13話 訓練の日々……
「……ええ、分かってます」
「緊張しましたか?」
「勿論です! それに……今もしてます」
「合理的な感情ですね、それは」
ルシアの乙女のような反応を見て、リゼットは静かに微笑む。
そして夜の消灯まで一時間、宿舎の廊下に灯りが一つついていた。
レオンハルトが廊下の端に立ち、外の暗さを見ている。窓の外に王都の夜が広がっていた。
街灯の橙色の光が、霧の残る空気に滲んでいる。ルシアが廊下に出て、その背中を見た。
「……教官」
「なんだ?」
「眠れないんですか?」
「……そんなこと聞いてどうする。それよりも、お前は眠れ。明日も同じ時間に起こすからな」
「はい、でも……」
「なんだ?」
「今日は、ありがとうございました!」
「……何に対しての礼かは知らないが、俺に礼を言う必要はない」
レオンハルトは振り返らない。
「でも、言いたかったので……」
両手の指を弄りながら、落ち着かない態度を晒すルシア。短い沈黙が訪れた。
「……ったく、さっさと眠れ」
「は、はい!」
返事をすると共に、ルシアは小走りで、部屋へと戻る。レオンハルトは窓の外を見続けていた。
王都の夜は、まだ続いている。どこか遠くで、狩人の銃声が、一発聞こえた。
生の音だ。今夜も、誰かが帰ってきた。
――そして訓練が始まり、三日目の朝、雨である。
夜明け前から降り始めた細かい雨が、石畳を濡らして排水溝に流れ込んでいた。
空は厚い雲に覆われており、夜明けの光が完全に遮られている。
中庭は暗く、街灯の残り火が、雨に滲んでいた。
空気は冷たく、湿気を含んで、肺に刺さるように入る。
一班が中庭に整列した。全員が雨に濡れた石畳の上に立っている。
レオンハルトが正面に立った。黒の外套を着ておらず、黒のシャツと革ベストのままである。
雨が肩と前髪を濡らしているが、気にしている様子はない。血紅色の瞳が、全員を一度、見渡した。
「今日は雨だ」
「……はい」
ルシアが答える。
「怪異は雨の日も出る。訓練は雨の日も行う。以上だ。それと今日は、個人ではなく、集団で走れ」
雨を浴びながらレオンハルトは、冷静に指示を全員へと飛ばす。
体力訓練は中庭の外周走から始まった。雨の中を走ると石畳が滑る。装束が濡れて重くなる。
視界が雨で曇る。それら全てが訓練の一部だ。
そして三周目に入ったところで、ブリュンヒルダが前方に出て速度を上げる。
「あまり速くするなよ。ペースを乱すな」
「……ちっ! アタシは、これが普通だ!」
「お前のペースに全員が合わせられるわけではない。集団の速度は最も遅い者に合わせろ」
「それだと弱くなるだろ!」
「違う。集団で動く意味を考えろ。一人が飛び出れば、残りが崩れる。それを戦場でやれば全員が死ぬ」
一人の勝手な行動により、部隊が簡単に壊滅すること、レオンハルトは腕を組みながら口にした。
するとブリュンヒルダは足を緩めた。彼女は不満そうだったが、特に何を言うでもなく黙り込む。
五周目、セレスティアの足が少し乱れる。濡れた石畳の影響だ。
「足元だけを見るな」
外周の内側から、レオンハルトが言った。走りながら全員を見ている。
「前を見て走れ。足元を見る余裕があるなら、それは視野が狭まっている証拠だ」
「でも滑って……っ」
「滑っても前を見ろ。転んだら起きろ。起きたら走れ」
セレスティアの全身を、視界に捉えつつ、レオンハルトは声を掛ける。
それから彼女は前を向くと、唇を引き結んだ。セレスティアは走り続ける。
そして走り込みが終わると、次は武器振りの訓練に移った。
訓練棟の中、広い床に全員が間隔を空けて立つ。
床は革張りで、雨の湿気が石の壁から染み出してきていた。ランプの光が揺れている。
「武器を出せ。構えだけでいい。まずは俺が見る」
全員に意識を向けながら、周囲を歩くレオンハルト。
全員が一斉に武器を取り出した。ルシアがルナ・リボルバーを両手で構える。
銃身が少し下がっていた。
「ノクターン、銃口が下がっている」
「重くて……」
「重いなら鍛えろ。だが今は構え方の問題だ。左手の位置が低い。銃床の真下に添えろ」
「は、はい……!」
ルシアが手の位置を修正した。
「それだ。その位置を身体に覚えさせろ。百回構えて、百回同じ位置になるまでやれ」
「百回、ですか……」
「今日中に。走り終わった後でも、飯を食った後でも、眠る前でも。百回だ」
彼女の構えを見ながら、狩人候補生が嫌がる発言を、レオンハルトは容易く放つ。
そして、その近くでイリスが双刃曲刀を構えた。長年刃物を扱ってきた者の構えである。
「ヴォルフェン、構えは悪くない。だが、左足が出過ぎている」
ルシアから意識を外すと、今度は彼女へと向けて、彼は修正箇所を伝えた。
「問題ない。アタシは今まで、これで戦ってきた」
「はぁ……。今まで通じたからといって、これからも通じるとは限らない。C級以上の怪異は構えの癖を読む。左足が出ていると右からの攻撃に対応が遅れる」
「……そうなのか?」
「ああ、そうだ。教官の言葉は信じて聞け」
「くっ……動きにくい」
少し考えてから、イリスは左足を引く。
「慣れるまで不便だろうな。だが慣れたら今より動きやすくなる。それが正しいフォームだ」
彼女の足元に視線を向けると、レオンハルトは大きく頷いた。そして昼前に雨が止んだ。
空は灰色のままだが、雨粒が完全に止まった。石畳から湯気が立ちのぼっている。
午後の訓練は銃撃練習だ。中庭の端に木製の的が設置された。
距離は三十メートル、五十メートル、七十メートルの三種類。
「怪異との推奨交戦距離は、D級以下で十五メートル以内だ。銃撃は基本的に近距離で使う。ただし、群体種の場合は遠距離から間引く必要がある。七十メートルで安定して当てられるようになれ」
「七十メートルって、かなり遠いですね」
ルシアが言った。
「お前は試験で五十メートルの的の中央に当てた。自分に才能があると思うか?」
「……思いません」
「正解だ。才能は継続しなければ錆びる。今日の結果で満足するな。明日はもっとうまくなれ」
徐に指を鳴らすと、日々の鍛錬が大切であることを、レオンハルトは全員に伝える。
それからルシアは的に向かう。ルナ・リボルバーを構える。一度、ぎゅっと拳を握る癖が出た。
一発目、五十メートルの的の中央より、やや左に命中。
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