11話 ギスギスな雰囲気
「全員、速やかに起きろ」
レオンハルトの声は低く、静かな声である。しかし、全員が跳ね起きた。
彼が扉の枠に立っている。煤けた黒の外套は着ていない。
黒のシャツに革ベスト、戦闘ズボンとブーツという装いで、腰に夜哭きを下げていた。
「全員、外に出ろ。三分以内に中庭に整列。遅れた者は全裸でスクワット五百回だ」
彼の血紅色の瞳が、薄暗い部屋の中を、一度見渡す。次の瞬間、扉が荒々しく閉められた。
その後、ルシアが跳ね起きた瞬間、頭が低い天井にぶつかりそうになる。
彼女は二段ベッドの上段を使用している。
下段はマリアンヌが使用しており、すでに起床して静かに装束を整え始めていた。
「三分って、どういう事だよ……」
ベッドから降りながら、ブリュンヒルダが呟く。
百九十一センチの体格では、部屋が狭すぎて頭が天井に当たる。
「喋る時間があるなら、さっさと着替えろ。時間が減る」
ベッドから飛び降りると、イリスは装束を手に取りながら言う。
二分四十秒後、一班が中庭に飛び出た。夜明け前の中庭は暗く、冷気が石畳から這い上がる。
空は東の端が僅かに白み始めているが、星がまだ見えていた。
石畳は夜露で濡れており、ブーツの底が滑る。
「二分四十秒。……ふむ、限りなく危ういが一応合格だ」
中庭の中央にレオンハルトが立っていた。彼の言葉を聞いて、全員が安堵の息をつく。
「ただし、ガルヴァーン。ブーツの紐が結べていない。減点だ」
靴へと人差し指を向けながら、レオンハルトは目を細めた。
「ちっ……今結ぶ」
自分の足元をブリュンヒルダが見る。確かに右のブーツの紐が解けていた。
「当然だ。しかし聞くが、戦場で紐が解けていたらどうなる?」
「……躓いて死ぬ」
「ふん。理解しているなら、次から確実に結んでこい。以上だ。これより、号令をかける。全員、基本の姿勢を取れ!」
小さな気遣いも重要である事を、腕を組みながら説くと、レオンハルトは全員に意識を向ける。
そして号令の訓練が、三十分ほど続けられた。
前へ、後ろへ、止まれ、伏せろ、立て、走れ。声だけで全員が動く訓練である。
それは一見して簡単に見えるが、睡眠不足と夜明け前の冷気の中でそれをやると、頭が言葉の意味を処理する前に身体が止まるのだ。
「伏せろ!」
レオンハルトの声。全員が石畳に伏せた。濡れた石畳の冷たさが、装束を通して腹に伝わる。
「立て!」
彼の口から号令が飛ぶ。全員が一斉に立った。
「遅い、もう一度! 伏せろ!」
全員の動きが鈍り始めたのを見て、レオンハルトは僅かに口角を上げると、再び号令を投げる。
そして全員が一斉に、また伏せた。
「……石畳が冷たいですわね」
七回ほど号令の訓練を繰り返したところで、セレスティアが伏せた状態のまま小声で呟く。
「おい、聞こえたぞ。もう一回追加する。伏せたまま全員待機!」
僅かな声さえ聞き逃さずレオンハルトは、鋭い眼光を全員に浴びせて号令を飛ばす。
一方でセレスティアは、微笑んだまま黙る。石畳に頬をつけながら、それでも表情は崩れなかった。
やがて夜明けの鐘が鳴った。空が白から橙色に変わり始め、中庭に朝の光が射す。
石畳の濡れた部分が、光を受けて鈍く輝いた。
「武器整備の時間だ。整備室に移動しろ」
腕を組みながらレオンハルトは次の指示を飛ばす。武器整備室は訓練棟の地下一階にある。
石造りの低い天井に鉄製のランプが等間隔で吊るされており、燃料の臭いと金属と油の臭いが常に漂っていた。
長い作業台が、二列並んでいる。壁際の棚には、整備道具が整然と並んでいた。
砥石、金属磨き布、油差し、銃の清掃用の細い棒、替えの弾薬。
「全員、自分の武器を出せ。使い方を知らない道具があれば今聞け。聞かずに破壊すれば自分で修繕費を払う事になる」
整備室内を歩き回りながら、レオンハルトは全員の行動を視界に映す。
そして指示を受けた全員が、一斉に自分の武器を取り出した。
ルシアはルナ・リボルバーを作業台に置いた。六連式の大型拳銃である。
新人用としてはかなり大きく、彼女の手のサイズに対して銃身が長い。
ルシアは銃を作業台に置いて眺め、暫し悩んだ末に砥石を手に取りかけて止まる。
「拳銃に砥石は使いませんよ」
隣からマリアンヌが小声で言った。
「あっ……そうですね。では何を使えば……」
「清掃棒と布。銃身の内側を通して拭く。あとは排莢口と薬室の確認です」
「……詳しいんですね」
「ええ、まあ……ギルド勤務の頃、狩人様の整備の補助をしていた事がありますから」
グレイス・バスティオンの盾面を磨き布で丁寧に拭きながら、マリアンヌはルシアに清掃の手順を丁寧に教える。
「フェルシュタイン、お前が教えるな」
二人の様子を作業台の端からレオンハルトが見ていた。
「えっ……ですが――――」
「自分で考えさせろ。口を出すのは命に関わる段階だけでいい」
「……はい」
マリアンヌは手を止めた。ルシアは一人で銃を見つめる。
しばらく考えてから彼女は、清掃棒を手に取った。それを見てレオンハルトは何も言わない。
一方でイリスは、ファング・ダンサーの二本の曲刀を、作業台に並べていた。
砥石で刃の縁を丁寧に研いでいく。刃の形状は、狼の牙を模した曲線で、研ぎの角度が難しい。
その隣でリゼットが、クロックワーク・サイズの歯車型の刃を点検しながら、横目でイリスの手元を見た。
「砥石の角度が三度ほどずれていますよ」
「うるさい。これがアタシのやり方だ」
「非効率です」
「切れれば、それでいい」
「最適角度で研いだ方が、耐久性が上がります」
「……お前、アタシに喧嘩を売りたいのか?」
手を止めるとリゼットを見て、イリスは声に怒気を込める。
「いえ、観察しているだけです」
「同じだろ!」
「違います」
表情を一つも崩す事なく、リゼットは答える。
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