23話 実戦訓練
「ふっ、獣人だから大した口を利く。アタシを舐めると怪我するぞ」
腕を組みながら、イリスは口角を上げて、白い歯を晒した。
「けっ、抜かしやがれ。だが次こそは、絶対に負けねぇ」
徐に拳を前に突き出すと、カイルは覚悟の光りが宿る瞳を向ける。
「そうか、期待しておこう」
声に僅かな弾みを持たせると、イリスも拳を前に突き出して返した。
雪が降り続けている。白い中庭の中で、一班と二班が、互いに向かい合っていた。
ライバル関係が静かに、だが確かに始まっている。
――そして訓練が始まり六週間目の夜、とある報告が入った。
夜の九つ時を過ぎた頃。王都の外縁部、南区の廃区画に隣接する路地で、D級の群体種が三体確認されたという報告が番犬団本部に届いた。目撃者は夜警兵二名。
逃げる際に一名が軽傷を負っている。
群体種は路地の奥に留まっており、現時点では市街地への侵入は確認されていない。
「話がある」
教官室の扉をガレスが開けた。レオンハルトは自分の席に座っている。
黒の珈琲のカップを置いて、彼はガレスを見た。
「ああ、聞いている」
「これは候補生の実戦訓練に使える。D級三体なら教官同伴で対応可能だ。区隊長の承認も出た」
「一班か二班か?」
「両方出す案もある。ただ区画が狭い。一班だけにした方が連携が活きる」
「……個人的には、アイツらを前線に出すのは、まだ早い気がするがな」
少し間を置いてから、レオンハルトは机の上で両手を組む。
「確かに早いな。だが相手はD級だ。条件としては最低限整っている。それに——」
「分かっている」
「いつかは必ず怪異と戦わなければならん」
「分かっていると言った」
僅かに声を荒げると、レオンハルトは徐に席から立ち上がる。
「一班に伝える。明朝、出発前に装備の点検を行わせる」
それだけガレスに伝えると、彼は教官室の扉を開けて出てゆく。
そして夜の一つ時、一班の宿舎の扉が開いた。全員が就寝していたが、扉の音で数人が目を開ける。
「全員、起きろ。重要な話がある」
レオンハルトの声が、静寂の室内に響く。全員が即座に起き上がり、訓練棟の教室へと移動した。
ランプを二つ灯す。窓の外は雪が止んでおり、夜の冷気だけが石の壁から染み出してきていた。
全員が就寝時の状態で、ルシアは銀灰色の髪を下ろしたままである。
イリスの耳は眠そうに垂れていた。
ブリュンヒルダは完全に目が覚めており、むしろ何かを期待している様子の顔を晒す。
「明日の朝、実戦訓練を行う」
はっきりとした声で、レオンハルトは事実を直球に告げた。
すると眠気が吹き飛んだのか、全員の表情が一瞬で強張る。
「南区の廃区画に隣接する路地に、D級の群体種が三体確認された。教官同伴での対応訓練だ。……まあ、本番だな。相手は本物の怪異。死ぬ可能性が十分にある」
低い声を出して、全員に緊張感を持たせる、レオンハルト。教室が静まり返る。
「今から出発前夜として、意思確認を行う。行きたくない者は今言え。強制ではない。訓練と実戦は違う。恐怖は正常だ。行けないと思う者は正直に言え。それで評価は下がらない。ただし、後から撤回はできない」
徐に腕を組みながらレオンハルトは、静かに全員の顔へと視線を配った。誰も口を開かない。
しかし、レオンハルトは全員を確実に、一人ずつ凝視するように念入りに見る。
「ノクターン」
「はい! 行きます!」
彼女の声は少し震えていた。けれど、ルシアの顔は前を向いている。
「ヴォルフェン」
「当然だろ」
自身の胸を右の拳で叩いてイリスは返事をした。
「アルヴァレイン」
「楽しみですわね」
「楽しみにするな」
「……行きます、ということですわ」
口元を緩めながら、セレスティアは肩を竦める。
「クロノヴァ」
「行きます。データが取れます」
「データの為に行くな。目的を間違えるな」
「……行きます、仲間と共に」
優しく右手を自身の胸元に添え、リゼットは言葉を選び直した。
「ガルヴァーン」
「待ってたぜ!」
豪快に右腕を回しながら、ブリュンヒルダは白い歯を見せる。
「フェルシュタイン」
「もちろん、行きます。皆さんを必ず帰します」
凛とした表情のまま祈りを捧げるように、マリアンヌは自分の前で両手を組む。
「よろしい、明朝の出発まで眠れ。眠れなくても横になれ。体力を温存しろ。以上だ」
全員の返事を聞いてレオンハルトは、今一度全員を見渡してから、手を叩き部屋に戻るように告げた。
そして全員が部屋に戻るが、誰一人として眠れる者はない。
ルシアは天井を見つめたまま、夜明けを待った。
二段ベッドの上段から、薄い窓の隙間を見ている。雪の反射で夜なのに、外が僅かに白く見えた。
下段ではマリアンヌの静かな呼吸が聞こえる。
眠れているのか、眠れているふりをしているのか、分からなかった。
「……マリアンヌさん」
「起きていますよ。どうしました?」
「怖い……ですか?」
「ええ、怖いです」
「でも……行けますか?」
「行けます。怖いと行けないは別のことです」
「……私、教官の背中を見て、ここに来たって言ったじゃないですか」
天井を見続けているルシア。
「はい、確かに言っていましたね」
「前を見ろって言われました。……でも、前が怖い時、どこを見ればいいんですかね」
「隣を見ればいいんじゃないですか?」
少し間を置いてから、マリアンヌは返す。
「隣……」
「あなたの隣には私がいます。イリスさんもいます。みんないます。前が怖い時は、隣の人を見て踏み出せばいい。それだけです」
「……ありがとうございます」
少しだけルシアは息をついた。
「おやすみなさい。少しでも眠れますように」
母親のように、温かみのある声を掛けて、目を閉じるマリアンヌ。
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