのテンションが上がるのが分かる。一生懸命大人と同じように振る舞っているけれど、いざという時のこのはしゃぎようはまだまだ可愛らしい。
「どなたからですか」
「……フェルディナ国王からだ。息子の、レオン・ルシード・ノルディック王太子と、イリヤの婚姻を結びたいとの仰せだ」
「貴女、彼と手紙のやり取りをしてるんですってね」
母上が笑顔で私を見ている。こくりと頷いた。
「フェルディナに行った時に仲良くなったので、それから時々お手紙いただいております」
「そうなのね…!ご連絡いただいてね、お相手のレオン王太子は貴女のことがすっかり気に入って、式の前に、しかもできるだけ早く来てほしい、一緒に式のご準備がしたいというお考えだそうよ」
「えー、お姉様すごい」
母上と妹シーラは、素直に感嘆していた。いいお話だろう。私にも分かる。
他国に嫁ぐというのは簡単なことではない。王太子ともなればさらに話は変わる。王太子の妻は、未来の王妃だ。私にその資質があるのかはまだ分かってないけれど、他にも彼と結婚したい女性は山ほどいるだろう。
「やっぱりあのフェルディナへの遠征ってすごい良かったんだねー。いいなぁ、私もそんな遠征外交早く行きたい」
「シーラももう少ししたら機会が巡ってくるでしょ」
「そうだけどぉ、フェルディナって海も綺麗だしすごいいいところで、そこの王太子となんてすごいロマンチックじゃん。いいなー」
「シーラ」
苦笑しながら、父上がシーラを嗜めた。奔放なシーラは「はぁい」と口をつぐむ。
「で、イリヤはどうだい、彼は」
レオン王子のことを思い返した。真っ直ぐで、誠実で、実直だった。別れ際の「また」という短い挨拶は、やはりこういうことだったのだろう。どこかで予感していた。
「すごく、勿体無いくらい光栄なお話だと思います」
「では、受けて良いか」
「……はい」
私が頷くと、一斉に拍手が起こった。
どうやら給仕たちや父上の側近も皆、聞き耳を立てていたようだ。テーブルを囲む父上、母上、そして弟妹たちも、揃って手を叩いている。
「…イリヤ!!!」
母上が、感極まった様子で立ち上がり、駆け寄ってきた。そのままぎゅっと抱きしめられる。
「イリヤ、おめでとう。本当におめでとう」
「…母上。ありがとうございます」
こんなに祝福されるとは思ってなくて、母上の背中に手を回す。その様子を見ていた父上も、何だか涙ぐんでいる。
「聞いていたか。フェルディナへ返事を」
「はっ」
父上が側近に指示を出した。バタバタと騒がしくなっていく。
「次の夜会は、三日後か。その時までに正式に成立させて、その夜会で貴族たちに公表しようと思う。それまでは、皆内密にしておいてくれ。いいか」
父上の言葉に、はい、と食堂にいる皆が頷いた。
「これから忙しくなるが、イリヤ。おめでとう。イリヤの婚約に、乾杯しよう」
父上はご機嫌だった。みんなが笑っている。私も笑った。これで良かったと、心から思った。
*
フェルディナへの返事はすぐに送られて、婚約は正式に成立した。
「お嬢様、レオン王太子殿下からお手紙が届いてますわよ」
マーヤもどこかうきうきと浮ついている。私は今日の公務を終えて、やっと自室に戻ってきたところだった。明日の公務は特に入っていないが、夕方から始まる夜会で私の婚約が発表される予定になっている。
お肌のためにもさっさと寝たいな、と思いつつ、レオン王子からの手紙の封をひらいた。
自分の机に腰掛けて目を通す。
公務で忙しくなった私の机は、数ヶ月前とは違い、各国の資料や私のメモなどがかなり山積みになっていた。マーヤが背後に立って、ゆっくりと私の髪の毛をほどきにかかる。
<<イリヤ姫
この度は婚約のお受け入れ、ありがとう。側近から返事を聞いた俺は、嬉しくて側近をきつく抱きしめてしまい、危うく肋骨を折ってしまうところだった。
あ、でもイリヤ姫のことはもっと大事に扱うから心配はしないでくれ>>
なんだかその場のレオン王子がありありと想像できて、くすりと吹き出してしまう。彼の手紙はいつも臨場感に満ちている。
<<今まで何度もお伝えしてきた通り、また貴女に会えるのを心から楽しみにしている。けれど、次会うときはお互い婚約者ということになるな、少し照れる。
貴女のプレッシャーになりたくなかったので今まで伝えていなかったが、俺は貴女を一生かけて守り、尽くし、隣で同じ景色を見たいと思っている。
イリヤ姫は、まだ俺のことを好きじゃないかもしれない。けれど婚約が成立した今からは、俺は俺のことが好きになってもらえるように全力を尽くす。
鬱陶しいときはそう伝えてくれ。嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しいと。俺はあの数日で貴女の聡明さに惹かれたんだ。
俺のことを好きになってくれるのはそんな簡単じゃないかもしれないけれど、どうか俺と、俺たちの国フェルディナを好きになってほしい。
早くイリヤ姫がこないか、毎日指折り数えて待つことにしよう。
最後に、ウィスター殿がこの婚姻の申込みの後押しをしてくれた。
ウィスター殿にも、ありがとうと伝えてくれるか?
レオン>>
手紙を読み終わった頃には、私の髪はすっかり解けていて、ネックレスなどの装飾品もマーヤの手によって外されていた。
身軽になったので軽く頭を振る。手紙はまた封筒に戻した。
まさかこの婚約にもウィスターが噛んでいるとは思わなかった。だが、これでいい。
変に期待をさせられるより、これで良かった。
「熱烈なラブレターでしたか」
「ええ。なんだか大型犬が尻尾をぶんぶんと振って待ち構えている気分だわ」
マーヤが吹き出した。我ながら言い得て妙な例えだなと感心する。
「フェルディナにいたときも、そりゃあもう尻尾ぶんぶんでしたわよ、レオン王太子殿下。でも、よかったです。とても素敵な殿方で」
「……そうね。本当、私にはもったいないくらい」
「お嬢様のお人柄ですよ。お似合いだと思います」
机の引き出しを開いて、手紙をしまう。そこには既に十通近く手紙が重なり合っている。
その奥にある、固い箱に手が触れた。
心がチクリと痛む。
その木箱には、フェルディナからの帰りに、ウィスターが贈ってくれたネックレスが入っていた。結局一度もつける勇気がなくて、箱にしまわれたままのネックレス。
とても気に入っていたネックレスだったが、気軽につけるには余りにも重たい物に成り果てていた。
そっと引き出しを閉めて立ち上がる。
「明日はお嬢様が主役の夜会になるので、とびっきりお洒落しましょうね。あ、それと奥様から、お嬢様のウェディングドレスは一緒に仕立てたいとご要望がありました。明後日にでも、仕立て屋を呼んで打ち合わせをする予定でございます」
「そう、母上らしいわね」
母上はあれからすっかりはしゃいでいる。自分や弟妹たちの着るものだの、持参品を選ぶだの、大張り切りである。
父上はそんな母上を温かく見守っているので、私もそれに倣って母上の要望にはできる限り応えようとしている。
準備はあっという間に終わるだろう。
「……この部屋で過ごすのも、あと少しね」
物心ついた時から暮らす部屋は、広くて華美で、それでも落ち着く雰囲気でなかなかに気に入っていた。けれど、フェルディナ王城の雰囲気ももう知っている。
前みたいに、不安で泣いたりなんかしない。
マーヤも少し寂しそうに、部屋を見回して、視線は私の机で止まった。
「お嬢様、感傷に浸る暇はありませんわよ。まずはその机の上を片付けていただかないと」
「ごめんなさい。さて、明日に向けてゆっくりお湯に浸かりましょう〜」
「あぁっ、逃げてもだめですよ、お嬢様」
マーヤが敢えて明るく目を吊り上げたので、私は肩をすくめてバスルームに逃げる。
これからもっと忙しくなる。




