第1章 撤退決定寸前、爆走
中京競馬場、第6レース。
パドックに集まるファンの視線は、9番人気の栗毛には向いていなかった。
ステイゴナファイト。
3歳牡馬。父も母も中央未勝利。トレセン内では「調教タイムが一昔前」と揶揄される存在。
今日も鞍上は若手の減量騎手、笠原慶馬――デビュー2年目の“勝ち星空白”男である。
「社畜の相方にふさわしいってか……はは、言い得て妙だな」
競馬新聞の記者が半笑いでつぶやいた。
誰もが、この馬に何も期待していなかった。
しかし、彼だけは、スマホ越しにその馬を見つめていた。
加賀谷瑛士。
シルクステート株式会社・経営戦略部。都内の自席から中京のレースを見つめていた。
「……頼む。見せてくれ。走るって、どういうことか」
前日の取締役会で、競走馬事業の撤退が決まった。
保有馬3頭はすべて年内で引退・売却。
これは、ステイゴナファイトにとって――最後の出走になるかもしれない。
午後13時40分、発走のファンファーレが鳴る。
各馬がゲートへと入っていく中、ステイゴナファイトは首を高く上げ、少し暴れた。
だが、笠原騎手が静かに手綱を握る。
「オレたち、なめられてるってよ。見返してやろうぜ、相棒」
ゲートが開いた。
スタートは五分。
道中は馬群の中、9番手。誰の目にも映らない位置。
だが――3コーナー手前。
「……あれ?9番、来てるぞ」
「ん?いや、マジで伸びてないか!?」
実況がざわめき始める。
「残り600!内を突いてステイゴナファイトが上がっていくッ!」
笠原の手が動く。馬が応える。
あの重いと言われた脚が、まるで風のように加速していく。
直線――。
先頭は2番人気の人気馬セオリアヴァルト。
そこへ、大外から一頭、鮮やかな差し脚。
「ステイゴナファイト!来たァーッ!」
残り100、並ぶ。残り50、抜ける。
「お荷物馬が先頭に変わったッ!これは……夢か、幻かッ!」
実況の絶叫とともに、ゴール板を1馬身半差で駆け抜けた。
中京競馬場のスタンドは、一瞬静まり返った。
9番人気、単勝148.7倍。
新聞にも掲載されなかった“消し馬”が、勝った。
「……勝った……?マジで、勝ったのか……?」
加賀谷は、画面の向こうで両手を震わせていた。
涙ではなく、何か熱いものが、心の奥から湧き上がってくる。
会社で一番無駄と言われたこの馬が、
新聞の印すらもらえなかったこの馬が――
勝ったのだ。
着順速報が社内の回覧メールに回される頃、誰かがぽつりと呟いた。
「ステイゴナファイト……って、うちの馬だよな?」
その日、加賀谷のデスクには一通の社内チャットが届いた。
「すごいね、あの馬。本当にうちのだったんだ。びっくりした」
返信はしなかった。
けれど、その言葉が、胸に静かにしみていた。
シルクステート、ステイゴナファイト。
ここに、ひとつの“逆転劇”が始まる。
誰にも期待されなかった一頭が、会社の夢をもう一度、走り始めた――
「Stay Gonna Fight」――まだ、戦える。




