14話 座学の時間
「風を読め。今日は西から微風がある」
「……感じ取れないです」
「外套の裾を見ろ。風の方向が分かる」
自身の顎を手で触れながら、レオンハルトは助言を与える。
ルシアは外套の裾を確認した。二発目、中央に近づく。三発目、中央に命中した。
「……当たった!」
「うむ、次は七十メートルだ」
木製の的を視界に捉えて、レオンハルトは静かに指を鳴らす。
そして夕方の講義は、訓練棟の教室で行われた。教室は訓練棟の二階にある。
石造りの部屋に、木製の机と椅子が並び、正面に黒板が置かれていた。
窓から夕方の光が差し込んでいる。雨上がりの空が橙色に染まり始めていた。
「狩人の戦い方について話す。聞いて覚えろ。書いて覚えなくていい」
黒板の前にレオンハルトが立つ。一班の全員が自分の席へと座る。
「狩人は兵士ではない。兵士は集団で戦う。陣を組み、命令系統に従い、数で押す。それが兵士の戦い方だ。しかし、狩人は違う。怪異は陣を崩す。数で押しても質が違えば負ける。だから狩人は個人の能力で戦う。判断は常に、自分一人だ。命令を待てば死ぬ場面があるからな。その時に動けるか、どうかが生死を分ける」
「では、集団で動く意味とは?」
手を挙げながら、リゼットが言った。
「補完だ。一人の弱点を別の一人が埋める。その為には仲間の弱点を知らなければならない。お互いの弱点を知るのが訓練の目的の一つだ」
「弱点を晒すのは怖いですわね」
前髪を弄りながら、セレスティアが呟く。
「怖いと思っているうちは晒せない。晒せないうちは補完できない。補完できないうちは連携が崩れる。連携が崩れれば死ぬ。順番はそうだ」
それらのことを黒板に力強く書き記すと、レオンハルトは静かにチョークを置いた。
そして翌日の午前は、怪異解剖学の講義である。
教室の前に、解剖台が運ばれてきた。台の上には布をかけられたものがある。
全員が着席した瞬間から、あの臭いが漂い始めた。
金属と有機物が混じる、慣れた者には何でもない臭いである。
ルシアが唇を噛んだ。イリスの耳が後ろに倒れた。
「これはD級の群体種の個体だ。解剖して内部構造を見る。吐くなら今のうちに言え。外に出て戻ってこい。吐いた後でも戻ってこれるなら戻ってこい。ただし、床は汚すな」
気分を害している者を探るように、一度だけレオンハルトは、全員に視線を流し向ける。
誰も手を挙げる者はおらず、個体にかけられていた布が取られた。D級の怪異は外見が人間に近い。
しかし、細部が違う。皮膚の色が灰青色で、関節が人間より一つ多い。
眼球が四つあり、口腔内の構造が人間より深い。
「群体種の特徴は神経網が分散していることだ。頭部を破壊しても即死しない場合がある。どこを壊せば動きが止まるか、各部位を確認しながら説明する」
解剖刃を手に取ると、レオンハルトは胸部から切り開いた。
「おぉ……心臓が二つある」
ブリュンヒルダが身を乗り出した。
「この個体はそうだ。全部がそうではない。必ず個体差がある。だから戦場では一撃で仕留めることを前提にするな。止まるまで攻撃し続けろ」
「……切り開いた後、血が黒いですね」
静かにマリアンヌが呟く。
「怪異の血は人間のものと組成が異なる。乾くと石のように固まる。傷口についた状態で放置すると炎症を起こす。戦闘後は必ず洗い流せ。特に目と口は優先しろ。怪異の血を飲み込んだ場合は即座に報告だ」
「の、飲み込んだら……どうなるんですか?」
声を抑えてルシアが聞いた。
「場合による。軽微なら三日で回復する。最悪の場合は……後で話す」
解剖刃を銀のトレイに置くと手袋を外して、桶に溜めた真水で手を洗いながら、レオンハルトは言葉を濁す。そして弱点の講義は解剖の後に続いた。
「E級からB級の弱点を順に説明する。全て覚えろ。覚えられないなら何度でも聞きに来い。覚えるまで繰り返す。恥ではない。覚えていないまま前線に出ることの方が恥だ」
「銀弾の話もありますか?」
「当然だ。銀は怪異の細胞組織に対して毒性を持つ。特に元人間だった個体への効果が高い。ただし、銀弾は高価だ。一発あたりの価値を常に意識しろ。外せば仲間の死に繋がる場合がある」
「外さないように訓練するしかない、ということですね」
「そういうことだ、ノクターン」
小さく頷きながら、レオンハルトは僅かに口元を緩める。
そして三日目の夕方、実戦装備の説明があった。全員が装備を広げて、それを机の上に並べる。
「これより、外套の説明を行う」
自分の外套の裾を掴み、レオンハルトが言った。
「この外套は、怪異の皮と血吸い繊維を混ぜた素材で作られている。刃物への耐性があり、血を吸収しにくい。だが万能ではない。A級の爪は通る。B級以上の酸も通る。外套を過信して被弾する者が毎年いる」
「血吸い繊維……というのは?」
「怪異の体組織から作られる。どこから取るかは聞くな。気分が悪くなるぞ」
「ふぅん、製造工程が……複雑なのですね」
微かにセレスティアが眉を上げる。
「複雑で、高価で、時間がかかる。だから外套に穴を開けたら自分で修繕料を払う。穴を開けないように動くか、修繕料を払えるだけ給与を貯めておくか、好きな方を選べ」
「あっ! そう言えば給料って、どのくらい貰えるんだ!」
手を挙げると笑みを零しながら、ブリュンヒルダが直球的な言葉を口にした。
「ハウンド昇格後は、月に銀貨三十枚だ。ノービス期間中は半額だ」
「す、少なすぎだろ……」
「命がけの仕事にしては少ないと思うか?」
「おう! 当たり前だ!」
「俺も、そう思う。是非とも上層部に言ってくれ。……では次に、血契の副作用について話す」
そう言うとレオンハルトが黒板に文字を書く。『感情鈍化』『不眠』『暴走リスク』
「血契を結んで灰燼因子が体内に入ると、三つの副作用が現れる場合がある。感情が鈍くなる。眠れなくなる。そして一定以上の戦闘を経験すると暴走のリスクが増す」
「暴走、というのは?」
冷静にリゼットが尋ねる。目のレンズ装置が、光を受けて輝く。
「理性と感情の制御が外れる。戦闘能力は残ったまま判断力だけが消える。そうなった狩人を処分する部隊がある」
「……白棺処刑隊ですね」
「ああ、そうだ」
小さく頷いて返すレオンハルト。途端に教室が静かになった。
「怖いと思うのは正常だ。だが怖がっていても副作用は来る。来た時に気づけるか、どうかが重要だ。仲間の変化に気づいたら報告しろ。自分の変化に気づいたら報告しろ。黙っていれば、自分だけでなく、仲間も死ぬ」
「教官は……副作用はありますか?」
細い声でルシアが質問を口にする。教室が静まり返った。レオンハルトは彼女を見る。
「……ある」
彼の血紅色の瞳が、一秒だけ揺れた。だが、それだけである。
「最後に死亡率の話をする」
黒板に書かれていたものを消して、レオンハルトは全員を見た。
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