黄金に染まる朝
熱く、甘く、理性を溶かされるような夜が明けた。
私が目を覚ましたのは、自分の質素な自室のベッドではなく、最高級の羽毛と絹で整えられた広大な天蓋付きベッドの中だった。
背中には、規則正しく上下する分厚い胸板の感触。私の腰には、逃がさないとばかりに屈強な腕がしっかりと回されている。
(……本当に、領主様に食べられちゃったんだわ、私)
昨夜のフォンダンショコラの一件から、怒涛の勢いで寝室へと連れ込まれた記憶が蘇り、顔からボッと火が出る。
ソルスティス様の寝顔は、普段の「鉄血領主」という恐ろしげな異名が嘘のように、穏やかで無防備だった。長い睫毛と、形の良い鼻筋。触れれば火傷しそうなほどの体温。
このまま腕の中で溶けてしまいたい誘惑に駆られつつも、私の「料理人魂」がひょっこりと顔を出した。
(……朝ごはん、作らなきゃ。激務の領主様が最高の一日をスタートできるような、究極の朝食を)
そっと、彼を起こさないように腕から猫のように抜け出し、私は厨房へと向かった。
────
まだ薄暗い早朝の厨房。ひんやりとしていて、それで静かで……。
誰もいない静寂の中、私が食材庫から選び出したのは、塩漬けにして燻製にされた『グリス豚』の腹肉――つまり、極厚の「ベーコン」だ。
そして、焼きたての『白麦パン』を一斤と、『風切り鳥』の卵。
朝食の王様といえば、なんといっても「ベーコンエッグ」に尽きる。私はずっと食パンとヨーグルトだったけど。この異世界ではグルテン摂取を少し控えようと、誓っていたりいなかったり。
しかし、ベーコンエッグはただ焼くだけでは三流だ。前世の叡智を総動員した「背徳のモーニング・プレート」を構築する。
まずは、厚さ一センチに切り出した特厚ベーコンを、冷たい状態の鉄のフライパンに並べる。
ここが最大のロジックだ。熱したフライパンに肉を入れると、表面だけが急激に縮んで硬くなってしまう。弱火でじわじわと温度を上げていくことで、ベーコンの内部に閉じ込められた「極上の脂」と燻製の香りを、液体として限界まで引き出すことができるのだ。
――チリチリ……パチパチパチ……。
静かな厨房に、豚の脂が弾ける心地よい音が響き始める。名前は分からないけど、外からは変な鳥の鳴き声が聞こえてくる。記憶が戻ってから、異世界って感じをしみじみ感じる。
フライパンの底には、透き通った黄金色の脂がたっぷりと溜まっていく。ベーコンの縁がカリッと琥珀色に色づいたところで、一度肉を取り出す。
そして、フライパンに残ったこの「旨味の海(ベーコンの脂)」に、厚さ三センチに分厚くスライスした白麦パンを、躊躇いなくドボンと投入した。
「バターじゃない。豚の脂でパンを揚げるように焼く……。これぞカロリーの暴力、悪魔のトーストよ」
脂をたっぷりと吸い込んだパンは、表面がサクサクのキツネ色に焼き上がり、中には豚の旨味が髄まで染み込んでいる。
パンを取り出し、いよいよ主役の卵だ。
パンを焼いて少し減った脂の上に、風切り鳥の卵を二つ割り入れる。
――ジュワァァァァッ!!
白身の縁がチリチリと波打ち、一瞬で純白に変わる。
黄身に火が入りすぎる前に、大さじ一杯の水をフライパンの端に落とし、すかさず重い木の蓋をした。
水蒸気で表面だけを薄く加熱する「蒸し焼き」の技術。これによって、白身はプリプリ、黄身はトロトロの「完璧な半熟目玉焼き(サニーサイドアップ)」が完成する。
温めておいた漆黒の平皿に、脂を吸って輝く厚切りトーストを置く。その上に、カリカリの極厚ベーコンを二枚クロスさせるように乗せ、最後に、雪のような白身と太陽のような黄身を持った目玉焼きを、頂上に鎮座させる。
彩りと風味づけに、細かく刻んだ黒胡椒(に似た香辛料)をパラリと散らす。
「完成……。『極厚グリス豚と風切り鳥の、黄金落としトースト』」
私は淹れたての温かいハーブティーと共に銀のトレイに乗せ、足早に寝室へと戻った。
────
寝室の扉をそっと開けると、ベッドの上に上半身を起こしたソルスティス様が、眉間を深く寄せて不機嫌そうに腕を組んでいた。
私が逃げ出したと思って、怒っているのだろうか。
「……ルシェラ。朝起きて、腕の中にお前がいない絶望感が分かるか。一言欲しかったな」
「も、申し訳ありません。でも、ソルスティス様に最高の朝を迎えていただきたくて……」
「ほお♪」
私が銀のトレイをサイドテーブルに置いた瞬間。
彼の不機嫌な言葉は、ピタリと止まった。
「……この匂いは」
燻された豚肉の野性的な香りと、焦げた小麦の甘い匂い。それが混ざり合った、本能を直接殴りつけてくるような強烈な香りが、寝室の甘い空気を一気に「朝の食卓」へと塗り替えた。
「ベッドの上での朝食をご用意しました。さあ、冷めないうちにどうぞ」
ソルスティス様は手渡されたナイフとフォークを見つめ、そして皿の上の暴力的なまでのカロリーの塔を見下ろした。
「……またしても、変わったものを生み出したな。この一番上の卵、まるで今にも弾けそうに震えているが」
「まずはその卵の黄身に、ナイフで一筋、切れ目を入れてみてください」
言われるがまま、彼が慎重にナイフの刃を黄身の中央に沈めた。
――トプンッ。
薄い膜が破れた瞬間。
中から、信じられないほど濃厚で、オレンジ色に近い「黄金の液体」が、決壊したダムのようにトロリと溢れ出した。
黄身は極厚のベーコンの斜面を伝い、一番下にある脂を吸った厚切りトーストへと、滝のように絡みついていく。
「おお!」
ソルスティス様が息を呑む。
彼はすかさず、黄身がたっぷりと絡んだトーストとベーコンを一緒に切り出し、大きく口へと運んだ。
「…………ッ!!」
サクゥッ! という、トーストとベーコンが砕ける快音が寝室に響いた。
「パンの表面は恐ろしく香ばしく砕けるのに、中からは豚の甘い脂がジュワリと湧き出してくる! さらにこの厚切りの塩漬け肉……噛み締めるたびに、燻製の香りが鼻を抜け、野性的な肉の旨味が広がる」
彼は驚愕に目を剥きながら、もう一口を急いで切り分ける。
「そして……このすべてを包み込む、この黄金の卵! 塩気の強い肉と脂っこいパンを、この半熟の黄身のまろやかさが完全に中和し、信じられないほど濃厚な『一つの料理』として昇華させている! これほどまでに理にかなった、完璧な調和が朝から存在していいのか……!」
昨夜の甘い雰囲気などどこへやら。
鉄血領主は、もはや無心でナイフとフォークを振るっていた。
サクッ、ジュワッ、トロッ。
食感と味覚の波状攻撃に、彼の喉仏が忙しく上下する。皿の上にこぼれ落ちた最後の一滴の黄身すらも、パンの端切れで綺麗に拭い取り、彼は大きく、深く息を吐き出した。
「……恐れ入った。お前の料理は、夜だけではなく、朝の理性すらも、心地よく奪い去っていくのだな」
「お口に合って何よりです。これで、朝の絶望感は拭えましたか?」
私がトレイを片付けようと微笑むと、彼はスッと目を細め、私の腰を引き寄せた。
あっという間に、私は再び彼の広いベッドの上へと引きずり込まれてしまった。
「ソ、ソルスティス様? ご飯はもう……」
「お代わり……と言いたいところだが、食事は済んだ。……だが、食後の『デザート』がまだだ」
彼が覆い被さってくる。
ベーコンの燻製の香りと、彼の男性的な匂いが混ざり合い、私の心臓は朝から警鐘を鳴らしっぱなしだ。
「これから執務があるのでは……っ」
「あと一時間はある。……お前がこんな、血が湧き立つようなものを食わせるからいけないのだ。ルシェラ」
彼の唇が、私の首筋に熱い印を落とす。
「これからは毎朝、私が目を覚ました時、隣にお前がいることを……命じる。可能な限りな。……そして、朝食を私の横で一緒に食べろ。いいな」
それは実質的な「プロポーズ」に他ならなかった。
専属調理師という肩書きは、どうやら近いうちに「領主夫人」へと書き換えられることになりそうだ。
「……はい、喜んで。私の領主様♪」
差し込む朝日よりもずっと眩しい彼の笑顔に見惚れながら、私はそっと目を閉じた。
異世界に転生して見つけた、最高の食材と、最高の食べる人。
私の「美味しい毎日」は、これからは彼と共に、どこまでも熱く、甘く続いていきそうだ。




