14話 候補生たち再び怪異を討伐に……
「受け取れなくても、拒絶しないで。それだけでいい」
「……難しい注文だ」
「難しくない。ただ慣れていないだけ」
そう言うとリアは屋上の扉へと足を進める。
「……ああ、それと今週、紅杯医療院に行くこと。これは命令よ。区隊長からの」
扉の前で足を止めると、リアは振り返らずに言った。
「……区隊長命令か」
「ええ、そうよ。逆らったら始末書を書かせるって」
「……分かった」
「本当に?」
「ああ、本当だ。今週、行く」
「そう、それならいいの。……あとこれは私の独り言だけど、孤独でいることに慣れすぎないで」
扉を開けると建物に入る前に、もう一度だけリアは口を開く。そして扉は閉められた。
屋上にレオンハルトだけが残る。彼は壁に腕をついたまま、三日月を見ていた。
王都の夜景が広がる。橙色の街灯が点々と連なり、石畳の上に光の道を作っていた。
遠くで犬が鳴く。どこかの路地で誰かの足音が石畳を踏んだ。
レオンハルトは、自分が孤独かどうかを考えたことがない。それでも自分の言葉を反芻した。
考えたことがないのか、考えないようにしてきたのか、その区別が自分でもつかないのか。
スラムでは孤独を感じる余裕がなく、番犬団に入ってからは動き続けた。
動いている間は何も考えずに済む。だから黒月血戦の三日間、動き続けた。
止まらなかった。止まれなかった。止まったら何が起きるか分からなかった。それは今も分からない。
三日月が王城の塔の向こうに完全に隠れた。星だけが残る。
下の訓練棟の窓に、一つだけ灯りがついていた。ルシアの部屋である。
眠れていないのか、まだ起きているのか、レオンハルトには分からなかった。
それでも灯りが消えるまで、しばらく無心で眺める。それが何を意味するのかも、彼は考えなかった。
夜が深くなってゆく。
――訓練が始まり三ヶ月目、冬の終わりが近づいていた。
朝の霜が昼前に溶けるようになり、石畳の上に水気が残る時間が長くなる。
空の色が真冬の灰白色から、薄い青灰色に変わっていた。
日差しが僅かに角度を変え、建物の影が短くなり始めている。
それでも夜は冷え込み、吐く息はまだ白かった。
「今日、小規模討伐任務に出る。王都南東区の廃墟区画だ。先週から怪異の目撃情報が三件入っている。種別はC級下位と推定されている。教官付きで出動。以上だ」
朝の号令を終えた後、ガレスが一班の前に立つ。
「C級……先月の任務はE級でした」
アレクが言った。
「C級下位は集団行動をしない個体種だ。数は少ない。だがE級より知性が高い。E級のように突っ込んでくるだけではない。罠を使う個体もいる」
「候補生で対応できますか……?」
「教官が判断する。以上だ」
腕を組みながらガレスは淡々と返す。出発は昼前だ。一班とレオンハルトが本部の門を出る。
全員が実戦用の外套を着込み、武器を携帯していた。
前回の任務から二ヶ月が経過しており、装備の扱いに慣れが出ている。
ブーツの履き方、外套の留め方、武器のホルダーへの収め方。細かい動作が入団当初と変わっていた。
空は曇っており、日差しがない。気温は低く、石畳が湿っていた。
路地の端に雪解け水が溜まっており、踏むと冷たい水が跳ねる。
南東区への道は、目抜き通りから外れた後、急に人通りが減った。
廃墟区画に近づくにつれ、建物の様子が変わる。窓に板が打ち付けられていた。
扉が釘で封じられている。壁の漆喰が崩れ、石が剥き出しになっていた。
街灯が壊れて修理されていない。
「……雰囲気が変わりましたね」
レオンハルトに小声でルシアが言った。
「住民が退避した区画だ。五年前に怪異の汚染が確認されて以来、住民が戻っていない」
「五年間、誰もいないんですか?」
「定期的に番犬団が清掃任務に入る。完全には掃除しきれていない」
「……掃除、というのは」
「文字通りだ」
感情が込められていない、希薄な声でレオンハルトは答えると、全員が廃墟区画に入る。
石造りの建物が密集しており、路地が複雑に入り組んでいた。人の気配が完全にない。
風が建物の隙間を通る音だけが聞こえた。石畳の上に、枯れ葉と砂が積もっており、足跡がつく。
建物の壁に黒いシミが残っていた。怪異の血の跡である。古いものは乾いて壁に染み込んでいた。
「散開せず、密集して動け。視界が狭い路地では距離を詰めた方がいい」
前を向いたまま、レオンハルトが指示を飛ばす。
「イリス、何か感じるか?」
「……いる。遠い。この区画の奥の方だ」
「数は?」
「二つか三つ。匂いが混じってて正確には分からない」
「了解した。全員、武器を手に持て。いつでも出せる状態にしろ」
右手を横に振りながら、即座にレオンハルトは命令を下す。全員が一斉に武器を構えた。
最初の痕跡は路地の角で見つかる。石畳の上に黒い血だまりがあった。乾いておらず、まだ湿っている。最近のものだ。血だまりの周囲に引きずった跡がある。何かが倒れ、引きずられた痕跡だ。
「……これ、動物でございますの?」
血だまりを見て、セレスティアが呟く。
「骨の破片が混じっている。人間ではない。野良犬か、廃区画に迷い込んだ動物だ」
「喰らった……ということかしら?」
「C級以上は捕食行動を取る」
その場に屈み込んで、レオンハルトは自身の顎を手で触れる。
彼の言葉を聞いて、セレスティアの顔から微笑みが消えた。
「血だまりから路地の奥に向かって引きずり跡が続いています。奥に巣がある可能性があります」
冷静にリゼットが、血だまりの周囲を観察した。
「正しい。ただし、巣に突っ込むな。入口を確認してから判断する」
下げていた腰を上げると、レオンハルトは歩みを緩やかに進めて、路地の奥へと進む。
建物の隙間が狭くなり、二人並んで歩けない場所が出てきた。一列となり進む。
先頭はレオンハルト、次にイリス、ルシアが続いた。しかしその時、突然として彼女が足を止める。
「……上だ」
イリスが口を開くと同時に、全員が足を止めた。建物の二階、崩れた窓枠の上に何かがいる。
C級下位の個体種だ。人間に似た体格だが、四肢の関節が逆方向に曲がり、頭部が縦に長く変形していた。
皮膚が灰黒色で、眼球が六つ並んでいる。口腔が顎の下まで裂けており、複数列の歯が見えた。
それが窓枠の上から、一班を見下ろしている。全員に沈黙が走った。
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