令嬢
馬車に戻った私は、あっという間に後悔していた。
ネックレスをプレゼントしてもらって、ちょっと紳士らしい優しさを見せられただけで欲張りになってしまった。指を近くに置いたのは、欲張りな自分を制御しきれなかっただけ。
ウィスターはいつものように優しい。最後気遣って背中をさすってくれた手が、嬉しくなかったと言えば嘘になる。その時の、甘やかすような声も耳から離れない。
触らないでという強い言葉をどう受け取ったのか、分からない。突き返したジャケットも、彼の優しさを初めて無下にした自分がはっきりと可視化されているようだ。大人にならなければ。
私は深呼吸をした。
大丈夫。ウィスターなら。いつも揶揄われてばかりで意地を張ってたけど、素直になってみれば、案外優しく受け止めてくれそうな気がしていた。
気持ちを落ち着けて、気を取り直して馬車を降りる。夕陽はほとんど沈みきって、いよいよ辺りが本格的に薄暗くなっている。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと先ほどのベンチに戻った。
ウィスターは…‥ジャケットを手に取ったまま、まだベンチに座って海を見ていた。
その背中は何だか哀愁漂っている気がして、一気に申し訳なく思える。私が勝手に暴走したから驚いたのかもしれない。
「……ウィスター」
ゆっくり近寄って、ウィスターの正面に立った。足音で分かっていたはずだが、あえて私の方は見なかったのか、目が合わない。声をかけると、やがて私を見上げた。
「…ごめんなさい。疲れたのと、寒いのと、あと、色々。私が八つ当たりしちゃった。ウィスターは何も悪いことしてないのに、いっぱい助けてくれてたのに、変なことしちゃった。ごめんね」
「………………」
「………怒ってる?」
何も返事がなかったので、不安になってウィスターの顔を覗き込む。長いまつ毛に濃い群青色の瞳が、私をしっかり捉えていた。
「……怒ってませんよ」
やがて、ため息をついたウィスターがやれやれと言った様子で頭を掻いた。
「そんなしおらしく謝られたら、怒るモンも怒れないじゃないですか。全く王女殿下は狡いですね」
「……えへへ」
よかった。その口ぶりに、私は安心してまた隣に座り直した。さっきより随分暗くて、ウィスターの表情は読めない。あ、と気付いたようにウィスターがまたジャケットをかけてくれるので、素直に甘えて借りることにする。きっと、これでいい。
静かな宵に、ザァーッ……と波の音が響く。
狡いなんて、私がずっとウィスターに思っていることなのに。ウィスターも思うことあるんだな、と意外に感じた。
「……私は、今回の遠征外交で王女殿下を見直しました」
「え、そうなの?」
「正直、この話を殿下に振ったのはただ何もせずにお飾りでいても何も支障がないからです。どちらかというと、初めての外交に慣れてもらう意味合いがありました」
意外な面持ちで隣に座ったウィスターを見上げる。
こんな話を私にするとは思わなくて、彼の話に耳を傾ける。
「ただ行って無事に帰ってこれればいいと。そう思ってましたが……貴女はいつも想像の斜めをいきます。お飾りどころか、市場を大成功に導き、フェルディナとの友好も貴女のおかげで進みました。レオン王太子は立派な方でした。そんな方に気に入られるなんて、貴女の凄さも実感できた。私一人じゃ成し得なかった。……助けられたのは、私の方ですよ」
「っ………」
思ったよりしっかり褒められて、頬が赤くなるのが分かった。
ウィスターの助けになっただなんて、なんて嬉しい。嬉しいーーーー。
借りたジャケットを握りしめた。素直になれれば。将来結ばれることなんてなくても、今だけは。そう思って反射的に口を開いた。
「ねぇウィスター、わたし」
「ウィスター様っ!!!」
私の言葉は宵にスッと消えて、代わりに明るく通りの良い声が割り込んできた。二人同時に振り返ると、そこには華美ながら普段着らしいドレスを纏った、かわいらしい女性が立っていた。
「…ケイト嬢」
ウィスターが彼女の名を呼んで立ち上がったので、私も一緒に立ち上がる。
「ウィスター様、この度はこの城を使っていただいて、ありがとうございます。父に言われて、差し入れをお持ちしたところ従者の方にこちらだと伺って……あら?」
彼女は私に気付いて少し考え込んだあと、ばっと顔色が変わった。
「お、王女殿下…!!!失礼いたしました、無礼を…」
「いえ、構いませんよ」
慌ててスカートを持ち上げて頭を下げた彼女に私は微笑んだ。
「イリヤ王女殿下。こちら、ケイト・オパール伯爵令嬢です」
「初めまして、王女殿下。直接お話しするのは初めてですが、無礼をお許しください。ケイト・オパールと申します。先日は夜会のお招き感謝申し上げます」
「初めまして。よろしくお願いします」
オパール伯爵令嬢…縁談を断った伯爵家のご令嬢だ。内心でゲゲゲと気まずさ全開。しかし彼女はそんな気まずさは微塵も感じさせないように、私に微笑み返している。
そして、私は彼女の顔に見覚えがあった。
先日の夜会で、ウィスターとずっとワイン片手に立ち話をしていた、あのーーーー。
何だか全てがつながったような気がして、背中が冷える。私はさっき何を言おうとした?
私が彼女の兄、リューランドと踊っている時に見ていたのは、ウィスターと彼女の笑顔だった。ウィスターは、ここにきたのは海沿いだからとか何とか言っていたけれど、休みやすい他の領地の城なんていくらでもあったはず。
「ウィスター様が本日来られると聞いて、ささやかながら差し入れを持って参りました。我が家で母とパンを焼きまして」
「ほう、パンはありがたいですね。日持ちのする食料しか持ち歩いてないもので助かります。一緒に食べて行かれますか?」
「えぇっ、いいんですか!ぜひご一緒したいです」
王女殿下、よろしいですかとウィスターが問う。いいも何も、一緒にいたいならそう言えばいいのに。ここで否定なんてできるわけない。またひねくれそうになる心を必死に伸ばして叩いて、真っ直ぐにする。
「ええ、喜んで。色々お話聞かせてください」
私はまた、自分に嘘をつく。
ケイト嬢は、明るく朗らかな令嬢だった。さっきまでの私が惨めになるほどに。
やがて、マーヤが私たちを呼びにきて皆で城の中に入った。ケイト嬢は、ここで昔兄が転けた(なんでこんな何もないところで転けたのリューランド、という突っ込みは胸にしまった)とか、サンドイッチをカモメにとられて泣いた話なんかを、面白おかしく聞かせてくれた。
あの夜会の日、ウィスターは彼女のことを"話が面白い令嬢"だと言った。確かに他の貴族令嬢とは違い、楽しそうに話すその様はなんだか面白く、可愛らしいと思った。
夕食は、ケイト嬢が持ってきてくれたパンと、フェルディナ王城から貰った軽食をつまむような形になる。
ケイト嬢は主にウィスターに向かって話していたような気がするが、きちんと満遍なく話を振っていくような思慮深い令嬢だった。
「イリヤ王女殿下もフェルディナへ行ってこられたんですよね、いかがでしたか?」
「…海が綺麗でしたわ。またこの領地の海とは違いますね」
「そうなんです。せっかく海があるのだからアレキサンドでも観光地のようにしたいですが、なかなか難しいんです。海が一気に深くなる箇所が多くて。治安の方はいかがでしたか?」
「ええと…どうだったかしら。少なくとも私がいた時に危険を感じることはありませんでした」
「それはよかったです。我が家の領地はフェルディナに面していますが、国境を一歩越えると向こうは賊が多いようで。さすがに王城の城下町などは治安もいいんでしょうけど」
「そういえばケイト嬢は、今日は泊まっていかれるんですか?」
全く関係ない話で割り込んできたのはウィスターだった。泊まり。その言葉に妙にひやりとする。
「いえ、このあとすぐ帰ろうと思ってますわ」
「外は暗い。お一人で帰るのは危ないですよ。泊まっていかれるとよい」
「えぇっ、いいんですか!?」
「いいも何も、あなたのお家の城でしょう」
「そうですか、では私もご一緒させていただきます。…実はちょっとそのつもりで来てました。恥ずかしいけど」
「準備万端じゃないですか」
ははは、と笑い合うウィスターとケイト嬢に、私もにっこり笑顔を作った。……作れたはずだ。この二人のやりとりを聞いているのは、つらい。
諦めよう諦めようと必死になった数日間。
結局、ウィスターの存在がもっと大きくなってしまった。レオン王子に熱く見つめられて、触れられて、ウィスターにもこうしてほしかったと気付いてしまった。結果、欲張りになった自分に自己嫌悪。
何やってるんだろ、私。
ひとりごちて、パンを飲み込んだ。
さっきのは、言えなくてよかった。変に傷つくことになるところだった。パンと一緒に、私の想いもやっと飲み込んだ。
*
夜も更けて、私は水でも飲もうと食堂のほうに足を運んだ。いつもならマーヤにとってきてもらうのだが、マーヤは入浴中だ。マーヤも疲れているだろうしゆっくりしてもらいたい、私は城を探検がてら、ウロウロしていた。
応接間の方から話し声が聞こえて、私は息をのんだ。
そっと、バレないように扉の隙間から中を覗く。応接間のソファーに、二人で腰掛けて話している後ろ姿が見える。
………ウィスターとケイト嬢だ。
やめたほうがいい。
そう頭は叫ぶのに、二人の様子に私は聞き耳を立てずにはいられない。
後ろ姿しか見えないけれど、ケイト嬢はウィスターの左肩に頭を預けて寄りかかっていた。ウィスターはといえば、左腕をだらんとソファーの背もたれに預けていて、どこか彼女の肩を抱いているようにも思える。
何を話しているかまでは聞こえない。けれど、二人の間に流れる空気がただならぬものであることは、分かる。
やがて、ウィスターが少し上半身を傾けて、ケイト嬢の顔を覗き込み、そっと頬に触れてーーーー
慌てて後ろを向いた。
そのまま、音がしないようにそっと立ち去る。
……何度目かの失恋。
ウィスターに恋人がいるのは今に始まったことではない。私はその度に傷ついて、泣いて、怒ってウィスターに八つ当たりしたことだってある。
見たくないような、見てよかったような。
マーヤの言葉が頭をよぎる。
《男性は意中の相手のことを無意識に見つめて、触りたくなってしまう生き物だそうな》
ああいう感じ、なんだ。
レオン王子とはまた違う触り方。でも、やっぱり見つめて、触っていた。
諦めようと頑張ったのにいつまでもフラフラしていたから、どこかの誰かが背中を押すために見せてくれたのかもしれない。
ウィスターはただ優しくて、ただ王女を守って、ただ私の反応が面白くて揶揄っていただけ。
あわよくば、今だけは、なんて贅沢。
どうせ結ばれることはない。友人として、私のために尽力してくれたウィスターしか、私の横にはいなかった。
ずっと分かっていたような分かりたくなかったような現実を突きつけられて、私は笑った。
どこかすっきりした気がした。




