8話 教官たち
「ヴィクトリア・レーヴェンハルト。階級はホワイト・ブラッドコマンダー。教育隊区隊長だ」
低く落ち着いた彼女の声が、霧の残る中庭に通った。
「お前たちが、今日から死ぬまで所属する組織の、教育を担う者だ。私の言葉は命令だ。命令は絶対だ。それだけ理解しろ」
鋭い眼を全員に向けつつ、冷気を纏わせたような低い声で、ヴィクトリアは告げる。
その言葉を聞いて、誰もが委縮した様子で、動かなかった。
「そして、一つだけ言う。私は、お前たちに生き残って欲しいと思っている。だが甘やかすつもりはない。甘やかしは殺す。厳しさは生かす。それが私の信条だ。死にたくなければ、私の言葉に従え。従いたくなければ、今ここで血契を結ぶ前に帰れ」
一歩前に出ると拳を握り固めながら、ヴィクトリアは自分のやり方を、力強い声と共に全員へ伝える。
そして、中庭が静まり返った。
「怖気ついた者はいない、と。……ふん、よろしい」
そう言うとヴィクトリアは、軽やかに後ろへと下がる。
「次は教官の紹介だ」
彼女と入れ替わるように、再びガレスが前に出た。
「教育隊には複数の教官がいる。戦術、魔術、医療、怪異学。それぞれ専門の教官が担当する。今日は主担当の教官を紹介する」
主棟の扉に向けて、彼は顎をしゃくった。扉が静かに開かれる。
最初に出てきた教官二名が、左右に分かれて整列の前に立った。魔術担当と医療担当の教官である。
軽い自己紹介があったが、狩人候補生たちの視線は、そちらに集中していなかった。
もう一度、扉が開かれる。狩人候補生たちが、そちらを一斉に見た。
男が一人、出てくる。背丈は頭一つ抜けていた。
身長は百八十八センチ、飢えた狼のような引き締められた肉体が、煤けた黒の狩人外套に包まれている。
漆黒色の髪は肩に届く長さで、後ろで雑に束ねられており、前髪が目元まで垂れていた。
顔の造形は整っているが、美しいという言葉は似合わない。
高い鼻梁、薄く引き締まった唇、深く彫られた目元。顎に短い無精髭。ほとんど表情は動かない。
深い血紅色の瞳が、整列した十八名を一度だけ見た。一瞬にして中庭の空気が変わる。
ヴィクトリアが出てきた時とは、また別の変わり方だ。彼女は威圧だった。この男は、違う。
重力のようなものがあった。引き寄せるような、あるいは押し潰されるような。
右手の手袋の指先が切り落とされていた。その素の指先に、乾いた血が黒く固まっている。
今日の血ではない。
「……あれって」
列の中ほどで、誰かが小声で言った。
「黒獅子だ……」
別の声が続く。
「本物か……?」
「……本物だろ、あの目……」
「あの人が王都を、たった一人で……」
「黙れ」
ガレスの声が短く飛んだ。狩人候補生たちが、一斉に口を閉じる。
そして男は整列の前に立った。全員を見渡す。表情は変わらない。
「レオンハルト・ヴァルグリム。お前たちの戦闘と、生存の教育を担当する。その他も少々」
彼の声は低く、よく通るものだ。そして短い沈黙が流れる。
ルシアは前を向いたまま、知らず知らず息を止めていた。この男の姿を、知っている。
王都奪還の後、血まみれで立っていた男の姿を、子供の頃に遠くから見た。
あの時の背中が、今、目の前に立っている。
「一つだけ言う。死にたくなければ、強くなれ」
レオンハルトは全員を見渡した。血紅色の瞳が、列の端から端まで静かに動く。
ただ、それだけだった。中庭に沈黙が落ちる。ゆっくりと霧が晴れ始めていた。
そして午前の鐘が、四度鳴った頃、霧は完全に晴れる。
空は青く高く、朝の光が中庭の石畳を鋭く照らしていた。昨日までの曇天が嘘のような晴れだ。
しかし空気は冷たく、日差しがあっても吐く息は白い。
石畳の濡れた部分が朝の光を反射して、黒い床に細かく光が散っていた。
入団式が正式に終わり、狩人候補生十八名が中庭に立っている。血契は無事に終了した。
血契は、一人ずつ呼ばれ、指先を刃物で切り、血を特殊な紙に押す。
契約を実行すると、何かが身体の内側に刻まれる感覚がある。
痛みではない。むしろ、重さだ。見えない重さが肩に乗ったような、そういう感覚。それが血契だ。
「これより、班分けを行う」
中庭の前に立ち、ガレスが言った。
「お前たちは、二つの班に分かれる。一班と二班。それぞれ九名。担当教官が異なる。担当の違いで訓練内容が変わることはないが、進め方は教官によって違う。どちらが楽ということもない。どちらも等しく死に近い」
「……励みになる説明ですね」
小声でリゼットが吐き捨てる。
「おい、聞こえたぞ。次また勝手に口を開けてみろ。裸の状態で昼の街中を走らせるからな」
怒気を孕めた言葉を発しながら、ガレスが全体を流し見た。
リゼットは小さく肩を竦めてから口を閉じる。その後、名前が読み上げられた。
一班、『ルシア・ノクターン』『イリス・ヴォルフェン』『セレスティア・アルヴァレイン』『リゼット・クロノヴァ』『ブリュンヒルダ・ガルヴァーン』『マリアンヌ・フェルシュタイン』そして男性が三名。二班、残り九名。
「一班の担当教官は、レオンハルト・ヴァルグリム。二班の担当教官は——」
ガレスが続けた。そして主棟の扉が再び開かれる。出てきたのは、一人の女だった。
年齢、二十七歳。身長は百六十七センチ。
細身でありながら鍛え上げられた剣士特有のしなやかな肢体。
淡い銀金色の髪を纏めたハーフポニーテールと揺れる前髪が、朝の風を受けて彼女の首筋や項の滑らかな肌を艶めかしく覗かせる。
薄い蒼銀色の大きな瞳は涼やかで、前方を静かに見渡す可憐さと強さを兼ね備えた美貌には、クールな冷ややかさと同時にどこか人を惹きつける色香が漂っていた。
月光色と黒を基調にした軽装の教官装備は、彼女の引き締められた体を包み込んでいる。
腰が絞られたジャケットのシルエットが、引き締められたウエストと、そこから立ち上がる綺麗な胸のカーブを無駄なく際立たせていた。
背中のホルスターに収められた、双剣の柄へと伸びる腕の動きに合わせ、ジャケットの内側が擦れ合う。その胸元を支えるのは、無駄な脂肪を削ぎ落とした運動による高い弾力を持つ、美しい乳の双丘だ。
大きすぎず小さすぎない、張りのあるお椀型の膨らみが、ジャケットの生地を程よく押し上げている。
左の鎖骨付近に刻まれた一本の小さな古傷が、深く開いた首元から覗き、可憐な少女の皮膚に武の痕跡として刻まれていた。
「リア・エヴァレット。階級はヴァンガード。二班、担当教官です」
彼女の言葉は落ち着いており、少し低めの声である。
狩人候補生たちがリアを見た。その多くが、次にレオンハルトを見る。二人を見比べた。
「……知り合いでしょうか?」
ルシアが小声で、イリスに尋ねた。
「さあな」
「なんか空気が……」
「しっ、また黙れって言われるぞ」
人差し指を立たせるイリス。それを見てルシアは口を閉じた。
レオンハルトとリアが、並んで整列の前に立つ。二人の間に、沈黙が生まれた。一秒。二秒。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。
宜しければ評価とブックマーク登録をお願い致します。
活動の励みとなり更新が維持出来ます。




