隣、だからこそ
共同市場の初日は、快晴。その日は朝から忙しかった。私は朝から参加者の前で挨拶をする予定で、マーヤに丁寧に着飾ってもらう。
梳かした髪は後ろに流して、海風に邪魔されないように油で固めてしっかり丸くまとめた。肩があいたデザインの、海の浅瀬の色のドレス。首周りが寂しくないよう大ぶりの耳飾りをつける。動きやすいように、スカートが広がったタイプではなく、ストレートなデザインで少し大人っぽい。
マーヤもある程度は人前にでることになるので、二人で試行錯誤のおめかしをする。朝からバタバタとしていると、あっという間に出発の時間になってしまった。
マーヤと二人慌てて部屋を出ると、廊下にはウィスターが立っていた。相変わらず壁に寄りかかって、腕を組んでいる。
「…………行きますよ」
昨日遅くまで飲んでいたのだろうか、低い声が少し掠れている。そんなところに気づいてしまう私も重症だ。ウィスターは私の格好を頭から足までジロジロ見て、「喋らなければお人形さんのように可愛らしいですよ」といらない皮肉を放ってきた。非常に余計なお世話だ。
「イリヤ姫、おはようございます!!」
城の入口ではレオン王子が待っていた。大きく手を広げたレオン王子は、私の格好を見るなり笑顔のまま固まってしまった。
「おはようございます、ちょっと準備に戸惑ってしまって…お待たせして申し訳ありません」
「い、いえ全然待っていません…」
「よかったです。いきましょうか」
「はい。…ちょっと待って!」
馬車へ向かおうとしたところで、レオン王子が私の手を掴んだので、心臓が跳ねて振り返る。レオン王子の顔は少し紅潮していた。
「お綺麗です。とても」
その台詞はなんだか真剣だった。ウィスターは遠回しに揶揄うようにしか褒めてくれないので、こうして真面目に言われると少し恥ずかしい。
ではいきましょうか、とレオン王子がどこか照れ臭そうに手を差し出してくれる。その手をとるのは、なんだか気恥ずかしい感じがした。
市場は既に始まっていて、例の音楽隊の演奏もあり賑やかだった。昨日も人が多かったけど、それよりも…
「人、すごいわねっ………」
人人人人人。人の波の中にテントが船のように浮いている。昨日とは比べ物にならないほど混雑していた。
買い物客は思い思いに商品を見たり手に取ったりしている。それぞれのお店の店主や売り子は、声を張り上げて客の呼び込みを行なっていた。中にはひたすら中央の広場で踊る者まで。
「………これは大盛況ね。私が来る必要なかったんじゃないかしら」
「お嬢様目当てで来られる方も多いと思いますよ。アレキサンドは大国ですが、王族は外から見ると謎に包まれています。そこの姫君が来られるとなったら、市場には興味がなくてもおいでになる方々もいるかと」
「も〜〜、そういうこと言わないでよ、すごい緊張するじゃない」
マーヤの言葉に私は小さく頭を抱えた。今まで貴族たちの前や、少数の国民の前で少し話したことはあるものの、これは全く雰囲気が違う。
誰も聞いてくれなかったらどうしよう。そもそも誰も気づかなかったらどうしよう。今更そんな不安が頭をもたげる。
馬車の扉が開いた。ウィスターかと思ったが、開けたのはレオン王子だった。
「すごい人ですね、イリヤ姫!これは既に大盛況、俺たちは不要かもしれません!!」
「レオン王子も同じこと言ってるじゃない〜〜」
豪胆な彼も同じように思うということは、余程なのかもしれない。私は天を仰いで、その様子にマーヤが横を向いて吹き出した。
マーヤが降りたあと、レオン王子の手を借りて馬車を降りる。そのまま挨拶をする舞台の方にエスコートするのもレオン王子だった。
レオン王子は歩くのが早い。一歩が大きいのだ。ここ二日で、既に私は何回か置いて行かれている。エスコートのときはさすがにペースは落としてくれていたけれど、一歩の大きさが違うので少し苦労する。
そうか、ウィスターは私の歩幅にすごく合わせてくれていたんだ、と急に今までのことを思い出す。今まで私が私のペースで歩けていたのは、ウィスターの分かりづらすぎる優しさだったのかもしれない。
……って、何でまだウィスターのことを考えてるんだろう。この恋を諦めると決めてから、しばらくはあまり話すことがなかったので忘れていた。ここ数日ずっと一緒にいたからだろうか。しばらく一緒にいると、すぐウィスターのことで思考がいっぱいになってしまう。このままじゃ考えを乗っ取られそうだ。
いい加減ウィスター離れしなさい、私。
「イリヤ姫、みんな私たちを見ています」
レオン王子がそっと耳打ちをしてくれた。はっとして顔を上げて周りを見ると、いつの間にか舞台の前まで来ていた。店主も売り子も買い物客も、音楽隊も演奏をやめていた。市場らしからぬ静けさが支配している。
「大丈夫ですよ、イリヤ姫なら。昨日のように堂々といきましょう」
「はい……ありがとうございます」
大きく深呼吸をした。広場のところで、ウィスターやマーヤたちが立ち止まってこちらを見上げている。
ねぇウィスター。
私こんなに忘れようと必死なのに、貴方は何も感じてないでしょう。
悔しい。悔しい悔しい。
私は忘れたいのに、貴方は何もしなくても記憶の彼方からやってきて、今まで気付かなかった優しさで私を翻弄する。私は諦めると決めたあの日の、絶望と悲しみ、頭に乗せられた貴方の手もまだ鮮明に覚えてるのに。
「皆さん!今回の、フェルディナ王国とアレキサンド王国の共同主催の市場にお越しいただきありがとうございます!フェルディナ王国王太子のレオンと申します。皆様のご来場、お待ちしていました!」
さすがレオン王子は声が大きい。それを張り上げているものだから、市場の隅々まで響き渡った。一瞬の間が空いた後、大歓声と拍手、そして口笛が巻き起こる。
王太子なだけあって、慣れている。その堂々とした様は、今までと見てきた彼とはまた違う自信と、力に満ちていた。
「今回の共同市場は、フェルディナとアレキサンドの新たな歴史の一歩となるでしょう。それを記念して、アレキサンド王国からもお祝いに駆けつけてくれました。イリヤ・レイ・アレキサンド第一王女でいらっしゃいます!!!」
レオン王子に手を引かれて、一歩前に。そして大きく深呼吸した。
頭はごちゃごちゃだ。ウィスターのこと、国のこと、この市場のこと。その全てが混ざって、いつの間にか私は口を開いていた。
「皆さん、はじめまして。隣のアレキサンド王国からやって参りました、イリヤ・レイ・アレキサンドと申します。ようこそフェルディナ王国へ、そして、ようこそ共同市場へ。ご来場ありがとうございます」
出だしの声は震えた。さっきと違って静かな会場。
好意的な視線ばかりではない。物珍しさにジロジロ見るような、そんな不躾な視線も感じる。
けど、大丈夫。私はお腹に力をいれて、大きく声を出した。いつかウィスターと練習したことがある腹式呼吸。
「私たちの国は隣同士です。でも、国境沿いには深い山があって、頻繁な行き来はあまりありません。私は初めてフェルディナ王国にやってきて、驚きました。何もかも違います。匂いも、景色も、人も、食事も。その全てが違います。しかし」
私は一呼吸おいて、市場を見渡した。それぞれ顔立ちが違う。買い物客も、フェルディナやアレキサンド以外の国から来ている者も多そうだ。言葉が伝わっているかは分からない。
「……だからこそ、違うからこそ、私たちは手を取り合えば、もっと素晴らしい関係になれると思います。単なるライバル関係ではなく、お互いがお互いを補完し合えるような関係です。その始まりの一歩に、この共同開催の市場はなれると思っています」
ーーー私とウィスターも、全然違う。ウィスターに支えてもらって、私はここに立っている。
私たちも手を取り合えば、素直になれれば、もっと素敵な関係になれたかしら、なんて。でも、補完し合えるなんて傲慢だ。彼に私は必要ない。
「この市場は、フェルディナ王国のお店とアレキサンドのお店を交互になるように配置しています。隣が異国の者だとやりにくい方もいるかもしれません。しかし、全くやり方の違う隣の国同士、お互いのいいところを盗み、高め合っていければ良いと思っております」
ーーー高め合うなんて、相手のことが好きになれれば。それだけで、自分は成長できる。
「そして、お買い物の際はぜひ隅々まで、どんなお店があるかご覧になってください。私たちの国は全然違うものを売っていますが、きっとこれらのものを通して、私たちの国をもっと好きになっていただけると信じています」
頭はまとまってなかった。
隣に立つレオン王子が、私をじっと見ているのが分かる。
何を話すかなんて、アレキサンドにいる頃から色々と考えて、マーヤと練習までしたのに。結局口から出てきたのはその場の私の感情に任せた言葉だった。きっと変なことも言っている。完璧な挨拶なんかじゃない。でも、私の今思っていることの全てだった。




