13話 孤独
「あなたって本当に、昔から変わらない。スラムに居た頃から、自分のことを後回しにする」
「それで生き延びてきた。何も問題はない」
「確かに生き延びてきたのは事実。でも、今はスラムじゃない」
「体に染み込んだものは、そう簡単には変わらない」
腕を組みながらレオンハルトは、静かに且つ芯を込めた声を放つ。
それを聞いてリアは少し黙った。
「屋上に行くわよ。話がある」
眉間に皴を寄せると彼女は、親指を立たせて屋上を指した。
訓練棟の屋上は、石造りの低い壁が四方を囲んでいる。
煉瓦積みの床に薄く雪が残っており、二人分の足跡がついた。王都の夜景が広がる。
街灯の橙色の光が点々と連なり、遠くに王城の塔のシルエットが見えた。
空には星が鮮明に出ており、月は細い三日月である。風がなく、高い場所なのに空気が穏やかだ。
「ねぇ、昔の話をしてもいい?」
街を見下ろしながらリアが呟く。
「何の話だ?」
「スラムに居た頃。貴方が十一歳で、私が同じ年だった頃」
「古い話だな」
「古い話をする気分なの。付き合いなさい」
「ったく……何が聞きたい?」
レオンハルトは壁に腕をついた。
「あなた、初めて番犬団の人に会った時、何を思った?」
「覚えていない」
「いや、覚えてるはず。絶対に覚えてる。あなたは覚えていないふりをするだけ」
「ふん……正直に言うと怖かった」
少し黙り込んだ末に、レオンハルトは口を開く。
「……外套が?」
「外套を着た人間が。あんな大きな武器を持って、血の臭いがして、目が普通じゃない。まるで怪物みたいだと思った」
「皮肉にも、それが今の仕事ね」
「ああ、そうだ」
「……私はね、最初に番犬団の人を見た時、格好いいと思った」
リアが少し笑った。それは小さくも静かな笑みである。
「ふっ、お前は昔から変わっていたな」
「失礼ね。でも、本当のことよ。怖いより先に、格好いいと思った。あの背筋の伸び方、視線の強さ。ああいう人間になりたいと思った」
「なれたか?」
「なれたかどうかは分からない。でも、目指してきたつもり」
静かに拳を握り固めるとリアは、レオンハルトを見つめた。そして二人が並んで街を見る。
「覚えてる? 十三歳の時、貴方が初めて訓練に参加した日」
「ああ、覚えている」
「あなた、三回連続で転んだのよ」
「それは覚えていない」
「覚えてる。絶対に覚えてる」
「……一回だ」
「三回よ。私が数えたから間違いない」
「二回だ」
「三回。石畳が凍ってた。そのたびに立って、何も言わなくて、また走って、また転んで」
「それがどうした」
「その時、思ったの。この人は絶対に泣かないんだって。転んでも泣かない、痛くても顔に出さない、助けを求めない。それが格好いいのか悲しいのか、当時は分からなかった」
「……今は?」
「今は両方だと思ってる」
「……スラムでは泣いたら終わりだった。弱みを見せたら終わりだった。ただ、それだけだ」
レオンハルトは街を眺めていた。
「スラムは今も、ここにあるの? あなたの中に」
「……さあな」
「さあな、じゃない。あるんでしょう?」
「……まあ、あるかもしれない」
「ある。見れば分かる。あなたは今も、誰かに頼ることを覚えていない。誰かに心配されることを受け取れない。自分が消耗しても気にしない。全部スラムで覚えた生き方でしょ?」
暫くレオンハルトを凝視した末に、リアは静かに両肩を竦める。それに対して彼は何も言わなかった。
「これでも心配してるのよ、私は」
「ああ、分かっている」
「分かってるなら……」
「分かっていても、受け取り方が分からない」
腕を組みながら口元を歪めるレオンハルト。するとリアが少し黙った。
夜の王都は静寂に包まれている。遠くで教会の鐘が鳴った。夜の十一時を告げる鐘だ。
「子供の頃、あなたが夜に泣いてたの、一度だけ見たことがある」
「覚えていない」
「あなたは寝てると思ってたから気づかなかったのよ。スラムの廃屋の隅で、膝を抱えて、声を殺して泣いてた」
街の夜景を眺めながらリアは、前髪をかき上げて話を続ける。レオンハルトは何も言わなかった。
「次の朝、何事もなかったように起きてきた。ご飯を分けてくれた。強がってた。ずっと強がってた」
「……昔の話だ」
「今も同じでしょう?」
「今は強がりではない。事実として問題ない」
「いいえ、問題がある。ありまくりよ。日に日に狂気蓄積が上がってる。不眠が続いてる。食事を抜くことが増えてる。それのどこが一体問題ないの?」
夜景に向けていた意識を、レオンハルトに向け直すと、リアは声に若干の怒気を込める。
レオンハルトは答えなかった。
「ねえ……孤独なの?」
静かにリアが呟く。夜の空気が静まった。星が出ている。
三日月が細く、王城の塔の向こうに傾いていた。
「……孤独かどうかを考えたことがない」
少し間を置いてから、レオンハルトは返した。
「考えたことがないって答えが、答えよ」
「…………」
「孤独を感じる余裕もないくらい、ずっと動き続けてきたのね。スラムの頃から、今まで」
「動き続けることで保ってきた。それだけだ」
「止まったら何が起きるの?」
「分からない。試したことがない」
「試してみたら?」
「今は試す状況にない」
「状況が整う日なんて永遠に来ない。貴方はそれを利用して、永遠に試さない」
「お前は……なぜ、そこまで気にする」
レオンハルトは三日月を眺める。
「昔から気にしてきたから」
「それだけか?」
「ええ、それだけよ」
少し間を置いてから、リアは短く言い切った。しかし、視線が少しだけ街の方に向く。
しばらく二人が黙って夜景を見ていた。遠くの街灯が一つ消える。石畳の上を夜風が一度だけ流れた。
「……候補生たちは良くなってきてる」
唐突にリアが話題を変える。
「ああ、同感だな」
「特にノクターンって子が、あなたに懐いている。本人は気づいていないでしょうけど」
「懐いているのではない。信頼しているんだ」
「同じことよ」
「違う。信頼は実績に基づく。懐くのは感情に基づく」
「あなたが言うと全部説明になるわね」
「事実を言っているだけだ」
「……あの子が、どんな目で貴方の背中を見てるか、見たことある?」
「見られる訳がないだろ」
「見なさい。そして受け取りなさい」
「何をだ?」
「頼られることを。心配されることを。あなたに向けられているものを」
真面目な瞳を、彼に向けながら、リアは淡々と語った。だが、レオンハルトは答えない。
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