21話 呪術
「……でかい」
小声でブリュンヒルダが言った。
「あれが、怪異ですか?」
銃を構えながらルシアが口を開く。手が震えていた。
「ああ、そうだ」
「どうやって倒すんですか……?」
「まだ今夜は倒さない。今夜は生存者を優先する」
「……倒さないんですか?」
「規模が未知数だ。今夜の目的は生存者の保護。あれと正面から、やり合う準備が、まだできていない」
静かに自身の顎下を触りながら、今後の方針を伝えるレオンハルト。影が村の中で、また動いた。
家屋の屋根が一つ、音もなく崩れる。全員が息を呑んだ。
「今から生存者の捜索に入る。あの影には近づくな。近づかずに済む経路を選べ。影の動きはリゼットが観測する。止まれと言ったら全員が止まれ。逃げろと言ったら全員が逃げろ。俺より先に動くな」
一班へと振りながらレオンハルトは、顎に触れていた手を下げて指示を飛ばす。
「はいっ!」
「怖くていい。ただし、足は止めるな。常に動き続けろ」
静かに腕を組みながら、レオンハルトは正面を見据える。月が雲の端から出てきた。
村が再び月明かりに照らされる。影が、こちらを向いた。眼球が光る。人間の目ではない光り方だ。
複数の眼球が、月明かりの中で橙色に光る。
「……動くぞ」
レオンハルトが前に歩き出した。その後に、一班が続く。
夜の村に、狩人たちの足音が入ってゆく。――村に入った瞬間、臭いが変わる。
イリスが足を止めた。灰銀色の耳が伏せ、金色の瞳が細くなる。
「待て、全員止まれ」
「なんだ?」
「おかしい。怪異の臭いがする。だが……別の臭いが混じってる。怪異じゃない。人間でも動物でもない……」
「どんな臭いだ?」
「燃えた金属。硫黄に近い。それと……血だけど、腐ってる。新しい血じゃない。古い血を意図的に使った臭いだ……」
鼻先を手の甲で拭いながら、訝しげにな表情を晒すイリス。レオンハルトが周囲を見た。
月明かりの中、村の石畳に視線を落とす。地面に何かが描かれていた。石畳の上に、黒い線が走る。
焼き付けたような跡だ。自然には起きない形状をしている。
円弧と直線が組み合わされており、中央に古い血が固まっていた。レオンハルトが、その前に膝をつく。
「これは術式の痕跡だな」
「怪異が術式を使うんですか?」
ルシアが言った。
「怪異は使わない。これは人間が描いたものだ」
「人間が……どうして村に?」
「分からない。だが意図的に描かれている。範囲を見ろ」
「村の入口から中心部に向かって、等間隔に同じ紋様が連続しています。十メートルおきに一つ。数えると……入口から中心部まで繋がっています」
周囲を確認しながら、リゼットが報告する。
「怪異を誘導した痕跡だ」
「誰かが怪異を、ここに引き込んだということですか……?」
「ああ、その可能性が高い」
小さく頷きながら、レオンハルトは返す。全員が足元の紋様を見た。
黒い線が月明かりを受けており、乾いた血の染みが中央で光る。
「これは……呪術だ。怪異の群れを特定の場所に誘導する誘引呪術。公式には封印されている術式だ」
レオンハルトが立ち上がった。
「封印されている術式を……一体誰が……」
「それが分からない」
そう言うとレオンハルトは、生存者の捜索を続ける。村の外縁の家屋を一軒ずつ確認した。
正規部隊が前方を担い、一班が後方の家屋を確認する。
「……教官」
三軒目の家屋に入った時、マリアンヌが止まった。その声は普段と違う。
その後、レオンハルトが入った。家屋の一階、台所の床に人が倒れている。中年の女性だ。
農村の装束を着ており、エプロンが血で黒く染まっていた。
仰向けに倒れており、目が開いている。胸が動いていなかった。
遅れてルシアが中に入ると、入口の部分で足を止める。顔が白くなっていた。
「……死んでいますか」
「ああ、そうだな」
「苦しみましたか……?」
「いや、速かったはずだ」
女性の状態をレオンハルトは確認した。外傷は胸部に集中している。
「……そうですか」
そう言うとルシアが目を閉じた。
イリスが入口の外で壁に手をつく。金色の瞳が下を向いていた。尻尾がコートの内側で完全に止まる。
「……アタシは、怪異の死体を見てきた。でも、人間の死体は……」
「外で待っていろ」
「いや、待たない。ここにいる」
「なら、そのままでいい。無理に中に入るな」
それだけ言うとレオンハルトは、再び生存者の捜索を始める。すると家屋の二階に生存者がいた。
老人と子供が二名、押し入れの中に隠れていたのである。
子供は七歳前後で震えていた。老人が子供を抱いている。
「番犬団だ。もう安全だ。出てこい」
恐怖を与えないようにレオンハルトは、比較的に落ち着いた声を掛けた。
そして老人が出てくる。子供を抱えたまま、床に膝をついた。
「助かった……助かった……」
「怪我はあるか?」
「孫は無事だ。私は……足を……」
老人は視線を自らの負傷箇所に向ける。
すると彼の左足に傷があった。深くはなかったが、血が出ている。
「マリアンヌ、処置しろ」
「はいっ!」
その場に膝をついて、マリアンヌが老人の足を確認した。その手際が早い。
携帯の医療用布を使い、傷を押さえた。深い青色の目が落ち着いている。
「大丈夫ですよ。動けますか?」
「う……動ける。孫さえ連れ出してくれれば……」
「一緒に連れて出ます。安心してください」
「ねぇ、お母さんは……?」
子供がマリアンヌを見た。
「っ”……今は外に出ましょう。外に出てから話しましょうね」
一秒だけマリアンヌは動きを止めたが、無理やり口を動かし子供の頭を撫でた。
子供の母親が台所にいたことを、マリアンヌは理解している。
それでも子供の前では、落ち着いた声を出し続けた。
生存者を外に連れ出した後、レオンハルトが正規部隊の隊長と合流する。
村の外縁部、崩れた門柱の横で話した。月が高くなっており、村全体が月明かりに照らされている。
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