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先輩が僕をエスパーに育て上げようとしている事象 「ねぇ。私は今、何を考えているでしょう?」  作者: 団田図


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第34話 激しい雨

真乃極まのぎわさん。この状況から推測するに、現在稼働可能な傘はこの一本しか存在しないようです」


 僕は下駄箱に立てかけられていた、誰の所有物とも知れない貸し出し用の透明なビニール傘を手に取った。


 「これをあなたに貸与します。僕は走って帰宅しますので」

 「えっ? だ、ダメだよ!」


 僕が雨の中へ飛び出そうとした瞬間、真乃極先輩に制服の袖を強く引かれた。


 「こんな土砂降り、走ったら絶対ずぶ濡れになっちゃう! 風邪ひいちゃうよ!」

 「問題ありません。僕の基礎代謝と免疫力なら、帰宅後にシャワーで表皮温度を回復させればウイルスの増殖は物理的に防げます。しかし質量が小さく華奢なあなたが濡れるリスクの方が――」


 「ダメなものはダメ! ……い、一緒に入っていけば、いいじゃない」


 彼女は顔を真っ赤にして、僕の袖をぎゅっと握りしめたままうつむいた。

 ……なるほど。ここで僕が強行突破すれば、彼女はさらに強い物理的拘束サイコキネシスを仕掛けてくる可能性がある。エネルギーの無駄な消耗を避けるため、ここは妥協案を受け入れるのが最も合理的だ。


 僕たちは一本の傘の下に入り、激しい雨音が響く通学路を歩き始めた。

 傘の直径はおよそ六十五センチ。成人男女が二人入るには物理的なスペースが決定的に不足している。結果として、僕の左肩と真乃極まのぎわ先輩の右肩が、歩くたびに微かに接触するという異常事態が発生していた。


 「……」


 雨音だけが響く中、不意に彼女がすり寄るように距離を詰めてきた。

 そして、傘の柄を持つ僕の手の上に、そっと自分の手を重ねて上目遣いで僕を見上げてきた。


 「ねぇ……」


 雨音に負けないくらい、甘くて熱を帯びた声。


 「私が今、何を望んでるか当ててみて?」


 ――来た!

 僕の脳内コンピューターは、異常な心拍数の上昇を検知しながらも即座に警戒態勢に入った。

 このゲリラ豪雨の下で、傘に身を寄せ合いながら「望み」を聞いてくる。

 間違いない。彼女は僕に『天候操作(気象コントロール)』の能力を要求しているのだ!

 この鬱陶うっとうしい雨雲を念動力で吹き飛ばし、晴天を呼び寄せる実験をしろと暗に強要しているに違いない。


「……無茶を言わないでいただきたい」


 僕は重ねられた手の熱に動揺しながらも、冷徹に論破を開始した。


 「局地的な積乱雲とはいえ、それが内包する水蒸気の潜熱エネルギーは水爆数十個分に匹敵します。たった一人の人間の脳波でヨウ化銀の散布と同等の気象操作を行うなど、熱力学第一法則を完全に無視した非科学的妄想です。雨を止める能力など、僕にはありません」


 僕が完璧な気象学の知識で突き放すと、真乃極先輩は目を丸くしてパチパチと瞬きをした。


 「えっ? 雨? ううん、違うよ」


 彼女はふわりと、花が咲くように柔らかく微笑んだ。


 「私はただ、こうして……頼斗くんの傘に入りたかっただけだから……」


 ドクン、と。

 左胸の奥で、かつてないほど激しい心筋の収縮が起きた。

 ……異常事態だ。脈拍が完全に正常値を逸脱している。

 いや、これは当然の生理的反応だ。傘という極めて狭い閉鎖空間において、成人男女二人の体温から発せられる輻射熱ふくしゃねつが充満している。さらにこの高い湿度が汗の蒸発効率を著しく低下させ、局所的な不快指数を上昇させているのだ! 僕の自律神経は、この劣悪な熱力学的環境によって深刻なエラー(バグ)を起こしているに過ぎない!


 『僕のような人間が好かれる確率は0%である』


 その強固な前提の計算式が、至近距離から伝わる彼女の体温と甘い香りの前で、激しいノイズを上げてショートしていく。

 僕は自分の論理が崩壊していく音を、雨音のせいにして必死に誤魔化し続けた。


 +++


 十一月の冷たい雨が、グラウンドに水たまりを作っていく。

 私、伊藤さくらは、自分の傘を手に握りしめたまま、校舎の一階廊下を足早に歩いていた。

 突然のゲリラ豪雨。天気予報にもなかった雨だ。

 私の頭に真っ先に浮かんだのは、沙紀先輩のことだった。先輩はまだ用事で学校に残っているはずだ。もし傘を持っていなかったら、どうしよう。

 一緒に帰ろうなんて、そんな大それたことは言えないけれど、せめてこの傘を貸すことくらいならできるかもしれない。


 先輩、どこにいるんだろう……


 胸の奥で早鐘を打つ心臓の音を必死に抑えながら、渡り廊下の角を曲がった時だった。

 少し離れた物陰に、見慣れた二人の人影があった。

 紺色のカーディガンを着た沙紀先輩と、私のクラスメイトの健太だ。

 二人は何かをこっそり覗き込むようにして、楽しそうに笑い合っている。


「……あ」


 声をかけようとして、私の足はピタリと止まってしまった。

 健太が何かを言って親指を立てると、沙紀先輩もそれに応えるように、悪戯っぽく、でもすごく綺麗に微笑んだ。

 二人の間には、他の誰にも入り込めないような、特別な共犯関係みたいな空気が流れていた。まるで、二人だけの秘密を共有しているみたいな、親しげな距離感。


『俺、さくらのことが好きだ』


 つい先日、健太が私に言ってくれた言葉が脳裏をよぎる。

 健太は、私の大切な友達だ。でも、今の彼と沙紀先輩の並んだ姿は、私なんかが間に入る隙間なんて一ミリもないように見えた。

 なんだか、すごくお似合いで。

 胸の奥が、冷たい雨に打たれたようにギュッと痛くなった。


 ……私、お邪魔だよね。


 握りしめていた傘の柄から、ゆっくりと力を抜く。

 先輩に傘を渡して、少しでも話したい。そんな私の小さな決意は、二人の親しげな様子を前にして、あっけなくしぼんでしまった。

 私は気づかれないようにそっときびすを返し、来た道を戻り始めた。

 外はまだ激しい雨が降っている。

 自分の傘を持っているのに、なぜだか心の中はずぶ濡れになってしまったみたいに、冷たくて、重かった。

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