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先輩が僕をエスパーに育て上げようとしている事象 「ねぇ。私は今、何を考えているでしょう?」  作者: 団田図


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第38話 音楽室

 十二月上旬。教室の窓ガラスが白く曇るほど、外の空気は冷え込んでいる。

 昼休み、私――真乃極まのぎわりんは、自分のお弁当箱を開けようとしたところで、不意に声をかけられた。


「あの、真乃極まのぎわさん。ちょっとお昼、ご一緒してもいいですか?」


 栗色のポニーテールを揺らし、少し緊張した面持ちで立っていたのは、頼斗らいとくんの幼馴染の伊藤さくらちゃんだった。


「えっ?う、うん。もちろんいいよ」


 私は平静を装って隣の席を勧めたが、心の中では警報が鳴り響いていた。


 まさか……ついに頼斗くんを巡るライバル宣言!?


 さくらちゃんは頼斗くんと家も隣同士で、昔からずっと彼の世話を焼いている。あんなに可愛くて距離も近いのだから、いつ恋愛感情に発展してもおかしくない。今まで何度も、二人の仲の良さに激しい嫉妬を覚えてきた私だ。

 お弁当のおかずを交換するフリをして、宣戦布告されるのかもしれない。私は箸を握りしめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「あのね、私、」


 さくらちゃんは、頬をほんのりとピンク色に染め、モジモジと自分の指先をいじりながら口を開いた。


「私……好きな人が、できたみたいなんです」


(キターーーッ!!)

 私は脳内で叫び、どんな防衛線を張るべきか必死にシミュレーションを回した。


「私、高橋沙紀先輩のことが、好きなんです」

「えっ、受けて立つわ……って、えっ?」


 予想外すぎる名前に、私は間の抜けた声を出してしまった。


「沙紀のことが、好きなの?」

「は、はい……。変だって、思われますよね。でも、文化祭の時からずっと、沙紀先輩の顔ばっかり浮かんじゃって。健太にもこの前、告白されたのに断っちゃったし……。真乃極さんは沙紀先輩の親友だから、何かアドバイスをもらえないかなって……」


 さくらちゃんは、潤んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめてきた。

 その瞬間、私の頭の中で、これまでの彼女の行動の辻褄がパチリと合った。


 そういえば、体育祭の時も、文化祭の時も、彼女の視線は頼斗くんや健太くんではなく、常に少し離れたところにいる沙紀を追っていたのだ。


 なんだ……私、完全に勘違いしてたんだ。


 ホッとしたと同時に、こんなにも一途で健気な恋をしている後輩の姿が、どうしようもなく愛おしく思えた。


「変なんかじゃないよ。沙紀はすごくかっこいいし、優しいもんね。さくらちゃんが好きになる気持ち、すっごくよく分かる」

「真乃極さん……!」

「頼斗くんといつも仲良さそうにしてるから、私、ずっとヤキモチ焼いてたの。でも、さくらちゃんが沙紀のこと好きなら、私、全力で応援するよ!」


 私が身を乗り出して両手を握ると、さくらちゃんはパァッと顔を輝かせた。


「あ、ありがとうございます……! 私、頑張ります! っていうか、え? ヤキモチ? 私に? 頼斗の事で? またまたー。からかわないでくださいよー」


 こうして、私とさくらちゃんの間にあった見えない壁は完全に崩れ去り、少し誤解があるようだが私たちは「絶対に恋を成就させる同盟」として、固い絆を結んだのだった。


 +++


 十二月上旬の音楽室。

 ストーブが焚かれた室内は、外の寒さが嘘のように暖かく、いや、僕にとっては少しばかり体感温度が高すぎる空間となっていた。


頼斗らいとくん。今日の授業、これだね」


 隣の席で、真乃極まのぎわりん先輩が音楽の教科書を開きながら、僕の肩が触れそうなほどの距離に身を乗り出してきた。

 艶のある黒髪から、僕の論理的防衛線を容易く麻痺させる特異な成分――あの甘いシャンプーの香りが漂ってくる。


「……クロード・ドビュッシーの『夢』ですか。印象派の音楽は和声の進行が極めて非論理的で、従来の機能和声のルールを逸脱しているため、僕の数学的処理能力をもってしても予測が困難な曲です」


 僕は視線を教科書の楽譜に固定したまま、極めて客観的な事実を述べた。

 これ以上、彼女の顔を直視するのは危険だ。最近の僕の自律神経は、彼女が視覚野に入るだけで深刻なエラーを吐き出し、心拍数が異常な数値を叩き出すようになってしまっている。


「ふふっ。頼斗くんって、音楽でも理屈っぽいんだね」


 真乃極先輩はクスクスと笑い、僕の論理的な解説を「可愛い」とでも言いたげな、熱っぽい視線で受け止めた。

 そして、彼女の白くて細い指先が、教科書の『夢』という文字をツーツーと撫でる。


「ねぇ、頼斗くん」


 彼女はゆっくりとこちらへ顔を向け、ストーブの燃える音に紛れ込ませるような、ひどく内緒めいたトーン。耳の奥の三半規管を直接くすぐるようなその声の振動に、僕の思考回路は一瞬でショートしかけた。


「昨日私が見た夢、なんだと思う?」


 ――来た!

 その言葉が聴覚器官から脳に到達した瞬間、僕の脳内コンピューターは凄まじい速度で警告音を鳴らした。


 夢、だと?

 人間の睡眠状態において、レム睡眠中に生じる脳内の記憶のランダムな再生現象。それを、僕に当てろと言っているのか?

 間違いない。これは彼女が仕掛けてきた新たなエスパー特訓……『夢への介入(明晰夢めいせきむ共有)』のテストだ!

 彼女は自らの脳波を僕の脳波と同調させ、無意識の領域である精神世界(アストラル界)に僕を引きずり込もうとしているのだ。


「……真乃極さん。無茶な要求です」


 僕はなんとか平静を装い、反論の数式を組み立てようとした。


「人間のレム睡眠中の脳波に、外部から非物理的な干渉を行うなど、現在の科学では不可能です。他者の夢のビジョンを共有する能力など……」

「当ててみて?」


 僕の言葉を遮るように、彼女はさらに顔を近づけてきた。

 冬服のセーター越しでも伝わってくる彼女の熱量。潤んだ大きな瞳が、僕の答えを待ってキラキラと揺れている。


 ……致命的なシステムエラーだ。

 ホメオスタシス(恒常性)が完全に崩壊している。僕の左胸の奥で、心筋が暴走したように激しく打ち鳴らされている。


 ……異常事態だ。僕の論理シールドが、全く機能していない。

 僕のようなインチキ神社の変人息子が、好かれる確率など……


 いつもの『確率0%』の呪文を脳内で唱えようとしても、目の前で僕を見つめる彼女の笑顔が、その数式を片っ端から粉砕していく。

 呼吸が浅くなる。喉が渇く。

 僕の思考回路は凄まじい処理落ちを起こし、かつてないほどの巨大なバグに飲み込まれようとしていた。


「……ひ、非科学的……です」


 限界までオーバーヒートした僕の口から出たのは、これまでの完璧な論破とは程遠い、ただのかすれたうわごとだった。


「ふふっ。頼斗くんなら、私の夢の中身、きっと透視できると思ったのに」


 真乃極先輩は、僕の混乱をよそに、本当に楽しそうに、そして愛おしそうに僕に微笑みかけた。

 音楽の授業を告げるチャイムが鳴り響く中、僕の『論理』という名の強固な防衛線は、もはや崩壊のカウントダウンを止められなくなっていた。

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