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【連載完結】領主様と私の前世ごはん。領主様が毎日お代わりと言ってくるのですが。  作者: 逆立ちハムスター


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黄金の魔薬と傲慢なる査察官

 ファルガルド砦が「水晶穀(お米)」の農地開拓で活気づく中、王都から一人の招かれざる客がやってきた。

 財務省の査察官、バリオス伯爵。

 豪奢な馬車から降り立った彼は、香水漬けの絹のハンカチで鼻を押さえながら、辺境の砦を値踏みするように見回した。


「まったく、砂埃と獣の匂いしかしない野蛮な土地だ。ソルスティス辺境伯も、こんな場所でよく正気を保っていられるものだね」


 その日の夕刻、砦の迎賓室。

 上座でふんぞり返るバリオス伯爵に対し、ソルスティス様は氷のように冷たい無表情で応対していた。その後ろには、給仕係として控える私の姿がある。


「それで、査察官殿。我が領地の予算申請に、何か不備でも?」

「不備だらけだよ、辺境伯! なんだね、この『湿地帯の大規模農地化』というのは。しかも栽培するのは、あの馬の餌にもならない『水晶穀』だと? 貴重な国家予算を、そんな泥遊びに浪費させるわけにはいかない」


 バリオス伯爵は机をバンと叩き、鼻息を荒くした。

 どうやら王都の貴族たちにとって、水晶穀は依然として「貧民と家畜の食べ物以下」という認識らしい。ソルスティス様が提出した画期的な農業改革案は、王都の机上の空論によって握りつぶされようとしていた。


「……水晶穀の価値は、食せば分かる。今日の晩餐で、我が砦の『最高峰の恩恵』を味わっていただこう」

「ふん。辺境の田舎料理など、たかが知れているがね。まあ、王都の美食に慣れた私の舌を、少しでも楽しませてみたまえ。それと辺境伯。もうこの地に予算を割くほどの脅威はない。しけた魔物ばかり。もしこの晩餐が期待外れなら、他の予算も消えることになる。心しておくように」


 ソルスティス様が、チラリと私に視線を向けた。

 その琥珀色の瞳には、「やれ」という明確な命令と、私に対する絶対的な信頼が宿っていた。

 私は静かに一礼し、厨房へと急ぎ足で向かった。しかし内心はバグバグである。まるで、君にグループ全社の命運すべてがかかっていると言われているようなものだ。


────


(王都の気取った貴族の舌を、暴力的なまでに屈服させる料理……。上品なフレンチ風じゃダメだ。脳の髄まで『旨い』と錯覚させる、極大のスパイス攻撃で行く!)


 私が厨房で用意したのは、多種多様な香辛料スパイスだった。

 この世界にも香辛料は存在するが、主に肉の臭み消しや、単調な辛味付けに使われる程度だ。しかし、これらを複雑に組み合わせることで、世界で最も食欲をそそる「魔薬」が誕生する。


 用意したのは、黄色い色付けの『黄金花ターメリック』、爽やかな香りの『風車種コリアンダー』、そしてカレーの要となる、土のような独特の香りを持つ『土塊草のクミン』など、十数種類のスパイス。

 これらを石臼で挽き、絶妙な配合でブレンドしていく。


「ルシェラ様、また酷く刺激的な匂いが……。目がチカチカしますぞ」

「ヴァルガ料理長、玉ねぎ……じゃなくて『月影葱』の微塵切りを、三十分間炒め続けてください。焦がしちゃダメですよ。真っ黒なペースト状になるまで!」


 指示を飛ばしながら、私は大きな鉄鍋でカトブレパスバターと小麦粉を弱火で炒め、そこにブレンドしたスパイスを投入した。

 熱が加わった瞬間、スパイスの香りが「開く(ブルーミング)」。厨房全体が、抗いがたい異国情緒溢れる熱気に包まれた。これが『カレールー』の原型だ。


 別の鍋では、『紅岩牛』のすね肉を赤ワイン(バルル酒)とコンソメでトロトロになるまで煮込んでいる。そこに、炒め抜いて甘みの塊となった月影葱ペーストと、酸味の『酸棘果』、そして隠し味に『すりおろし太陽林檎』と『太陽樹の蜜』を加える。

 甘み、酸味、旨味。すべての土台が整った鍋に、先ほど炒めた特製カレールーを溶かし入れる。


 ――ボコッ、ボコッ。


 鍋の中身が黄金色から深い琥珀色へと変化し、とろみがつく。

 立ち上る香りは、もはや暴力だった。スパイシーでありながら、果実の甘さと牛肉の重厚な旨味が複雑に絡み合い、嗅ぐだけで胃袋が激しく自己主張を始める。しかし私個人はチキンカレー派だ。


 純白に輝く『水晶穀』の炊き立てを、深い皿の片側にこんもりと盛り付ける。

 そしてその半分のスペースに、熱々のカレールーをたっぷりと流し込んだ。

 仕上げに、少しの生クリーム(乳牛の濃い乳)を垂らし、彩りに青みのあるハーブを散らす。


「お待たせいたしました。『紅岩牛と黄金魔薬の煮込み(特製ビーフカレー)』、そして『特級水晶穀』の盛り合わせです」


────


 迎賓室にその皿が運び込まれた瞬間、バリオス伯爵の言葉がピタリと止まった。

 部屋中に充満する、強烈なスパイスと肉の香り。王都の洗練された(しかし単調な)宮廷料理しか知らない彼にとって、それは未知の領域からの奇襲だった。


「な、なんだこの匂いは……! 鼻の奥を直接掴まれたような……。それに、このドロドロとした茶色いソースはなんだ! 泥なのか!? 一体何を考えている!!」

「まずは一口、お召し上がりください。水晶穀に泥ソースを絡めて」


 私は恭しく頭を下げた。

 バリオス伯爵は芳ばしい匂いのせいか釣られ、訝しげにスプーンを手に取り、カレーと白いご飯を一緒に掬い上げ、恐る恐る口に運んだ。


「…………っ!?」


 カチャンッ! と、彼の手からスプーンが滑り落ち、皿に当たって高い音を立てた。

 伯爵の目が限界まで見開かれ、全身がワナワナと震えている。


「な、ななな……なんだ、これは!!」


 彼は叫びながら、慌ててスプーンを拾い直し、もう一口、さらに一口と、猛然と皿に向かい始めた。


「口に入れた瞬間、様々な香辛料が火花のように弾ける! だがただ辛いだけではない、林檎と蜜の強烈な甘みが舌を優しく包み込み、その直後に紅岩牛の暴力的な旨味が怒涛のごとく押し寄せてくる!」


なぜこうも、饒舌な食レポ貴族が多いのだろうか……。

 彼の額から、滝のような汗が吹き出した。

 スパイスの薬効成分が全身の血流を急激に促進している証拠だ。


「そして……このソースを受け止める、この白い穀物! 泥臭さなど微塵もない。それどころか、一粒一粒が自立し、モチモチとした弾力を持っている。噛むほどに広がる甘みが、香辛料の刺激を見事に中和し……次の一口を永遠に求めさせてしまう!」


 もはやハンカチで汗を拭うことすら忘れ、バリオス伯爵はなりふり構わずカレーをかき込んだ。

 顔は紅潮し、目は血走り、その姿は王都の気取った貴族の面影など微塵もない。ただ「旨いもの」に屈服した一人の飢えた男だった。


「お……お代わり! お代わりはないのかッ!!」


 皿を舐めるように空にした伯爵が、立ち上がって叫んだ。

 その時。


「――そこまでだ」


 低く、地を這うような声が室内に響いた。

 いつの間にかバリオス伯爵より先に、自分の分のカレーを綺麗に平らげていたソルスティス様が、冷ややかな瞳で伯爵を見据えていた。


「我が領の『最高峰』は堪能していただけたようだな。査察官殿。この水晶穀の農地開拓、決して無駄な投資ではないとお分かりいただけただろうか」

「あ……ああ! もちろんだとも! この穀物と、この『黄金の魔薬ソース』を王都で売り出せば、莫大な利益を生む! 予算は満額……いや、倍額で承認しよう!! だから、もう一皿だけ……頼む!」

「却下だ」


 ソルスティス様は冷酷に言い放った。


「この料理は、私の領地における『特権』だ。王都へ輸出する気など毛頭ない。予算の件、確かに承った。明朝、早々にお帰りいただくのがよろしかろう」


 有無を言わさぬ迫力に、伯爵は「ヒッ」と短い悲鳴を上げ、すごすごと席を崩した。


────


 その夜。

 厨房の後片付けをしている私の背後から、不意に強い力で腕を引かれた。

 ドンッ、と背中が冷たい石壁にぶつかり、目の前にはソルスティス様の広い胸板が立ちはだかる。いわゆる「壁ドン」というやつだ。


「ソ、ソルスティス様……?」


 見上げると、彼の琥珀色の瞳が、夜の獣のように妖しく光っていた。


「……腹が立った」


 彼は低い声で囁き、私の髪の毛を一房すくい上げて、その匂いを嗅ぐように顔を近づけた。


「あの高慢を絵に描いたのような男が、お前の作った料理を涎を垂らしながら食らう姿を見た時……あの皿ごと叩き割ってやりたくなった。お前の料理は、お前が引き出すその甘美な『毒』は、私だけのものだ」


 彼の指が、私の頬をなぞり、そのまま顎をクイッと持ち上げる。

 スパイスの熱よりもずっと熱い、彼の吐息が私の唇のすぐ近くで重なった。


「だが、お前のおかげで予算は通った。褒美をやらねばなるまい」

「ほ、褒美なんて、私はただ……」

「黙って受け取れ」


 彼が私の唇を塞ごうとした、まさにその瞬間。


「ルシェラ様ー! ヴァルガ料理長が、鍋に残ったカレーを巡って兵士たちと乱闘を……ああっ! 失礼いたしましたッ!!」


 空気を読まずに飛び込んできたエルテアさんの声に、私はビクッと肩を跳ねさせ、ソルスティス様の腕からスルリと抜け出した。


「も、申し訳ありません! お代わりを作って暴動を鎮めてきます!」

「待て、ルシェラ……ッ! クソッ……」


 真っ赤になった顔を手で仰ぎながら、私は厨房の奥へと逃げ込んだ。

 背後から聞こえたソルスティス様の苦言には、隠しきれない苛立ちと、微かな苦笑が混じっていた気がした。


 ――鉄血領主様の胃袋を掴むのは大成功だったけれど、どうやら私の心臓の方が、彼に食べ尽くされる寸前らしい。

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