20話 任務開始
「覚悟を問う」
覇気の宿る声を、レオンハルトが言うと、全員が一斉に前を向く。
「今回は訓練ではない。生存者がいる可能性のある村に向かう。本物の怪異がいる。本物の死体がある。本物の血の臭いがある。今まで経験してきたものとは規模が違う。それを理解した上で問う」
両手を大きく広げながらレオンハルトは、候補生たちの意思を揺さぶるように語り掛ける。
すると夜の前庭が静まった。
「行けない者は素直に言え。強制ではない。この場で言えば評価に関係しない。ただし今言わなければ全員で動く」
鋭利な視線を周囲へと配るレオンハルトだが、それに対して誰も口を開くことはない。
レオンハルトは一名ずつ見てゆく。ルシアの手が外套の裾を握っていた。しかし前を向いている。
イリスの耳が前に向いていた。金色の瞳が真っ直ぐだ。
ブリュンヒルダが槌の柄を握り直す。黄金色の目が揺れていない。
セレスティアの胸元の魔術回路が微かに光る。深い紫銀色の瞳が静かだ。
リゼットが片目のレンズ装置を確認している。氷のような青い瞳が前を向いた。
マリアンヌが盾の位置を確認している。深い青色の目が落ち着いていた。
「よろしい、全員で行く。出発だッ!」
静かに且つ力強く、レオンハルトが言い切る。本部の門を出た時、夜の十つ時を過ぎていた。
正規の戦闘部隊が先行している。二十名の狩人が馬で先に出発していた。
教育隊は馬車と徒歩で後を追う形である。王都の北西門を抜けると、街の灯りが消えた。
農村地帯への街道が広がる。街道の両側に農地が続いており、冬を越えた土が春の夜に黒く見えた。
街道の石畳が月明かりを受けて白く伸びている。風が農地を渡り、草の臭いを運んできた。
一班が馬車の荷台に乗っている。荷台の板の上に、全員が並んで座っており、外套が夜風に揺れていた。
「……怖い、です」
しばらくして、ルシアが口を開く。それは小声だった。
「ああ、怖い……」
短くイリスが呟く。
「……アタシも怖い。正直に言う」
「怖いのは正常です」
「ですが……怖くても行くのが私たちです」
穏やかにマリアンヌが言った。
「……帰れますか、全員」
「帰ります。約束はできないけれど、帰るつもりで動きます」
「マリアンヌさん……」
「何ですか?」
「子供のこと、考えていますか?」
「ええ、考えています。だから帰ります」
「アタシも怖いけど……ここにいる全員が帰るまで、絶対に倒れない。それだけ今決めた」
荷台の端にブリュンヒルダが腕をつく。
「私が全員の動きを把握します。誰が孤立しても分かります。見えない場所には行かせません」
静かにリゼットが言い放つ。
「わたくしは術式を惜しみなく使わせていただきますわ。本日は……格好などつけていられませんもの」
セレスティアが言った。
「……隣を見て、踏み出せばいい」
ルシアは全員の顔を見る。
「そういうことです」
マリアンヌが微笑む。村まで残り十五分の距離で馬車が止まった。
先行した正規部隊から伝令が戻る。
「村の手前、五百メートルまで前進した。怪異の群れを確認。数は把握中。ただし問題がある」
「何だ?」
レオンハルトが言った。
「静かすぎる。異常なほどに」
それだけ言うと伝令は、他の者に状況を伝えに走る。全員が馬車を降りた。街道を歩く。
農地の臭いが消え、別の臭いが混じり始めた。
「血の臭い。量が多い。遠くからでも分かる」
イリスが足を止める。
「人間の血か?」
「……混じっている。怪異の血の方が多い」
「戦闘の跡だ。続けろ」
そう言うとレオンハルトは、止めていた足を進めた。やがて村が見えてきた。
石造りの家屋が並んでいる。農村の造りで、白漆喰の壁と木の屋根が、月明かりに照らされていた。
村の入口の門柱が崩れている。大きな力で押しつぶされた形だ。石の破片が街道に散らばる。
正規部隊が村の手前で止まっていた。
「教育隊、後方で待機。まだ中に入るな」
部隊の隊長が振り返った。
「状況を教えろ」
「……静かすぎる。怪異が見当たらない。十分前まで村の中で戦闘音が聞こえていた。それが突然止まった」
「正規部隊は?」
「村の外縁を確認中だ。ただし……」
隊長が言葉を止めた。
「ただし、何だ?」
「三名の斥候が村の中に入った。……十分前から連絡が取れていない」
隊長は静かに自身の眉間を手で押さえる。月明かりの中で、村が静まり返っていた。
家屋の窓に灯りがない。炉の煙が出ていない。犬の声もない。風の音だけが村を通り抜けていた。
それが不気味だ。戦闘の跡は明らかにある。
門柱が崩れ、家屋の壁に大きな傷があり、石畳に黒い血の染みが広がっていた。
しかし今、何も動いていない。
「罠かもしれないです」
低い声でリゼットが言った。
「C級以上は知性を持つ。戦闘を停止して待ち構える個体がいる」
「この静けさが作られたものだとしたら……」
「知性の高い個体がいる。誘い込んでいるのかもな」
レオンハルトが村の方向を見た。血紅色の瞳が、月明かりの中で、何かを捉えようとする。
「血界固定を使う。周囲の魔力の状態を確認する」
組んでいた腕を解くと、レオンハルトは、右手を大きく横に振るう。すると一班が一斉に後退した。
レオンハルトが、右手の手袋を外す。指先が月明かりに晒された。レオンハルトの能力が展開される。
周囲の空気が、ほんの一瞬だけ止まった。目には見えない変化である。
しかしイリスの耳が反応し、リゼットのレンズ装置の数値が動いた。レオンハルトが手袋を戻す。
「……いるな」
「どこですか?」
僅かに首を傾げるルシア。
「村の中心部。大型だ。複数の小型種に囲まれている。小型種が群れを成しているな。数は把握できていない」
「さっきの報告の個体ですか?」
「体積から推定すると、そうだ。先月の廃村の報告にあった個体と同規模だ」
外套の襟元を正しながら、レオンハルトは答える。夜の街道が静まった。全員が村の方を見る。
白漆喰の家屋が月明かりに照らされていた。窓に灯りがない。静かだ。その静けさの奥に、何かがいる。
大きな、見たことのない何かが。月が雲に隠れた。村が暗くなる。
その瞬間、村の中心部で何かが動いた。音はない。しかし、影が動いた。
家屋の屋根の高さを超える影が、月明かりが消えた村の中で、ゆっくりと動いている。
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