15話 不穏な空気
「番犬団の狩人の平均生存年数は三年だ。ただし、これは全階級の平均だ。ハウンド、つまり正式の狩人になって、最初の一年で死ぬ確率が最も高い。お前たちは今、ノービスだ。ノービスが訓練中に死ぬ確率は低い。しかし、昇格した後の一年が最初の壁だ」
「三年で……」
震える声をルシアが漏らす。
「三年生き残れば、その後は伸びる。五年以上生きた狩人は、平均十二年生存する。最初の三年が山だ。お前たちに、その三年を超えて欲しいからこそ、今これを教えている」
「超えられますか、私たちは……」
静かにマリアンヌが聞いた。それは怯えた声ではない。確認する声だ。
「それは、お前たちが決める。俺が決めることではない」
「教官は超えましたよね」
「俺のことは参考にするな」
「なぜですか?」
「……俺は特異体質だ。同じことをやっても同じ結果にはならない。お前たちは、お前たちのやり方で生き残れ」
少し間を置いてから、レオンハルトは答える。窓の外の空が、完全に暗くなっていた。
夜の鐘が遠くで鳴り始める。九度、重く、鈍く。教室の全員が、その音を黙って聞いていた。
――訓練が始まり二週間目の朝、空は晴れている。
雲一つない青空が王都の上に広がっており、朝の光が中庭の石畳を鋭く照らしていた。
しかし空気は冷たく、日差しがあっても、石畳から立ち上る冷気は容赦ない。
霜が降りており、石畳の目地が白く縁取られていた。今日の訓練は模擬戦闘だ。
一班の者たちは二人一組に分かれ、木製の模造武器を使い組み手を行う。
模造武器とはいえ、芯に鉄が入っており、まともに当たれば大きな痣になる。
「本日の組み合わせを言う。ノクターンとヴォルフェン、アルヴァレインとクロノヴァ、ガルヴァーンとフェルシュタイン。男たちは人数の都合で組みはない」
全員を視界に捉えながら、周囲を歩き回り、レオンハルトは指示を出す。
全員が一斉に武器を手に取った。
「待ってください」
リゼットが手を挙げる。
「ガルヴァーンとフェルシュタインの組み合わせは体格差が大きすぎます。データ上、双方にとって適切な訓練にならない可能性があります」
「組み合わせは変えない」
「理由を聞かせてください」
「戦場では体格差を選べない。以上だ」
淡々とした口調で、レオンハルトは正論を返す。
するとリゼットは口を閉じたが、唇が少し引き結ばれていた。
最初の組はルシアとイリスである。模造の拳銃と模造の曲刀。距離の戦いと接近の戦いだ。
「始めッ!」
挙げていた右手を下げると同時に、レオンハルトは開始の合図を告げた。
戦闘が開始されて、即座にイリスが踏み込む。速い。相手が銃を構える前に間合いを詰める。
ルシアが咄嗟に後退した。距離を取ろうとする。しかし、イリスが追いついた。
「撃てないなら下がるな。下がっても追われるだけだ」
二人の動きを見ながら、レオンハルトが外から声を飛ばす。
「でも近すぎて……」
「近ければ近いほど銃は威力がある。敢えて踏み込め」
ルシアを視界に映しながら、レオンハルトは静かに腕を組む。
そして彼女が止まった。後退を辞めたのである。
次にイリスが踏み込んだ瞬間、ルシアは横に半歩ずれた。イリスの曲刀が空を切る。
「そうだ、いいぞ。続けろ」
指を鳴らしてルシアの動きを褒めるレオンハルト。その後も、二人の必死の攻防戦は続いた。
やがて三分が経過した頃、ルシアが足元の霜で滑る。
体勢が崩れた瞬間、イリスの模造曲刀がルシアの右手首を打つ。
「っ……!」
ルシアが声を上げた。模造拳銃が床に落ちる。ルシアが右手首を左手で押さえた。顔が白い。
「止めッ!」
即座に言い放ち、レオンハルトが、二人の間に入る。
「ノクターン、見せろ」
「……っ”」
ルシアが右手首を差し出した。レオンハルトが指先で、彼女の手首の骨に静かに触れる。
「ふむ、骨は折れてはいない。腱に当たっているな。痛いか?」
「……はい」
「どのくらいだ」
「かなり……」
「そうか。なら今日の訓練はここまでだ。医療棟に行け」
レオンハルトは手首から指を離した。
「えっ! でも、まだ——」
「行け」
「……脱落ですか」
ルシアは唇を噛んだ。目が赤くなっている。それは小さな声だった。
レオンハルトが彼女を見る。一班の全員が見ている前で、血紅色の瞳がルシアを真っ直ぐ見据えた。
「腱の損傷で脱落にはならない。三日休めば戻れる」
「三日も休んだら……遅れます……」
「遅れた分は後で取り戻せる。だが骨が折れたら、一ヶ月は掛かる。腱が切れたら、三ヶ月は掛かる。今止めるのは、そのためだ。分かるか?」
「……分かります」
「なら行け。走らなくていい。ゆっくり歩いていけ」
彼女の肩を優しく手を乗せると、柔らかな声を掛けるレオンハルト。
ルシアは歩き出した。だが訓練棟の扉の手前で、一度だけ振り返る。
レオンハルトは、その方向を見ていた。ルシアは扉を通り抜ける。
しかしその瞬間、彼女の足が止まった。扉の陰に入ると、ルシアは壁に背を当て、目を閉じる。
涙が一筋、頬を伝う。声は出なかった。けれど、肩が震えている。
「ルシアさん」
扉の向こうからマリアンヌが声をかけた。
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔をしていますよ」
「大丈夫です、本当に……」
「泣いていいんですよ」
まるで母親のように、柔らかな言葉遣いで、マリアンヌは返す。
暫くルシアは黙っていた。それから、小さく泣いた。声を殺した泣き声が、訓練棟の廊下に漏れる。
マリアンヌは彼女の隣に立つと、何も言わずに傍に居た。やがて昼の鐘が鳴り響く。
そしてルシアが医療棟に向かった後、残された者たちの訓練は続いた。
セレスティアとリゼットの組み手は技術的な応酬になり、ブリュンヒルダとマリアンヌの組み手は圧倒的な体格差のある攻防となったのである。だが、問題は午後に起きた。
午後の体力訓練で、ブリュンヒルダが訓練の区切りで水を飲みに行った際に、訓練棟の廊下で二班の男性と鉢合わせたのである。
「おい、一班。今日の午前で、一人落ちたって聞いたぞ。ざまぁねぇな。軟弱な訓練でもしてんのか?」
二班の候補生のうち、カイルが言った。
「落ちていない。ただの怪我だ」
「怪我で抜けたなら同じだろ。ったく、羨ましいぜ。そんな適当な訓練でいい一班はよ。こっちは毎日命懸けの訓練だっつうのによ」
「ちっ、同じなわけねぇだろが」
ブリュンヒルダの目が鋭くなる。
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