12話 怒れる幼馴染
「……んッ……く、ふ……あ……っ……」
普段の穏やかな微笑みをたたえた唇から、耐えかねた甘く艶っぽい喘ぎ声が、荒い息とともに何度も漏れ出していた。包容力に溢れた彼女のイメージを裏切るような、背徳的な吐息が夜気に溶けていく。
深い青色の大きな瞳が熱と疲労で潤み、落ち着いた光を秘めながらも、焦りのない精密な動きで五十回のスクワットを完了する。
静かに立ち上がったマリアンヌの訓練着は、背中も胸元も汗でしっとりと濡れ、肌に密着していた。
冬の冷たい夜気の中で、彼女の熟れきった肉体から溢れ出る熱い体温が、妖しい蒸気となって立ち昇る。
「はぁはぁ……終わりました」
乱れた息遣いのままルシアが言うと、その言葉と共に全員が止まった。
全員が肩で息をしながら立ち尽くしている。
訓練着が汗で体に張り付いており、冬の夜気の中で体温が蒸気となり立ち上がる。
吐く息が白く連続して夜気に溶けてゆく。
石畳の上に汗が落ちていた。月明かりの中に、全員の影が並んでいる。
レオンハルトが全員の前に立つ。一班の訓練着姿を一人ずつ見た。乱れた髪、濡れた訓練着、汗の光る首筋。入団当初の新品の装束を着ていた頃とは、体の使い方も立ち姿も変化している。
「全員、評価する」
静かにレオンハルトは呟く。すると全員が汗を滲ませた顔を上げた。
「ノクターン。ペースが均一だった。持久力が上がっている。入団当初と別人だ」
「……あ、ありがとうございます」
ルシアの頬が赤く染められてゆく。運動の熱か、評価を受けた照れか、夜気の冷たさか、その全部か、本人にも分からない。銀灰色の髪が乱れたまま頬に張り付いており、青銀色の瞳が潤んでいた。
「ヴォルフェン。無駄がない。体の使い方が正確だ。本来の強みを完全に理解している」
「……分かった」
月明かりの下で、イリスの金色の瞳が僅かに細くなる。
「アルヴァレイン。最後まで姿勢を崩さなかった。基礎練習の成果が見える」
「励みになりますわ」
汗で乱れたプラチナブロンドの髪を、片手でかき上げながら、セレスティアが微笑んだ。
「クロノヴァ。精神が安定している。終始一定だった。だが、限界を自分で設定している。あと一割は出せたはずだ」
「はい、修正します」
「ガルヴァーン。声に出して数えたのは正しかった。全員のペースを引っ張った」
「……ふん、別に意識してねえよ。ただの無意識だ」
崩れかけた赤い髪を、ブリュンヒルダは乱暴にかき上げる。黄金色の目が月明かりの中で光っていた。
「フェルシュタイン。最後まで一定のペースを維持した。素晴らしい。条件の中での成果だ」
「子供に恥ずかしい姿は見せられませんから」
静かにマリアンヌが笑みを零す。三つ編みの髪が汗で重く垂れていた。
「以上だ。さっさと全員、宿舎に戻って眠れ」
「教官っ!」
声を上げてルシアが振り返る。汗で湿った訓練着が、夜気の中で冷え始めていた。
月明かりの下で、銀灰色の乱れた髪と上気した白い頬が、入団当初とは違う印象を作る。
「私たちを見て頂いて、ありがとうございました!」
「ふん、当然の業務に過ぎん」
「それでも言います!」
「……冷えるな。早く戻れ」
ルシアを一秒だけレオンハルトは見た。それから彼女は前を向いた。全員が小走りで宿舎に向かう。
中庭に汗の落ちた石畳の跡が残る。月が高かった。星が冴えている。静かな夜だ。
――訓練が始まり二ヶ月半が経過した夜、王都に久しぶりの晴れが続いていた。
日中は薄い陽光が石畳を照らし、積もっていた雪が昼には溶けて夕方に再び凍る。
夜になると空が完全に晴れ、星が鮮明に出た。月が欠けており、星だけが夜の王都を照らしている。
気温は低いが、風がなく、空気が澄んでいた。訓練棟の屋上に出られる扉がある。
普段は鍵が掛けられているが、夜の見回りの際にレオンハルトが使う経路だ。口論は夕食後に始まる。
廊下でリアがレオンハルトを捕まえた。月光色と黒の教官装備、淡い銀金色のハーフポニーテール。
薄い蒼銀色の瞳が、普段より鋭い光を持つ。
「昨夜、見回りに出なかったでしょう?」
「ああ、交代した」
「ガレスに押し付けたってこと?」
「いや、押し付けてはいない。ちゃんと頼み込んだ」
「なぜ?」
「その必要があったからだ」
「どんな必要よ?」
「個人的な用事だ」
少し間を置いてから、レオンハルトは返す。
「個人的な用事で夜間の見回りを人に押し付ける貴方じゃないでしょう? 何があったの?」
「何もなかった」
「はぁ……嘘をつくのが下手ね、昔から」
「お前が見抜くのが上手すぎるだけだ」
「まっ、十年以上一緒にいれば当然よ」
得意気に鼻を鳴らして、リアは腕を組んだ。
「それより狂気蓄積の数値、先週より上がってる。リゼットから直接、私に報告が来たわよ」
「なんだと? リゼットなら俺に直接言うはずだ」
「貴方が報告を受け取らないと思って私に送ってきた。あの子、賢いわね」
「……ったく、余計なことをする」
「余計じゃない。必要なことよ」
「問題ない。ちゃんと管理できている」
レオンハルトは廊下の壁に背をつける。
「管理できているうちに対処するのが正しい手順でしょ。速やかに紅杯医療院に行きなさい」
「今は時間が取れない」
「無理にでも取りなさい」
「候補生たちの訓練がある」
「私が、カバーする。一日くらいなら抜けられる」
「お前の班はどうなる」
「ガレスがいる。それより、あなたが倒れた時の方が困る」
「…………」
レオンハルトは何も言わなかった。
「……また先送りにするの?」
「先送りではない。優先順位の問題だ」
「あなたにとって、自分の体の優先順位が常に低い。それが問題だと十年以上、私は言い続けてる」
「それは……ちゃんと聞いている」
「聞こえてるなら動きなさいよ!」
「……分かった」
「本当に?」
「来週、時間を取る」
「今週よ!」
「……今週」
「約束だからね」
「約束はしない」
「またそれ……はぁ」
大きく溜息を吐き捨てるリア。
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