2話 トラップ構築
「甘やかしていません! 並走しているだけです!」
「…………」
「怖い時に隣にいることは、甘やかしじゃないと思います!」
「ちっ……好きにしろ」
少し間を空けてから、レオンハルトは返す。ルシアとマリアンヌは並んで渡った。
そして夜間戦闘訓練は、日が落ちた後の廃区画で行われる。灯りを持たない。
月も雲に隠れている夜を選んだ。廃区画の路地は昼でも暗く、夜は何も見えない。
石畳の感触と、壁に触れる手の感覚と、風の方向だけを頼りに動く。
「目が見えない時、何が使えると思う?」
暗闇の中でレオンハルトが言った。声の方向だけで位置が分かる。
「音だな」
イリスが言った。
「嗅覚」
「触覚」
「風」
「それだけか?」
「記憶です。訓練中に地図を覚えました。この廃区画の路地の構造なら、全て記憶しています」
仲間が続々と暗闇の中で有効なものを上げていく中、静かに手を挙げながらリゼットが口を開く。
「うむ、どれも正解だ。使えるものは全て使え」
彼女たちの解答に大きく頷いて、満足の意を示すレオンハルト。
そして訓練が開始されて、暗闇の中で一班が動いた。
イリスが先導する。金色の目は暗闇でも光を捉えた。
「右の路地に二人。一人は壁際で止まってる」
怪異役の二班の位置を嗅覚で把握し、イリスは低い声で位置を伝えた。
「罠を仕掛けてるかもしれません」
「ああ、そうだな。足元に何かある。踏まないように進む」
「……なぁ。実はアタシ……暗闇が苦手なんだ。誰かの腕を引いてもいいか……?」
暗闇の中でブリュンヒルダが小声で呟く。
「ええ、勿論です。さぁ、こちらです」
マリアンヌの声。盾を持ったまま、空いた手で彼女の腕を引いた。
「……ありがとうな。助かる」
「弱点を認めるのは強さです」
「そういうもんか」
「そういうものです」
微笑みながら返して、マリアンヌは足を進めた。
そして怪異追跡訓練は、廃区画に設置した怪異の血の跡を辿る形で行われる。
実際の怪異の血ではなく、怪異の体から抽出した臭いの成分を薄めて、石畳に点々と垂らしてあるのだ。それを嗅覚や観察眼で追い、最終的に設置された旗を見つける訓練である。
「怪異の追跡は実戦で必要だ。逃げた怪異を見失えば、後日別の場所で市民に被害が出る。必ず追え」
「イリスさんが圧倒的に有利ですよね、これ」
口角を上げながらアレクが言った。
「嗅覚だけで追うな」
彼の言葉を耳にして即座に、レオンハルトがイリスへと視線を向ける。
「なぜだ……?」
「嗅覚に頼りすぎれば、嗅覚を攪乱された時に機能しなくなる。A級以上の怪異は臭いを操作する個体がいる。複数の感覚を組み合わせろ」
「……それは知らなかった」
「実戦では知らないことが多い。知る前に死ぬことも多い。だからこそ、訓練は候補生にとって大切だ」
「……なるほど、教えてくれてありがとうございます」
少し間を置いてから、イリスは頭を下げて感謝を述べた。
「礼を言う必要はない」
「いや、言う。助かったから」
鋭い眼差しを向けて、イリスは強い意志を表情に滲ませる。
そんな彼女を見て、レオンハルトは何も言わない。
そして班対抗の作戦ゲームは、一週間に一度行われる事となる。
廃区画を使い、各班が異なる目標を持って動く。旗の奪取、人質の救出、特定区画への先着。
毎回設定が変わる。一班と二班の対立が、明確になっていた。カイルが二班の戦術を変えた。
正面突撃をやめ、分散と包囲を取り入れる。初戦で負けた後、本人なりに考えた結果だ。
一班はリゼットの未来視と、戦況演算を組み合わせた、指揮系統を確立しつつあった。
「二班が変わってきています。カイルが指揮を学んでいる。前回と同じ手は通じません」
作戦立案の場で、リゼットが口を開く。
「じゃあ、別の手を使うまでだ」
ブリュンヒルダが言った。
「その通りだ。毎回違う手を持て。同じ手を繰り返す班は読まれる」
全員の顔に視線を配りながら、レオンハルトは腕を組む。
そして罠設置訓練と奇襲戦訓練は並行して行われた。廃区画の路地に各種の罠を設置する。
糸を使った警報、石畳に置いた石の配置変化による踏み込み検知、建物の上からの落下物。
怪異に対してではなく、まず自分たちが設置した罠を、自分たちで踏まないようにする事から始めた。
「設置した罠の場所を、全員が覚えているか確認しろ。自分たちが仕掛けた罠で死ぬ事例が毎年ある」
「えっ、毎年あるんですか?」
「ある。十分に注意しろ」
「……教官、この糸の高さはどのくらいがいいですか?」
糸を伸ばしながら、ルシアが尋ねる。
「怪異の平均的な脚の高さより低く、人間の視線より低い位置。D級なら地面から二十センチ前後だ」
「分かりました。……でも、これだと人間も引っかかりませんか?」
「ああ、引っかかる。だから味方が通る経路には設置するな。経路を決めてから罠の場所を決めろ」
「順番が大事なんですね」
「全てそうだ。順番を間違えると全て崩れる」
物事は順番が大切である事を、小さく息を吐き捨てながら、レオンハルトは言う。
そして仲間を守る防衛訓練は、一班の中で最も難しいものだ。設定は単純だ。
一班の中の一名を守りながら、残りが怪異役の候補生たちの攻撃を防ぐ。
守る対象は毎回変わる。マリアンヌが守る対象になった回では、一班が圧倒的に安定した。
マリアンヌを中心に、イリスが外周を回り、ブリュンヒルダが正面を止め、ルシアが遠距離から援護する。
「今回は成功だ」
レオンハルトが言った。
「ただし問題がある。ガルヴァーン、分かるか?」
「……守りすぎた」
「そうだ。守ることに集中しすぎて前に出なかった。防衛が完璧でも、時間が経てば囲まれる。攻撃と防衛を同時にやれ」
「難しい……」
「そうだな、確かに難しい。だからこそ、お前達は訓練する」
肩を竦めながらレオンハルトは静かに返した。
だがその日の夜、訓練を終えた一班が宿舎に戻る前に、レオンハルトが廊下で全員を止める。
廊下のランプが一つだけ灯っており、橙色の光が全員の顔を照らしていた。
窓の外に夜の王都が広がる。今夜は雪が降っていた。
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