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先輩が僕をエスパーに育て上げようとしている事象 「ねぇ。私は今、何を考えているでしょう?」  作者: 団田図


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第39話 チョークと決戦前夜

 放課後の図書室の奥にある、グループ学習用の小部屋。僕は壁に設置された小さな黒板に向かい、猛烈な勢いで数式を書き殴っていた。


『事象A:僕のようなインチキ神社の変人息子が、容姿端麗な女子から好意を持たれる確率』

『事象B:僕の自律神経が彼女の視覚的ノイズによって致命的なバグを起こし、非論理的な感情(恋心)を抱く確率』


「……おかしい。何度ベイズの定理を当てはめても、事象Aと事象Bの結合確率が0%に収束しない……!」


 カツカツカツ、とチョークを打ち付ける音が部屋に響く。

 これまでの僕の人生において、宇宙の真理と同じくらい強固だった『確率0%』の前提が、どう計算しても弾き出せないのだ。


「おいおい頼斗。黒板に穴が空くぞ」


 背後のパイプ椅子にふんぞり返り、ニヤニヤと薄笑いを浮かべているのは、悪友の佐藤健太だ。今日も恒例の『エスパー育成計画・進捗報告会議』が開催されている。


「笑い事じゃないぞ、健太。今日の音楽の授業で、僕はついに彼女から『夢への介入』という最も危険な精神攻撃を受けた」

「へえ、夢ねぇ。で、どんな攻撃だったんだ?」

「彼女は自らの脳波を僕の脳波と同調させ、明晰夢を共有しようと試みてきた。その結果、僕の脳内コンピューターは凄まじい処理落ちを起こし……」


 僕はギリッと奥歯を噛み締め、黒板に書いた数式を睨みつけた。


「……能力の覚醒が、制御不能になりつつある」


 その言葉を口にした瞬間、僕の手の中でポキッ、と乾いた音がした。

 限界まで力を込めて握りしめていた白墨のチョークが、無惨にも真っ二つにへし折れていた。


「あーあ、折れちゃった」

「……僕の自律神経のバグは、すでに臨界点を突破しようとしている。彼女の顔を見るだけで、いや、声を聞くだけで、心筋が異常な収縮を繰り返し、論理的思考が完全に機能停止するんだ。僕の防衛線は、もう……」

「限界ってわけだ」


 健太は堪えきれないように肩を揺らし、腹を抱えて笑い始めた。


「ひぃっ……マジで最高だな、お前。夢の話されただけで自律神経バグらせてチョークへし折るとか、もはや国宝級のポンコツだわ」

「僕は真剣に生存戦略を練っているんだ。これ以上彼女の非科学的な実験に付き合えば、僕の自我は完全に未知のシナプスに支配され、取り返しのつかないエラー……つまり『片思い』などという非生産的な感情に飲み込まれてしまう!」


 僕が悲痛な叫びを上げると、健太は涙目を拭いながら、スッと表情を引き締めた。


「なら、そろそろ決着をつける時だな、頼斗」

「決着、だと?」

「ああ。中途半端に防衛してるからジリ貧になるんだ。近いうち来るであろう運命の日に備えて、まずは自分自身と見つめ合え」


 健太の言った運命の日とやらが一体いつなのか見当もつかないが、果たして僕の論理は持ち堪えられるのだろうか。

 折れたチョークの粉が落ちる床を見つめながら、僕は得体の知れない動悸に激しく胸を打ち鳴らされていた。


 +++


 十二月の冷たい風が吹き抜ける渡り廊下。

 俺、佐藤健太は、ポケットに手を突っ込んだまま、合流した三年生の高橋沙紀先輩と向かい合っていた。


「そっちの状況はどう、健太くん?」

「完璧っすよ、沙紀先輩。頼斗のやつ、図書室の黒板で『確率が0%にならない!』ってチョークへし折って頭抱えてましたから。もう論理崩壊の寸前、首の皮一枚ってとこっすね」


 俺が報告すると、沙紀先輩は呆れたようにアンダーリムの眼鏡を押し上げつつ、口角をニヤリと上げた。


「こっちもよ。凛のやつ、『私が夢の話したら、頼斗くん顔真っ赤にしてた!』って大はしゃぎして、かわいいったらありゃしない」

「あははっ! 見事なまでのすれ違い限界点っすね」


 俺たちは顔を見合わせ、悪巧みをする共犯者の笑みを浮かべた。

 修学旅行の後から俺たちが密かに進めてきた『失恋コンビの友情裏包囲網』作戦も、いよいよ大詰めだ。


「日曜日のクリスマス、あの二人が絶対に逃げられない完璧な密室とシチュエーションは用意できてるわよね?」

「ええ。頼斗には『神社で使う新型スモークマシン候補の展示会がある』って偽のタスクを振ってあります。指定場所は駅前の貸し切り状態のカフェ。もちろん、真乃極先輩も同じ時間にそこに誘導済みっす」

「上出来ね。あとは、あの二人が物理的にぶつかり合って、すべての勘違いを終わらせるのを見届けるだけ」


 沙紀先輩は満足げに頷き、冬の空を見上げた。

 俺の恋も、先輩の恋も、綺麗に散っちまったけど。せめてあのポンコツ親友二人だけは、この聖なる夜に最高の結末を迎えてほしい。

 情報通の俺が仕掛ける最後のお膳立てだ。頼斗、せいぜい腹括って挑んでこいよ。


 +++


 十二月上旬の放課後。

 日没が早く、校舎裏はすでに薄暗い影に包まれていた。

 冬の冷たい空気に吐く息が白く染まる中、私、伊藤さくらは、心臓が口から飛び出しそうなほどの緊張を抱えながら、その人が来るのを待っていた。


 コンクリートの壁に背中を預け、ギュッと両手を握りしめる。

 頭の中では、何度も何度もシミュレーションを繰り返していた。

 健太の告白を断ってから、ずっと自分の気持ちに嘘をつくのはやめようと決めていたのだ。


 ザクッ、ザクッと、砂利を踏む足音が近づいてくる。

 顔を上げると、紺色のコートを着た、ショートボブの颯爽さっそうとした姿が見えた。


「さくらちゃん、お待たせ。どうかしたの、こんなところに呼び出して」


 高橋沙紀先輩が、いつものような大人びた、けれどどこか優しい笑顔で私を見つめてくる。

 その顔を見た瞬間、私の中で渦巻いていた不安や恐怖が、一気に熱い塊になって胸の奥から込み上げてきた。


「沙紀先輩……」


 声が震える。でも、ここで逃げたら絶対に後悔する。

 私は勇気を出して、真っ直ぐに先輩の瞳を見つめ返した。


「私……先輩に、話したいことがあって……!」


 冷たい冬の風が吹き抜ける校舎裏。

 私の震える声が、誰にも邪魔されることなく、静かな空間に響き渡った。

 クリスマスを目前に控えたこの季節、私たちの想いは、それぞれが迎える決戦の時へと向かって、静かに、そして確実に動き出していた。

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