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『勇者の聖域』という名の巨大な檻

 窓の外から地鳴りのように響く「サトー! サトー!」の合唱。深夜二時だぞ(時計はないから体感的に、だが)。近所迷惑という概念はこの世界にはないのか。


 大合唱は十数分続き、騎士団長が鎮めることでようやく静かになった。焚き付けたのはお前だろ、とツッコミたかった。


 俺とアイリス王女は、静まり返った室内で、開け放たれた窓からの夜風に吹かれていた。彼女の手に握られたムチが、月光を反射して虚しく光る。


「……ねえ、サトー。これ、どういう状況かしら」


 「俺が聞きたいですよ。……で、続きは?」


 俺は期待を込めて背中を差し出したが、アイリスは「無理に決まってるでしょ!」と叫んでムチを窓の外に投げ捨てた。

 

 ああっ、俺の希望(ムチ)が!


「おおおっ! 見ろ、アイリス王女がムチを捨てられた! 勇者様の慈愛に触れ、ついに『攻撃性』という名の業を解き放たれたのだ!」

「これぞ奇跡! 聖なる夜だ!」


 騎士団長たちの熱狂的な実況が階下まで届き、再び民衆のボルテージは最高潮に達した。


 なんなんだよ、お前たちは。


 こうして、俺の「ご褒美タイム」は一滴の痛み(快楽)も得られないまま、ただの「聖なる儀式」として歴史に刻まれた。


 ◆


 翌朝。俺はさらなる絶望に叩き落とされた。


「サトー様、本日よりあなたの警護は我ら『聖天騎士団』の精鋭百名が、二十四時間体制で担当いたします!」


 目の前に並んだのは、筋肉の鎧を着込んだような巨漢たち。これなら、ちょっと肩がぶつかっただけで「ああん? どこ見て歩いてんだボケ!」と因縁をつけられ、ボコボコにされるチャンス……!


「……おい。そこ、邪魔だ。どけよ」


 俺はわざと、一番強そうな騎士の足を踏みつけた。これまで、下手(したて)に出たのが全て裏目になっているからな。今回はあえて、不躾な態度をとってやる。


 これなら、いかに鍛えられた騎士団といえ、苛立ちを感じずにはいられないだろう。

 

 さあ、来い。鉄拳制裁! 独房送り!


「ぐはっ……! あ、ありがとうございますッ!」

 

「……は?」


 騎士は踏まれた足を抱え、恍惚とした表情で涙を流した。


「勇者様に踏まれることで、己の慢心が浄化されるのを感じます……! さあ、もっと! もっと私を導くために、その聖なる足でお踏みつけください!」


 「「「我らもお願いします! 導いてください、サトー様!」」」


 百人の巨漢が一斉に跪き、俺の足元に頭を並べる。地獄だ。ここが地獄か。


 ってか、なんでお前らがドM化してんだよ!おかしいだろ!ってか、護衛なら百人一気に集まるなよ!むさ苦しいわ。

 

 ◆


 逃げ場を失った俺は、王城の中庭で途方に暮れていた。どこへ行っても「歩く聖書」扱い。俺が転んで泥にまみれれば「大地の痛みを知る修行」と言われ、空腹で腹が鳴れば「飢えた民への共感」と拍手される。


 そんな時、庭の隅にある古びた井戸の影に、一人の女が立っているのが見えた。黒いローブに身を包み、周囲の熱狂とは無縁の、冷ややかな視線を俺に送っている。


(……お? あの目は……本物だ)


 ドMの俺にはわかる。彼女の瞳には、騎士団や群衆のような崇拝も感動もない。あるのは、純粋な『軽蔑』。


「……偽物。ヘラヘラして、世界を欺くペテン師め」


 ボソリと呟かれた毒。俺の心臓が、歓喜で跳ね上がった。


「そう! その通りだ! 俺はペテン師だ! 救いようのないクズなんだ! もっと言ってくれ! 罵ってくれ! 殺してくれても構わないぞ!」


 俺が詰め寄ると、女は一瞬だけ呆気に取られたような顔をしたが、すぐに冷酷な笑みを浮かべた。


「面白いわ。死にたいなら、今夜、城の北にある『絶望の森』に来なさい。そこであなたの正体を暴き、一番無惨な方法で始末してあげる」


 女は霧のように消えた。俺は、あまりの嬉しさにその場にへたり込んだ。


 絶望の森。無惨な始末。なんて甘美な響きなんだ。

 

 ついに……ついに、俺を本気で嫌ってくれる「本物の敵(最愛の友)」に出会えたんだ!


「待ってろよ、絶望の森……! 今度こそ、俺は快楽を手に入れてやる……!」


 背後で騎士たちが「勇者様が一人で森の魔気を引き受けに行こうとされている……! なんという自己犠牲!」と号泣しているのも、今の俺には心地よいBGMにしか聞こえなかった。

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