20話 憧れを捨てましょう
「最後まで対象を人として扱うためだ」
「なるほど……そう言う理由があったんですね……」
小さく頷いてマリアンヌは目を閉じた。少しだけ、唇が動く。
「まあ大抵の場合、彼女たちが動いたという噂が立つと、狩人の間に緊張が走る。自分かもしれないと全員が思う。だが、それ自体が怖いのではない。本当に怖いのは自分が仲間を危険に晒すかもしれないという恐怖だ」
「教官は……自分が白棺処刑隊に処刑される可能性があると思いますか……?」
震える手を挙げながらルシアが言う。
「ああ、可能性はゼロではない。俺の蓄積量は標準より高い。それは事実だ」
真っ直ぐに彼女を見ながら、レオンハルトは堂々たる声で返す。それを聞いてルシアが息を呑んだ。
「それでも続けるんですか……?」
「ふっ、当然だ。お前たちを前線に出す前に死ぬわけにはいかない」
鼻で笑うように返すと、レオンハルトは黒板に記された文字を消す。教室が完全に静まり返った。
イリスの尻尾が、コートの内側で止まる。ブリュンヒルダが机上の拳を、静かに握り直した。
「教官、王都奪還の夜のことを、少し聞かせて貰えませんか?」
暫く沈黙が続いた後、アレクが手を挙げる。
「なぜだ?」
「実体験を聞きたいです。怪異の怖さを、数字じゃなく、言葉で聞きたい」
「……いいだろう、一部だけ話す」
少し間を置いてから、レオンハルトは返す。全員が静かに前を向いた。
「あれは黒月の夜だった。空の月が黒く染まり、王都全体の魔力濃度が跳ね上がっていた。怪異の数は後に三千体以上と記録されているが、正確には数えていない。数える余裕がなかった」
黒板に背を向けて、レオンハルトは全員を見る。血紅色の瞳が、ランプの光に照らされていた。
「市街地に入った時、すでに狩人部隊の残骸があった。残骸、というのは文字通りだ。人間の形をしていないものもあった。軍の兵士は逃げていた。路地に死体があった。民間人の死体も、兵士の死体も、怪異の死体も、区別がつかない状態で混じっていた」
かつての王都の惨状を思い起こしながら、レオンハルトは当時の状況を語り続ける。
誰も声を出さなかった。
「最初の六時間は走り続けた。止まれば囲まれる。囲まれれば死ぬ。怪異の群れの中を動き続けながら、一体ずつ片付けた。剣で斬り、銃で撃ち、燃やした。D級の群体種は数が多かった。百体単位で動いていた。それを散らしながら進んだ」
「……恐怖は感じましたか?」
小声でルシアが尋ねる。
「ああ、感じた。感じなかったと言えば嘘になる。ただ、恐怖を感じている時間がなかった。感じる前に次の怪異が来る。それだけだった」
「一番、辛かった場面は……?」
質問をルシアが続けた。
「……三日目の夜、地下聖堂で出会った個体がいた。それは元狩人だった。自我が残っていて、言葉を話した。助けを求められた」
一秒だけ口を閉ざして黙り込むレオンハルトだが、過去の出来事を未来の者に話すのは重要だとして、再び重たい口を開く。
「…………」
「それでも斬った」
一切の誤魔化しなく、全員に事実を伝えるレオンハルト。教室が完全に静まり返った。
霧の白さが窓から差し込んでいる。ランプの炎が静かに揺れていた。
「……それが一番辛かった。それ以上は話さない」
眉間を手で押さえながら、レオンハルトは微かに声を震わせる。しばらく誰も口を開かなかった。
「教官殿は、すごい方ですわね」
静寂を破るように、最初に口を開いたのは、セレスティアである。
普段の微笑みとは少し違う、穏やかな声だ。
「正直、憧れますわ」
「憧れるな」
即座に否定を返すレオンハルト。
「なぜですか?」
「俺のようになりたいのか?」
「……それは」
「三日眠れなかった。水の代わりに血の混じったものを飲んだ。地下で腐臭の中を歩き続けた。戦いが終わった後、立ったまま意識を失った。周囲に何があったか分かるか?」
「……死体の山、でしわたよね。たしか」
「そうだ。それが俺のやったことだ。英雄の話じゃない。生き残る為に殺し続けた話だ。憧れるものは何もない」
「でも、街を救ったことは事実ですわ」
「結果がそうだっただけだ。俺が何かを守ろうとしたわけではない」
「では、教官殿は一体何の為に戦ったんですの?」
「……止まれなかった。それだけだ」
少し間を置いてからレオンハルトは、空気が抜けたような声を出した。
それを聞いてセレスティアは、微笑みを少し引っ込める。
「……寂しいお答えですわね」
「戦場とは、そういうものだ。だが最後に一つだけ言っておく。俺の話を聞いて、狩人に憧れた者がいるなら、その気持ちは今すぐ捨てろ」
真剣な表情と声を晒しながら、レオンハルトが全員を見渡す。
「……ど、どうしてですか?」
細い声でルシアが尋ねた。
「憧れは判断を鈍らせる。俺のようになりたいという気持ちは、俺と同じ動き方をしようとすることに繋がる。俺の動き方は、俺の体質と経験に基づいている。お前たちには通用しない。真似れば死ぬ」
「では……何を目標にすればいいんですか?」
「生き残ることだ。仲間を生きて帰すことだ。それ以外に目標はいらない」
「……それだけですか」
「それだけで十分だ。生き残れば次がある。次があれば強くなれる。死んだら何も残らない」
「私は……教官の背中を見て、ここに来たんです。それは憧れじゃないんですか……?」
机の上でルシアは手を握る。包帯の取れた右手首に、まだ薄い痣が残っていた。
「きっかけとして使うのは構わない。ただし、今後は俺の背中じゃなく前を見ろ。俺の背中を見ていたら、俺が死んだ時に止まる」
レオンハルトはルシアを見た。
「……っ」
「お前が見るべきものは俺じゃない。お前自身の前だ」
「は、はい……」
目を赤くしながら、ルシアは前を向く。泣かなかった。唇を引き結んで、ただ前を向く。
それを見て、レオンハルトは何も言わなかった。窓の外の霧が、少しずつ薄れ始めている。
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