10話 ただのマゾの一班
「ヴォルフェン、状態を報告しろ」
夕食時にレオンハルトが言った。
「……月が、うるさい」
「うるさい、だと?」
「ああ、獣化衝動が高まる。満月の時は毎回こうだ。だが、別に暴れたりはしない。ただ落ち着かない」
「対処法はあるのか?」
「動けば落ち着く。訓練でもいい。走り込みでも」
「夜間訓練として外周走の許可を出す。ただし単独で区画外には出るな」
「……分かった」
「誰か付き合う者はいるか?」
「おう! それならアタシが行くぜ!」
即座にブリュンヒルダが立ち上がる。
「付き合わなくていい」
「付き合いたいんだ。それに最近、走り込みが足りないと思っていてな」
「……好きにしろ」
そう言うと視線を彼女から外して、イリスはそっぽを向いた。
そして夜の時が訪れると、二人が外周を走り込む。
戻ってきた時、イリスの目の落ち着きが戻っていた。
「走ったら少し静かになった」
「そうか! そりゃぁ、良かった!」
「……ブリュンヒルダ、ありがとう」
「礼はいい。アタシも走りたかっただけだ」
「……それでも、ありがとう」
少し間を置いてから、イリスは再度感謝を伝える。
そして、ブリュンヒルダのパワー訓練は、新しい段階に入っていた。
力の総量ではなく、精密制御だ。的の特定の一点だけを正確に打ち抜く。一ミリの誤差を修正する。
「また外れたな」
「外れていない! たかが二ミリだ!」
「二ミリは外れだ。同じことを言わせるな。その二ミリが戦場では生死を分ける。壁を崩すつもりが仲間の腕を砕く差だ」
僅かに怒気を込めながら、レオンハルトが言った。
「細かすぎるだろ……」
「お前の武器は大きい故に精度が必要だ。小さい武器なら、二ミリは誤差でいい。大きい武器の二ミリは許容できない」
「……難しい」
そう言うとブリュンヒルダは、再び槌を構え直す。次の一撃が、一ミリ以内に収まった。
「あっ、入った……」
「評価する。制御が安定してきたな」
「っ……教官に評価されると悔しいのに嬉しい。なんでだ!」
むず痒い表情を晒しながら槌を下ろすと、ブリュンヒルダの黄金色の目が少し光る。
そして、マリアンヌの母性エピソードは、ある夜に起きた。
ルシアが深夜に腹痛を起こしたのである。訓練の疲れと冷えが重なったものだ。
医療棟に行くほどではないが、眠れない程度の痛みである。
宿舎の廊下でルシアが、壁に寄り掛かっているところを、マリアンヌが見つけた。
「ルシアさん、顔色が悪いですよ」
「腹が痛くて……大したことないんですが……」
「大したことある顔をしています。来なさい」
部屋から温めた布を、マリアンヌが持ってきた。それを彼女の腹部に当てる。
「子供の頃から、冷えが出やすい体質ですか?」
「……はい」
「うちの子も同じです。こうするといいんですよ」
「……子供がいるのに、ここに来たんですね」
「帰るために来ています。約束しましたから」
「……お子さんは今、誰が見ているんですか?」
「夫の母です。週に一度、手紙を書いています。返事は二週間かかりますが」
「会いたくないですか……?」
「会いたいです。毎日。でも帰った時に抱きしめてあげられるように、今日も訓練します」
「……マリアンヌさんは、強い人ですね」
ルシアは少し目を赤くした。
「弱い人間です。ただ、帰る理由がはっきりしているだけで」
「帰る理由……」
「あなたにも、あるでしょう?」
「……見つけたいです。まだはっきりしていないけれど」
少し考えた末に、それをルシアは口にする。
「訓練しながら見つければいいんですよ。帰る理由は、戦いながら育つものだと思います」
聖母のような笑みを見せながら、マリアンヌは優しく彼女の頭を撫でた。
だが、その一方で宿舎の共有部屋では一班、がゲームを楽しんでいる。
訓練終わりの深夜、消灯後のわずかな自由時間に、アレクが持ち込んだカードゲームで盛り上がった。
ランプを一つだけ灯した薄暗い部屋に、全員が輪になり座っている。
結果、負けたのはブリュンヒルダだ。
「……負けた」
「罰ゲームだな」
腕を組みながらイリスが言った。
「……アタシに何をさせる気だ」
「全員で相談します」
淡々とした口調でリゼットが呟く。ブリュンヒルダを除いた全員が、小声で相談を始めた。
数分後、アレクが代表して教官室の扉を叩く。
「なんだ?」
「一班から、お願いがあります!」
扉が開かれると共に一礼してから、彼がレオンハルトと視線を交える。
「言え」
「ブリュンヒルダがゲームに負けたので、罰ゲームとして深夜の特訓を申請します! 全員で腕立てとスクワットをやります! 教官に監督してもらえますか!」
「はぁ? 罰ゲーム? 全員で……? まったく、意味が分からん……」
露骨に悩むように、頭を片手で抱えながら、レオンハルトが全員を見た。
「はいっ!」
「……それは自主的な申請か?」
「全員一致です!」
「ブリュンヒルダ、本人の意思か?」
「ああ、やる。負けたのはアタシだ。ただし全員巻き込む!」
「……馬鹿なのか、お前たちは」
「全員でやりたいので、監督をお願いします!」
「はぁ……中庭に出ろ。三十分だけだ」
少し間を置いてから、大きめの溜息を吐き捨て、レオンハルトは許可を出す。
真夜中の中庭は凍えるような寒さだ。星が出ている。
雲が完全に切れており、冬の星座が王都の上に、鮮明に広がっていた。
月が中庭の石畳を白く照らしており、積もった雪の残りが星明かりを反射している。
気温は氷点下に近く、吐く息が白い霧になり夜気の中に消えた。一班が中庭に整列する。
全員が訓練着だ。普段の訓練では外套の下に着込んでいる薄手の訓練着だ。
動きやすさを優先した素材で、上は首元まで覆う長袖、下は膝丈のタイトなものだ。
外套を脱いだ状態では、各自の体の輪郭がはっきりと見える。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。
宜しければ評価とブックマーク登録をお願い致します。
活動の励みとなり更新が維持出来ます。




