第2章 夢と現実のはざま
――勝った翌朝。
加賀谷瑛士は、まるで世界が変わったような気分で出社した。
いつもより10分早くオフィスに着き、缶コーヒーを握ったままモニターを立ち上げる。
JRAの公式サイトには、**第6R:ステイゴナファイト 1着(9番人気)**という文字が、堂々と輝いていた。
実況動画を再生する。
何度も、何度も、見返した。
「あの子が、勝ったんだ……」
まるで身内のように呟いた瞬間、不意に背後から声が飛んできた。
「おーい、加賀谷くん。例の撤退案件、役員会にまわす資料、今日中に頼むね」
声の主は、経営企画室の中原部長だった。
「あ、はい……」
咄嗟にそう返したが、加賀谷の指は止まっていた。
(撤退案件……って、まだ止まってない。
昨日の勝利が、何も変えてない……)
午前11時、経営戦略部フロア。
社内チャットに、あるメッセージが回る。
【ステイゴナファイト勝利おめでとうございます】
担当:加賀谷さん 本業ではないですが、ちょっと感動しました。
送り主は、総務部の佐伯だった。社内でも穏やかな人柄で知られる女性社員だ。
続けて、営業課の若手社員からも一言。
「すごいですね!映像で見ました!胸アツでした!」
……少しずつ、何かが変わっている。
それは確かだった。
だが現実は、それを許してはくれない。
午後の役員室。撤退関連資料の確認のため、加賀谷は呼び出された。
「いやー、馬って意外と勝つことあるんだね」
「うちの馬が勝ったって言ってたけど、偶然でしょ。どうせ次はまた掲示板も無理だよ」
笑い混じりの会話。冗談にしか聞こえない勝利の報。
「加賀谷くん、撤退は進めるよ。今のうちに、痛みを取るべきだから。
たった一勝で判断なんて、経営じゃない」
正論だった。ぐうの音も出ない。
「……わかりました」
絞り出した声は、自分のものとは思えなかった。
夜、帰宅後のリビング。
テレビは消えたまま。コンビニ弁当のフタも開けずに、加賀谷はただソファに座っていた。
(勝っても……変わらない。やっぱり無理なのか?)
ステイゴナファイトのレース映像を再び再生する。
走る姿。追い込む脚。騎手の笑顔。
画面越しの、あの馬の眼が、まっすぐ前を向いている。
「諦めないって、こういうことだろ……?」
ポケットから、小さな手帳を取り出した。
そこには、競走馬保有事業の未来プラン。社内プロモーション案、地方自治体との交流戦、馬券の売上シミュレーション――誰にも見せたことのない、夢の設計図がびっしりと書き込まれていた。
「社内アンケートで“うちの馬”意識を醸成する」
「YouTubeで馬房の様子を毎週発信」
「“走る不動産広告”として冠名に商品名を入れる」
「引退後は社内報告会+講演形式イベントへ」
「まだ……やれる。俺にだって、やれることがある」
その夜、加賀谷はひとつのメールを送った。
件名:競走馬事業再検討のお願い
宛先:経営企画室・中原部長
添付:事業戦略試案_競走馬部門2025案.pdf
本文は、短く。
『次の一勝で、証明してみせます』
ステイゴナファイトは、栗東トレセンの坂路で調教をこなしていた。
相変わらず地味で、タイムも目立たない。
だが、助手のひとりがつぶやいた。
「この馬、なんか変わったよな。気持ち入ってるっていうかさ……」
ステイゴナファイトは、前を向いていた。
たとえ誰に笑われても。
たとえ“お荷物”と呼ばれても。
まだ、夢は終わっていない。
Stay Gonna Fight――まだ、闘い続ける。
ちなみに書き溜めていたものなので予約で投稿していきます。




