狡い
「………って感じだったのよねーーー」
私はバスタブにもたれかかりながら、ため息をついた。私の目の前ではマーヤがしゃがんで、目をキラッキラに輝かせていた。
後夜祭も終わり、あとは帰るだけ。時間はしっかり深夜で、それでも湯浴みだけはと思っていたら、マーヤにさっきのことを聞かれた。バスルームでいきなり開催される女子会である。
「素敵ですね…!!!レオン王子、豪快ですがとっても男らしい〜」
「うーん、まぁそうね、ちょっとカッコよかった」
私は天井を見上げた。レオン王子の指が、手が、目が、なんだか妙に色っぽく思えたのはさっきの話。後夜祭の会場に戻った時はまた豪快ないつものレオン王子に戻っていた。
「お嬢様」
マーヤはにこやかな笑顔で、優しく話し出した。
「女性は、愛するよりも愛される方が幸せになれるそうですよ」
「…そうなの?好きじゃない人と一緒にいて幸せになれるの?」
「お互い愛情がなければ無理でしょう。けれど、男性がしっかりと愛することで、女性は幸せを感じるそうですよ」
「そんなものなのかしら。なんだかピンとこないわね…」
「だってお嬢様、今のお話をしているときはとっても楽しそうでしたわよ」
「えっ、そう?」
「はい。レオン王太子殿下に見せてあげたいほど、楽しい思い出話をされているようでした」
確かに楽しかった。
今まであんなに真っ直ぐ、真正面から接してくれた人はいなかったと思う。アレキサンドでは皆、私を敬い、良くも悪くも気を遣う。あんなに物怖じせず、私を巻き込むのは素直にすごい。
「なぜかしら。レオン王子は豪快で、私をよく置き去りにするくらいマイペースで、全てに深い意味はなさそうなのに。でもあの手は、なんか………」
恥ずかしくなってぶくぶくと湯の中に沈む。
「ふふ。男性は意中の相手のことを無意識に見つめて、触りたくなってしまう生き物だそうな」
「そうなの?」
「ええ。隠そうとしてれば別でしょうけど。私はお嬢様に愛されてほしいです。だから、ね」
マーヤはウィンクをしてみせた。
「そうしてお嬢様を大切に扱って、よく目が合って、そして隣に座っていたら触れられる。そんな愛してくれる男性と一緒になれるように、私は願っております」
「…それって愛情表現なの?」
「ええ。私調べですけどね」
「ちなみに、さっきからのマーヤの『男性は〜』なんて雑学はどこで学んでるの?」
「私の教科書は恋愛小説でございますから」
「小説!作り話じゃない」
「まぁ!馬鹿にできませんことよ」
二人でくすくすと笑い合う。
触れてくる、なんて。そういえば、ウィスターはあんまりそういうことをしないなと思い出した。エスコートの時に手を繋いだり、頭を撫でられるくらいしか記憶がない。
レオン王子の言動が全てウィスターに繋がってしまうのは、苦しくてつらい。いつまで思い出してしまうのか、分からない。
「お嬢様には、絶対幸せになってほしいです。私はお嬢様がどこに嫁ごうとお供いたしますよ」
優しいマーヤの言葉に、うん、と笑った。
*
いよいよアレキサンドに帰る日になった。出発は昼。今から出たら王宮に着くのは夜中だろう。
ここに来た時は新鮮に感じた海の匂いも、今やすっかり慣れて何の違和感もない。適応というのはすごいものである。
フェルディナ国王夫妻と、レオン王子が見送りに出てきてくれる。
「息子が色々ご迷惑をかけたかもしれんが、これに懲りずまた遊びにきてやってくれ!」
「うむ、本当に迷惑をかけました!でもまた会えるのをお待ちしています!」
そう豪快に笑うフェルディナ国王陛下はやはりレオン王子の父親らしい。何だか二人は似ている。横では王妃殿下が「あなたも煩いんですよ」と国王に呆れているが、二人とも寄り添っていて本当に仲のいい夫妻なのだろう。昨日のレオン王子の話を思い出し、温かい気持ちになった。
「とんでもございません。国王陛下ご夫妻、レオン王太子殿下はじめ、フェルディナ城の皆様には一同大変お世話になりました。心より感謝申し上げます」
スカートを持って一礼する。
レオン王子はウィスターと握手を交わしていた。最初、友人になりたいとか悩んでいた頃のレオン王子は欠片も見えない。
「殿下」
「ええ」
ウィスターに促されて、馬車に乗り込んだ。マーヤや他の侍女たちも、後方の馬車に乗り込んでいる。さすがに帰りはウィスターと同じ馬車になるだろう。
私が乗った後、ウィスターを片手で制したレオン王子が、片手を馬車について上半身だけ馬車に乗り出してきた。
「では、イリヤ姫。また」
あっけないほどの短い挨拶だった。レオン王子と入れ替わるように、ウィスターが身を屈めて乗り込んでくる。
「ウィスター殿が乗るとその馬車は一気に小さくなるな!」
「本当に大きさが変わってくれればいいのですが。腰痛に気をつけて帰ります」
と、二人で仲良く冗談を言い合っていて微笑ましい。「出せ」というウィスターの短い合図とともに、馬車が一斉に駆け出してフェルディナ城を後にする。背後では、フェルディナ国王夫妻とレオン王子が手を振ってくれているのが見えた。そのあと流れていく城下町でも、馬車に向けて手を振る人々の姿が時折見えて、手を振り返す。
あっという間の五日間。想定よりずっと濃い内容だったけれど、フェルディナのことも、レオン王子のこともよく知れた。疲労と満足感で、私はため息をつく。
「…お疲れ様でした」
ある程度馬車が町を抜けたところで、ウィスターがため息をついてネクタイを緩めた。ウィスターも市場では色々と指示を出していて、忙しそうにしていた。夜はレオン王子の酒の相手をしていたようだし、こちらも疲れているだろう。
「えぇ、お疲れ様」
「…どうでしたか、フェルディナは」
よほど肩が凝ったのだろう。まぁこの男の地は性格の悪い皮肉者だ。二十四時間外交相手の王族やらに囲まれていたらさすがにしんどいのか、肩を回しながら何気なく聞いてきた。
「いいところねぇ。国民もみんな温かくて、なんだか私のことを随分前から知ってるみたいに話すもんだからおかしかったわ」
「確かに、年配の方は勝手に孫のように扱ってきましたね」
二人でそう言って、ウィスターが笑った。疲れてはいるけれど、私と同じで悪い疲れではない。やり切ったという表情だった。
やがて無言の馬車で、ウィスターが我慢できないというように、くつくつと笑い出した。最初は無視していたけれど、笑い声がどんどんと大きくなる。
「ちょっと」
「……くっく。いやぁ、ここまで思い出さないとは、王女殿下は本当に記憶力がないですね…」
ものすごく馬鹿にされているけれど、それよりも言われたことの方が引っ掛かった。
「記憶力?何の話?」
「いやぁ、本当に覚えてらっしゃらない…はっはっは!いやぁもう笑わせないでくださいよお腹痛い」
「な・ん・の・は・な・し?」
「いやもうちょっと待って」
ウィスターは珍しく堪えきれなさそうに笑っていて、私は意味が分からないなりに笑い転げるウィスターに釣られて笑ってしまう。なんだかんだウィスターが楽しそうにしていると、私も一緒に楽しくなってしまう。馬鹿にされているのだとは思うけれど、惚れた弱みとはこのことである。
フェルディナでのことを思い返す。ウィスターには覚えていないと言われた。何か、フェルディナに忘れ物でもしたか、何か言うことが他にあったかーーーー
「もしかして初日の夜のこと?レオン王子と何を話してたか帰りに教えるってーーー」
「違いますっ…」
私が言い終わる前にウィスターがまた吹き出した。これが違うなら私は本当に何も記憶がなかった。
「早く教えてよ!」
「はいはい。じゃあ王女殿下、あっち向いてください」
「あっち?」
「そう、あっちです」
そう言われて、ウィスターと反対方向の馬車の壁を指さされる。要するに自分を見るなということか。いよいよ何のことか分からなくなったけれど、ここまでウィスターが笑うのが珍しくて答えが気になった私は、致し方なく言われた通りに壁を向いた。
「もう、フェルディナではあんなにしっかりと話して、優雅な挨拶もできたのに、惜しかったですね。肝心なことがすっかり抜けていらっしゃる」
相変わらず嫌味ったらしいことを言いながら、急にウィスターの両手が顔の横を横切った。びっくりして、反射的に身をすくめる。
手は私に触れなかった。ただ私の顔に触れるか触れないかの場所を通っただけで、やがて首に微かな冷たさが残った。ウィスターはまだ笑いを堪えながら、私の髪の毛をそっと持ち上げて整える。
「………あああああ!!!!!!!」
この動作に何となく記憶があって、大声が出た。
いつもマーヤがやっている。私にネックレスをかける時のーーーーーー
「あのネックレス!!!!!!」
血相を変えて振り向くと、その様子にウィスターがまた笑い出す。
あの市場で、最後に買い取ると豪語して作らせたネックレス。そういえば、あれは………
「王女殿下が忘れて帰りそうだったので、私の方で買い取っておきました」
「ひゃああああ!!!!ごめんなさいッ!!!!え、え、いつっ?いつの間にっ???」
驚きすぎて、自分のものとは思えない声が出る。
「後夜祭の時ですかね。王女殿下はレオン王太子とご休憩に行かれてしまいましたので、その間に」
慌てて首元に手をやると、その感触は確かにあのネックレスだった。粒々とした触感の真ん中に、小さな宝石がひとつ。
「ごめんなさい、私っ!」
「本当ですよ。私が買い取りますとかかっこいいこと言ってたのに、すっかり忘れて。でもずっと堂々とされてるからもうおかしくって」
「やだもう…」
ウィスターが気づかなかったらあの店主たちに迷惑をかけるところだった。反省して小さくなる。
「…いくらだった?帰ったら払うわ」
「いえ、いいです。面白いものも見れましたし、今回は王女殿下が頑張ったご褒美ということで」
「えっ…?」
「不服ですか。よくお似合いですよ」
笑いを堪えた、ニヤついた顔で言われる。
鏡がないから自分の姿が見えない。けれど、さっき後ろを向いていた時のウィスターの近さと、思いがけぬ言葉に、怒りよりも嬉しさで心臓が跳ねる。
プレゼントというにはおこがましいかもしれない。けれど、ご褒美という言葉が甘く耳に残った。元々は私が言い出したことなので申し訳なさもあり、おずおずとウィスターを窺い見る。
「……いいの?本当に」
「ええ、もちろん。ご褒美がそれでよければ」
「こ、これがいいっ…!!!」
ネックレスをぎゅっと握った。
ねぇウィスター。貴方は狡い。
貴方の言葉と声と、その手と、ひんやりしたネックレス。ぜんぶが私の心を掴んで離さない。貴方はいつになったら、私を解放してくれる?
「……大事にする」
ネックレスをきゅっと握ったまま、正面を向いて座り直した。
「無くしたら怒りますよ」
なんてふざけて言うウィスターの声も、どこか甘いように聞こえてしまう。私は必死に、顔を見られないようにそっぽを向いた。顔が赤くなっているのが分かるくらい、熱かった。




