1話 訓練は次の段階へ
季節が変化していた。初実戦から二週間が経ち、王都の冬は深くなる。
朝の空気が一段と鋭く、中庭の石畳に降りた霜が、昼になっても溶けない日が続いていた。
空は低く灰色で、雪雲が常に頭上に漂う。日差しが弱く、建物の影が長い。夜が長く、昼が短い。
狩人にとって、最も厳しい季節だ。今日から訓練の内容が大きく変わる。
「今日から本格的な訓練に入る。今までは基礎だ。ここからが本番だ。生き残りたければついてこい。ついてこれなければ死ぬ。以上だ」
中庭に全員が集合すると、両班の前に立ちガレスが宣言した。
「説明が短すぎませんか?」
リゼットが呟く。
「長い説明が必要な訓練をする時間はない。やりながら覚えろ。それが本番と同じだ」
それだけ言うと組んでいた腕を解いて、ガレスは朝礼を終えて場から去る。
最初の変化は戦術授業だ。訓練棟の教室ではなく、王都の地図を広げた大テーブルを囲む形式に変わる。縮尺の正確な市街地図、路地の幅、建物の高さ、井戸や広場の位置が細かく記されていた。
「王都の市街地で怪異に遭遇した場合の戦術を考える。前提は三つだ。一、市民がいる可能性がある。二、逃げ場が限られる。三、怪異は路地を好む。これを踏まえて動け」
テーブルの前に、レオンハルトが立った。
「市民がいる場合、どこまで攻撃できますか?」
マリアンヌが尋ねる。深い青色の瞳が、地図を見ていた。
「市民への被害を避けながら、怪異を排除するのが原則だ。しかし、市民への被害ゼロは目標であって保証ではない。それでも最小にしろ」
「怪異が市民の後ろに隠れた場合は?」
「その場合は市民を先に排除する」
感情の含まれない、淡々とした口調で、レオンハルトは答える。すると途端に全員が静まった。
「ふっ、冗談だ。その場合は市民を怪異から引き離す。囮を使う、音で誘導する、煙を焚く。手段は複数ある。選べ」
「……お戯れがお上手ですのね、教官」
静かにセレスティアが微笑んだ。そして市街地戦闘訓練は、王都の立入禁止区画に隣接する廃区画で行われた。廃区画は石造りの建物が密集しており、路地が複雑に入り組んでいる。
窓枠が外れ、扉が腐り、石畳に亀裂が入っていた。
人の気配はなく、風が建物の隙間を通る音だけが響く。
廃屋の壁に、かつての住民が残したものの痕跡がある。
子供の落書き、色褪せた布切れ、割れた陶器の破片。
「ここを使って市街地戦闘の訓練を行う。一班が怪異役、二班が狩人役で始める。三十分後に交代だ」
「怪異役って、どうすればいいんですか?」
アレクが聞いた。
「怪異の動き方を学ぶには、怪異の立場で考えろ。どこから奇襲するか。どこに隠れるか。狩人の動きの何を利用するか。怪異になれ」
「なりきるってことですか?」
「ああ、そうだ。怪異の思考を理解した狩人は強い」
「ふん、それならアタシが得意そうだ」
イリスが少し口元を上げる。
「そうだな。一班の怪異役は、ヴォルフェンを中心に動け」
小さく頷いて反応すると、レオンハルトは右手を振り指示を出す。
そして廃区画での模擬戦が始まった。まずイリスが路地の陰に身を潜める。
金色の瞳が暗い路地の奥を見ていた。二班の足音が石畳に響く。
「……来る。路地の右側から二人、正面から一人」
低い声で情報を、一班に伝えるイリス。
「どうして分かるんですか?」
隣でルシアが小声で聞いた。
「足音の間隔と重さが違う。体格と歩き方で人数が分かる。あとは靴底の擦れ方」
「そんなことまで……」
「感覚だ。上手く説明できないけど分かる」
そう言うと再び意識を集中させるイリス。
やがて二班の前衛が角を曲がった瞬間、彼女が上から跳び降りた。
二段建物の窓枠から路地に降り、前衛の背後を取る。イリスの模造武器が、相手の背中に命中した。
「くっ……一体どこから……」
困惑した様子を晒しながら前衛が止まる。
「上だ。路地では上を警戒した方がいい」
武器を構えながらイリスは、助言を与えるように答えた。そして屋根上移動訓練は翌日から始まる。
廃区画の建物は密集しており、隣の建物との距離が近い。
屋根から屋根へ移動することで、路地の怪異を上から追跡できる。
しかし屋根は滑りやすく、端に出れば転落の危険があるのだ。
「落ちたら死ぬ。それだけ言っておく」
酷く落ち着いた声で、ガレスが言い放つ。
「……何の慰めにもなりません」
独り言のようにルシアが呟く。
「慰める気はない。落ちるな。以上だ」
両手を自身の腰に当てながらガレスは返す。そしてルシアが最初の屋根の端まで来て足が止まった。
次の建物まで、一メートル半の間隔がある。下は石畳だ。
「……わ、渡れません!」
「渡れるまでやれ」
「怖いです!」
「そうか、怖いか。それで?」
「……怖くても渡らないといけないですか」
「怖くても渡れ。渡れなければ屋根から追跡できない。追跡できなければ死ぬ仲間が増える」
そう言うとガレスは懐から、一本の葉巻を取り出して、口に咥えて火を点けた。
そして、ルシアは端を見る。一メートル半。地上では何でもない距離だ。
しかし、高さが変わると距離の意味が変わる。
「一緒に渡りましょう。本当は私も……怖いんです。……でも、一緒なら少し違います」
彼女の隣に、マリアンヌが来た。
「フェルシュタイン、甘やかすな」
腕を組みながらレオンハルトが言い放つ。
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