25話 動けない候補生たち……
「三体確認した。ヴォルフェン、右端から動くか?」
意識を怪異に向けつつも、彼女へと視線を向けて、レオンハルトは問う。
「いや、動かない。ここで待つ」
「……何かを感知しているのか?」
「分からない。ただ……落ち着かない……耳が痛い。あいつらから何かが出てる……」
「それは魔力だ。D級は群体で魔力を共有する。近づくと圧力を感じる。それが怪異耐性検査でやったことだ」
「なるほど……っ」
小さくイリスは頷いた。
「後列、聞こえるか?」
後ろに向けてレオンハルトが言った。
「はい、聞こえます!」
即座にルシアが答える
「今から三体と対峙する。今日お前たちに求めることは一つだ。各自の役割通りに動くこと。それだけだ。始めるぞ」
そう言うとレオンハルトが角を曲がった。三体の怪異が、人間ではない速度で顔を向ける。
眼球が四つ、それぞれが独立した方向を見た。口腔が開かれる。その瞬間、声が出た。
それは怪異の声である。言葉ではない。獣でも人間でもない、中間の、どこにも属さない音だ。
だが突如、後列のアレクが足を止める。腰が落ちた。石畳に片膝をつく。
「動けない……動けない、俺……」
彼の声は小さきものだが、それは確かに全員へ聞こえた。即座にルシアがルナ・リボルバーを構える。
しかし、その手は震えていた。銃口が揺れている。照準が定まらない。
「落ち着いて……落ち着いて……」
彼女は自分に言い聞かせていた。それでも手の震えは止まらない。――――そこへ。
「う”お”お”お”お”ッ”!」
ブリュンヒルダが叫んだ。戦場に不釣り合いな豪快な叫びである。
それはまるで自らを鼓舞するかのような、腹の底から絞り出した叫びだ。
燃えるような赤い髪が外套の上で揺れ、黄金色の目が怪異を真っ直ぐに見た。
「アタシは何も恐れない! かかってこい! 怪異共ッ!」
ドレッド・バシリカを構えて、彼女が前へと出る。
しかし、レオンハルトがブリュンヒルダより先に動いていた。
三体が前に出た瞬間、レオンハルトの右手がノクス・ハルバードの柄を、背中のホルダーから引き抜く。武器の形態変化への切り替えが一動作で終わる。
折り畳まれていた刃が展開し、鎌状の刃が夜明けの光を受け赤く脈動した。最初の一体が跳んだ。
レオンハルトが半歩横に動く。跳んできた怪異の軌道を外した。斧槍の刃が横薙ぎに走る。
怪異の上半身と下半身が分かれた。黒い血が雪の上に散る。二体目が側面から来た。
レオンハルトは振り向かない。斧槍の柄を後ろに流した。柄の後端が怪異の顎に入る。
怪異が仰け反った。そこに正面から踏み込んで、鎌状の刃を心臓部に通す。三体目が止まった。
残り一体が、前に出ることを辞めて後退する。レオンハルトが三体目に向けて歩いた。
焦りも迷いもない。歩いている。ただ、歩いていた。その歩き方が、怪異に何かを伝える。
三体目が横の路地に逃げようとした。夜哭きが腰のホルスターから出る。
散弾の一発が三体目の脚を貫いた。怪異が倒れる。石畳に黒い血が広がった。
そこへ、レオンハルトが近づく。倒れた怪異の頭部に、斧槍の刃を通した。怪異との戦闘が終了する。
全てに掛かった時間は、二十秒もなかった。路地が静まり返る。三体の怪異が石畳の上に倒れていた。
雪が黒い血に染まっていた。誰も動こうとしない。ルシアの手が、震えたまま止まっていた。
引き金を引けず、一発も撃てなかったという事実。
銃口は三体の怪異に向いていたが、そのまま固まっていた。
アレクが石畳に膝をついたまま、脂汗を滲ませた顔を上げる。
ブリュンヒルダが、ドレッド・バシリカを構えたまま、動きを止めていた。
イリスは一歩前に出ている。双刃曲刀を構えたまま、出番がなかった状態で立っていた。
金色の瞳が三体の死体を見ている。
「……速い」
小声でイリスが言った。感情のない言葉ではない。それは純粋な驚きだ。
レオンハルトが、ノクス・ハルバードの刃を、外套の裾で拭う。黒い血が外套の裾に染み込んだ。
それが重なり、また一層黒くなる。そのまま彼は振り返った。一班の全員を見る。
誰も動いていなかった。誰も撃てなかった。誰も踏み出せなかった。
ブリュンヒルダだけが、声を出して前に出ようとしたが、出番は来なかった。
それに対して、レオンハルトは何も言わない。その沈黙の中で全員が、自分の状態を理解していた。
「……一発も撃てませんでした」
最初に口を開いたのはルシアである。その声は震えていた。
「手が止まりました……訓練では撃てていたのに、本物を見たら……手が、動かなかった……」
「それが本番というものだ」
ルシアへと意識を向けるレオンハルト。
「訓練と同じようにできると思っていました……」
「誰でも最初はそう思う。そして候補生の初陣とは大抵こういうものだ。動けないまま終わる」
「教官は最初から動けましたか……?」
「いや、動けなかった。初めて実戦に出た時、俺は恐れて三歩下がった。当時の隊長が全て片付けた。全部が終わった後、自分が何もできなかったことを、俺は一晩考えた」
少し間を置いてから、レオンハルトは答える。
「……それでも続けたんですか?」
「ああ、続けた。翌日また前に出た。また動けなかった。三度目で少し動けた。それだけだ」
「……俺、腰が抜けました。訓練であれだけやって、本物を見たら腰が抜けた……」
石畳からアレクが立ち上がった。膝が震えている。
「それも正常だ」
「正常じゃないです! こんなんじゃ仲間を守れない!」
「焦るな。お前の気持ちは痛いほど理解できる。だが、まずは心と体を同調させろ。分かったな?」
「っ……は、はい……」
そう言うとアレクは唇を噛んだ。目が赤くなっていたが泣きはしない。
「一つだけ、お前たちに言っておく」
全員に向けてレオンハルトが口を開く。路地の石畳には、三体の怪異が倒れていた。
黒い血が雪の上に広がる。夜明けの光が路地の奥まで届き始めていた。
空が少しずつ白から橙色に変わってゆく。
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