19話 白棺処刑隊
「あっ、ところでヴォルフェンは、どう見ているの?」
「有望だ。今の一班で最も前線に出せる状態に近い」
「獣人差別の件は?」
「本人が言ったように、結果で示すしかない。環境は変えられない。変えられるのは本人だけだ」
「……貴方って、本当に昔から変わらないわね」
「変わったら困るのは、お前だろ」
「はぁ……。そう言えば夜は、ちゃんと眠れてるの?」
扉の前で止まると、リアは振り返らずに言う。部屋が静寂に包まれた。
「ああ、眠れている」
「噓ね、貴方の顔を見ていれば分かる」
「……お前には関係ない」
「関係ある。十年も関係がある。貴方が眠れていない時の目を私は知っている」
「……案ずるな、ちゃんと今夜は眠る」
筆を取ろうと静かに手を伸ばすレオンハルト。
「約束?」
「約束はしない」
「……ふん、相変わらずね。でも、必ず帰ってくること。それだけは約束して」
そう言うとリアは扉を静かに開けた。だが、レオンハルトは答えない。彼女は扉を優しく閉めた。
部屋には静けさだけが残る。中庭の窓の外で、一班の候補生たちが、まだ動いていた。
昼の休憩を返上して、ルシアが七十メートルの的に向け、構えを取り続けている。
銀灰色の髪が風に揺れ、青銀色の瞳が的を見ていた。レオンハルトは、その姿を暫く眺めている。
それから彼は再び筆を取り直した。そして訓練が始まり四週間目、今日は朝から霧が濃い。
夜明け前に発生した霧が、昼になっても晴れなかった。
王都全体が白い霧に包まれており、中庭の向こう側の建物の輪郭が霞んでいる。
まだ街灯は灯っており、橙色の光が霧の中に滲んでいた。石畳は湿気で濡れており、空気が重く冷たい。
今日は午後から怪異講義だ。訓練棟二階の教室に、一班が集まった。
石造りの部屋、木製の机と椅子、正面に黒板。窓から霧の白さが差し込んでいた。
ランプが二つ灯っており、部屋の中だけが橙色の光に包まれている。
「怪異の種類について話す」
黒板の前にレオンハルトが立った。彼が黒板に文字を書いた。E級からA級、そしてその上。
「お前たちはE級の標本を見た。今日は、それ以上の等級の話をする。写真はない。言葉だけで伝える。戦場で見た時に一致させろ」
「S級は本当に存在するんですか?」
リゼットが言った。片目のレンズ装置が、光を反射している。
「存在が秘匿されている。公式には答えられない」
「非公式には?」
「……いる」
小さき声でレオンハルトは答える。すると教室が静まり返った。
「B級の説明から始める。B級は国家脅威級だ。王都の城壁を、一体で突破する力を持つ。これが複数出た場合、正規軍では対応できない。番犬団でもB級一体に対して、分隊一つを当てるのが標準的な対処だ」
「分隊は何人ですか?」
「八人だ。B級一体に八人。それでも死者が出る」
「A級は?」
「A級は中隊を動かす。四十人以上だ。それでも半数が生きて帰れれば良い方だ」
「……そんなに強いのか」
机の上で拳を握り込むブリュンヒルダ。
「ああ、強い。だが強さより厄介なのは特性だ。怪異の恐ろしさは力だけではない」
そう言うとレオンハルトは黒板に書いた。『知性』『適応』『汚染』
「A級以上になると知性を持つ個体が出る。言語を理解する。罠を仕掛ける。弱点を隠す。戦い方を学習する。二度同じ手は通じない場合がある」
「それって……まるで人間みたいですね」
静かにルシアが呟く。銀灰色の髪がランプの光に照らされており、青銀色の瞳が少し揺れていた。
「元人間だった個体もいる。それが最も厄介だ」
「元、人間……」
「怪異化した人間だ。記憶が残っている場合がある。人間の戦い方を知っている。人間の弱点を知っている。人間の言葉を話す場合がある」
「話しかけてきたら、どうすればいいんですか?」
「聞くな。応えるな。即座に殺せ」
「……割り切れないです」
唇を噛み締めるルシア。
「割り切れなければ死ぬ。それだけだ。次に、狩人が狂う理由を話す」
黒板に記された文字を消すと、レオンハルトは新しい内容のものを書いた。
『狂気蓄積』『血の汚染』『精神侵食』
「怪異と長く戦い続けると、狩人の精神に蓄積が起きる。怪異の放つ魔力は、人間の精神に少しずつ影響を与える。一度の接触は微量だ。しかし、積み重なる。十年、二十年戦い続けた狩人の精神には、見えない重さが溜まっている」
「それが暴走の原因ですの?」
静かにセレスティアが尋ねる。深い紫銀色の瞳が、レオンハルトを見ていた。
胸元の聖血魔術回路が、ランプの光を受けて薄く光る。
「原因の一つだ。もう一つは血の汚染だ。怪異の血を長年浴び続けると、体組織に変質が起きる。皮膚の色が変わる。瞳の色が変わる。感情の制御が難しくなる」
「治療はできないんですか?」
「紅杯医療院が処置を行う。しかし、完全には戻らない。……まあ、進行を遅らせる程度だ」
「……教官は」
ルシアが何かを言いかけた。
「続けろ」
彼女に顔を向けるレオンハルト
「教官は蓄積が……あると、前に言っていましたよね」
「ああ、そうだな」
「怖くは……ないんですか……?」
大きく震える瞳を晒して、それをルシアは口にした。途端に教室が静まる。
「怖いと思う余裕がない」
少し間を置いてから、レオンハルトは答えた。
「……そういうものですか」
「ああ、そういうものだ。次に、狩人同士の戦闘について話す」
彼女から意識を外すと、全員に目を配りながら、レオンハルトは話題を変える。
すると全員が前を向いた。
「狩人が狂化した場合、一般の兵士では対応できない。戦闘能力が残ったまま、理性だけが消えた狩人は、怪異より危険な場合がある。なぜなら狩人の戦い方を知っているからだ。弱点も知っている。死角も知っている」
「だから白棺処刑隊が必要なんですね」
リゼットが言った。
「ああ、そういうことだ。これより、白棺処刑隊の説明をする」
そう言いながら、レオンハルトは黒板に文字を書き記す。『白棺処刑隊』
「番犬団の内部、粛清専門部隊だ。狂化した狩人の処分、反逆者の処刑、国家機密の抹消を担う。特徴的なのは、全員が白装束を着用している事だ。そして彼女らは感情を排する為の教育を受けている。あと、処刑前に必ず対象の名前を呼ぶ規則があるな」
「……名前を呼ぶのは、なぜですか?」
手を挙げてマリアンヌが静かに聞いた。
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