16話 禁忌能力
「全員の正式な評価は後で行う。今は本部に戻る事が優先だ。そして帰還後、報告書を書け。怪異の種別、発見状況、討伐方法、各自の行動。全て詳細に書け」
「うげっ……報告書まで……」
「任務は報告書を出して初めて終わる。書くまでが任務だ」
全員の顔に視線を配ると、レオンハルトは止めていた足を動かし、軽やかに歩き始めた。
夕の光が石畳を照らしている。一班が本部に向かって歩いた。
初めての怪異討伐の成功が、候補生らの外套の重さを少し変えている。
――それから三月に入った。冬が終わりかけており、王都の空気が少しずつ変化している。
朝の霜が消える時間が早くなり、昼の石畳が乾く日が増えた。
空の色が灰色から、薄い青に変わり始めていたが、どこか重さが残る。
春の手前の空気は、冬よりも不安定だ。その不安定さが、街の空気にも出ている。
最初の異変は数字だ。月次報告書の数字が、レオンハルトの机の上に積まれていた。
王都及び周辺区画での怪異目撃件数。先月比で三十七件増加していた。
「報告書を見たか?」
教官室にガレスが入る。
「ああ、見た」
「先々月比では六十二件増だ。増加率が鈍化していない。むしろ加速している」
「原因の分析は?」
「上層部が調査中だ。しかし公式見解は、まだ出ていない」
「出ていないのか、出せないのか」
「ふん……出せない状況かもしれない」
少し間を置いてから、ガレスは答えた。
「村の件は?」
そう言いながらレオンハルトは報告書を閉じた。
「王都から馬で二日の距離、東の農村地帯だ。三日前に定期連絡が途絶えた。昨日、調査に向かった別の番犬団の分隊が現地を確認した」
「その結果は?」
「……村が消えていた」
そうガレスが呟くと同時に、教官室が静まり返る。
「消えた、というのは?」
「住民がいない。百二十名が全員いなくなっていた。家屋は残っている。食事の跡も残っていた。食べかけの食事が机の上にあった。……だが全てが途中で消えた。怪異の死体が六体、村の中に残っていた。それ以外は何もなかった」
「住民の遺体は?」
「一体もなかった」
「怪異の種別は?」
レオンハルトは立ち上がった。窓から外を見渡す。王都の石畳が春先の薄い光を受けていた。
「不明。現地に残った死体は、既存の分類に当てはまらない個体だった。四肢の数が違う。骨格が人間に近いが、体積が三倍以上ある。この報告書に写真があるぞ」
そう言うと彼の席に、ガレスが一枚の紙を置く。
そのままレオンハルトが、報告書へと手を伸ばして凝視する。そこに貼られた現地調査の記録画。
怪異の死体の輪郭が描かれていた。写真ではなく手書きの記録だ。
しかしその輪郭だけで、既存の分類と違うことが分かる。
「……見たことがない」
「俺もない。長年やっていて初めて見る形状だ」
「これについて、上層部は?」
「S級指定を検討中という情報が入っている。ただし確定ではない」
「確定前に動く」
「ああ、そうなる可能性が高いな」
腕を組みながら小さく頷くと、ガレスは溜息も漏らした。
そして翌日の昼、黒針時計塔から調査員が、番犬団本部を訪れる。
時計塔の調査員は二名、黒と金の装束を着ており、腰に計測機器を下げていた。
目元だけを出した仮面をつけている。表情が読めない。
ヴィクトリアが会議室で対応した。レオンハルトも同席を命じられる。
会議室は訓練棟から離れた本部棟の三階にあるのだ。
天井が高く、長い木製のテーブルが、中央に置かれていた。
窓が大きく、王都の北側の街並みが見える。時計塔の尖塔が窓の外に見えた。
「先月から王都周辺の時間因果の乱れが観測されています」
調査員の一人が口を開く。その声は低く、性別が判断しにくい。
「時間因果の乱れ、とは?」
ヴィクトリアが問い返した。
漆黒のポニーテールが背中に流れており、深い琥珀色の目が調査員を見ている。
「怪異の存在が時間の流れに与える影響は通常微量です。しかし今月の観測データでは、その乱れが通常の七倍を超えています。特に王都の東側と南側に集中しています」
「それが意味することは?」
「大型の怪異、あるいは大量の怪異が存在する場合に起きる現象です。あるいは――」
「あるいは……?」
「禁忌能力の使用が継続している場合にも同様の乱れが起きます」
特定の単語を調査員が放つと、会議室が静寂に包まれた。
禁忌能力。それは人間が怪異の力を、意図的に取り込んで、増幅させる術式の総称。
公式には封印されており、使用した者は白棺処刑隊の処刑対象になる。
「使用者の特定は?」
「できていません。使用場所の推定は可能ですが、特定には追加の観測が必要です」
「引き続き調査を」
「はい。ただし番犬団側にも共有事項があります。禁忌能力の使用者が狩人である可能性を否定できません」
感情の含まれない、機械的な声で調査員は言うと、静かに睨みを利かせた。
それを聞いてヴィクトリアがレオンハルトを見る。彼は前を向いていた。
そして会議が終わった後、廊下でヴィクトリアが、レオンハルトを止める。
彼女の深い琥珀色の切れ長の瞳が、真っ直ぐに彼を見た。
黒と深紅の軍装が廊下のランプの光を受けており、長い黒コートの裏地の深紅が見えている。
「血界固定について、改めて確認したい」
「何を確認したい?」
「お前の能力は周囲の狂気侵食を固定する。その代償として狂気が蓄積する。それは分かっている。ただし、固定の範囲を意図的に拡張した場合の副作用は報告されていない」
「拡張したことはない」
「それは本当か?」
「ああ、本当だ」
「……時計塔の観測データに、血界固定に類似した因果の痕跡が含まれていた。調査員は明言しなかったが、それを私は見た」
少し間を置いてから、ヴィクトリアは口を開き、人差し指を彼の鼻先に向ける。
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