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1話 集う志願者たち

 朝の四つ時を過ぎた頃から、列ができ始めた。

 王都の北区、灰燼の番犬団本部へと続く石畳の大通りに、人の列が伸びている。

 夜明けから二時間も経っていない時刻だというのに、すでに百人を超える志願者が並んでいた。


 空は薄曇りで、朝の光が雲越しに拡散し、街全体に均一な灰色を落としている。

 風はなく、冷気が石畳の上を這うように漂う。吐く息が白く、すぐに消えた。

 列は番犬団本部の正面門から始まり、大通りを折れ、路地の角まで伸びている。


 本部の正面門は高さ六メートルの鉄製の両開き扉で、表面には番犬団の紋章、灰色の焔の中に牙を剥いた犬が浮き彫りにされていた。


 門柱は黒みがかった石灰岩で組まれており、左右それぞれの柱の上部に、無言で前方を睨む石造りの犬の像が据えられている。

 門の奥には中庭があり、その先に五階建ての主棟が聳えていた。


 主棟の外壁は、長年の煤と血が染み込んで、本来の石灰岩の色を失っている。

 窓は小さく、採光より防御を優先した設計で、どの窓からも光が漏れていない。

 建物全体が重く、低く、見る者に圧迫感を与える。


 美しさを意図していない。機能だけを積み上げた結果の形だ。

 一方で列に並ぶ志願者の顔は様々である。前の方に立っていたのは、二十歳前後の女だ。


 髪は明るい茶色で、肩のあたりで切り揃えられている。体格は細身だが、姿勢がいい。

 背筋が伸びており、顎が上がっている。両手をきつく握り、腹の前で組んでいた。


「ねえ、本当に受けるの? あの門、見た? 中に入ったら最後な気がするんだけど」


 彼女の横に並んでいた、同年代の見た目の女が声を掛ける。


「もちろん、受ける」

「でも、死ぬかもよ。平均生存期間八ヶ月って聞いた。八ヶ月だよ?」

「知ってる」

「知ってて来たの? 正気?」

「正気じゃなきゃ、ここには来ない。正気だから来た」


 茶色い髪の女は、初めて横を向いた。目が赤い。泣いていたのか、あるいは眠れていなかったのか。

 しかし、声は揺れていなかった。隣の女は何も言えなくなる。


 列の中ほどには、十八か十九に見える男が、三人固まって立っていた。

 スラム区画の出身と思しき、くたびれた外套を着ている。


「門、でっけぇな。なんで、あんなに重そうなんだ?」


 一人が列の先を見て言った。


「怪物が突っ込んできても壊れないようにだろ。ちっとは頭を使え」

「……それ聞いたら余計怖くなったんだが」

「ったく、怖いなら帰れよ」

「いや、帰らない。帰る場所がないから来たんだ。お前も俺も」


 それだけ言うと、三人は顔を見合わせて、それきり黙る。否定の言葉は出ない。

 そして列の後ろの方に、一人だけ少し離れて立つ女がいた。

 年齢は二十二、三。長い黒髪を、一本に編んで背中に垂らしており、端が腰の辺りまである。


 肌は浅黒く、耳の形が人間とは少し違う。

 耳殻の先端が僅かに尖っており、生え際の近くに細い産毛が密生していた。獣人族だ。


 目は金色で、朝の薄明かりの中でも、光を捉える構造をしている。

 体格は女性としては大柄で、肩幅があり手首が太い。


 着ている外套は擦り切れており、継ぎ当てが複数ある。

 彼女の周囲だけ、少し間隔が開いていた。意図したものではない。

 周囲の志願者が、無意識に距離を取った結果だ。


「おい、獣人が来てるぞ。なんで来てんだよ、ここに」


 前に立っていた男が、隠す気もなく連れに言った。


「さあな。っつうか番犬団に入れるのか、あれが? 満月の夜に暴走されたら困るだろ」

「一緒に任務とか、絶対嫌だわ。もし獣の本能で突っかかって来られたら——」


 相槌を打つように、肩を竦めながら、別の男が小言を漏らす。

 すると黒髪の女の耳が、僅かに動いた。


 ゆっくりと彼女は振り返り、その男を正面から見る。

 金色の目が、真昼の光のように鋭く男を捉えた。すぐさま男が口を閉じる。


「全部、聞こえてますよ。続きがあるなら、聞かせてもらえますか? せっかくだから」


 彼女の口から出たのは静かな声だった。怒鳴っていない。

 しかし、その言葉に周囲の数人が息を呑んだ。


 男たちは萎縮して何も言えない。やがて黒髪の女は前に向き直り、それきり動かなかった。

 そして八つ時を過ぎた頃、門が開かれる。


 番犬団の狩人が四人、門の内側から現れた。

 全員が黒の狩人装束を着ており、腰に武器を装備している。


「これより灰燼の番犬団、狩人入団試験を開始する。全員、中庭に入れ」


 手に持っていた紙を広げて、先頭の狩人が口を開いた。志願者たちが続々と門を潜り始める。

 中庭に入ると、その広さに多くの者が、一瞬足を止めた。


 石畳が広く、主棟、訓練棟、武器庫が三方を囲む形で建ち並んでいる。

 石畳は黒に近い赤茶色をしており、何年分かの血が染み込んでいることが分かるようだ。

 中庭の中央に、長い木製の机が並べられている。


「整列。五列で並べ」


 周囲に狩人の声が鳴り響く。志願者たちが一斉に並んだ。百三十七名。

 全員が入った後、門が再び閉じられた。その音が中庭に反響する。何人かが、反射的に振り返った。

 戻れなくなった、という感覚が、その音と一緒に全員の背中に落ちた。


 整列が終わった頃、主棟の扉が開かれる。出てきたのは一人の男だ。年齢、二十七歳。

 身長は頭一つ抜けている。煤けた黒の狩人外套が、中庭の冷気の中で、静かに揺れていた。


 漆黒色の髪は肩に届く長さで、後ろで雑に束ねられており、前髪が目元まで垂れている。

 顔の造形は整っているが、美しいという言葉は似合わない。

 高い鼻梁、薄く引き締まった唇、深く彫られた目元。頬骨がやや高く、顎に短い無精髭がある。


 ほとんど表情は動かない。深い血紅色の瞳が、整列した志願者たちを、一度だけ流し見た。

 右手の手袋の指先が切り落とされており、素の皮膚が朝の冷気に晒されている。


 指先に乾いた血が、黒く固まっていた。志願者たちの間に静寂が落ちる。

 誰かが小さく息を呑んだ。男は中庭の中央まで歩いてきて止まった。

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