第32話 夜のベンチで
夕暮れの校舎裏。俺、佐藤健太は、茜色に染まるコンクリートの壁を背にして、目の前に立つ女子生徒を真っ直ぐに見つめていた。
栗色のポニーテールを揺らす、頼斗の幼馴染――伊藤さくらだ。
「俺、さくらのことが好きだ。ずっと前から」
修学旅行の勢いと、頼斗に「仁義を切る」と宣言した手前、もう逃げるわけにはいかなかった。少し声が震えたかもしれないが、俺なりに精一杯、ごまかしのない本音をぶつけたつもりだ。
さくらは驚いたようにパチパチと目を瞬せた後、ふわりと、だけどどこか申し訳なさそうな、困ったような笑顔を浮かべた。
「……ありがとう、健太。健太がそんな風に思ってくれてたなんて、すっごく嬉しい。でも………………ごめんなさい」
はっきりと、迷いのない拒絶だった。
予想はしていた。俺はあいつにとって、ただの気の置けない男友達のポジションでしかないと。それでも、実際に言葉にして突きつけられると、胸の奥がギュッと雑巾のように絞り上げられる。
「頼斗のやつが気になってるからか?」
俺が負け惜しみのように意地悪く聞くと、さくらは小さく首を横に振った。
「ううん。頼斗は手のかかる家族みたいなものだから。私ね……ずっと近くで見てきた、憧れてる人がいて。その人の特別になりたいって、最近やっと気付いたの」
その瞳は、俺でも頼斗でもない、もっと別の誰かを真っ直ぐに見つめているようだった。さくらの脳裏に誰が浮かんでいるのか、情報通の俺でもすぐには思い当たらなかった。
だけど、その真剣でひたむきな目を見れば、俺が入り込む隙間なんて一ミリもないことくらい、痛いほどよく分かった。
「そっか。……わりぃ、困らせたな。今まで通り、いい友達でいてくれよ」
「うん! 健太は、ずっと私の大切な友達だよ!」
屈託のない笑顔を向けられ、俺はただ「おう」と力なく返すしかなかった。
見事なまでの、完全な玉砕だった。
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完全に日が落ち、街灯が灯り始めた帰り道。
俺は一人、通学路の途中にある自販機横のベンチに深く腰掛けていた。
「はぁー……終わった終わった。俺の青春、これにて第一章完結、と」
誰もいない空間に向けて空元気で呟き、自販機で缶コーヒーでも買おうと立ち上がった時だった。
「あら。ずいぶんと分かりやすく落ち込んでるじゃない」
「……高橋先輩」
ショートボブの髪を夜風に揺らしながら、沙紀先輩が立っていた。手には、二つの缶ジュースが握られている。
俺は慌てていつもの薄笑いを顔に貼り付け、おどけたように肩をすくめた。
「いやー、先輩! 聞いてくださいよ、俺、見事に散りましたわ! 完全にフラれちゃって、もう笑うしかねぇっていうか、俺のスマートな作戦が――」
「無理して笑わなくていいわよ」
沙紀先輩は俺の言葉をピシャリと遮り、冷えたスポーツドリンクの缶を俺の頬にピタッと押し当てた。
「ひゃっ!?」
「今日は私が奢ってあげる。失恋の特効薬にはならないでしょうけど、喉の渇きくらいは潤せるでしょ」
先輩のアンダーリムの眼鏡の奥の瞳は、俺の強がりをすべて見透かしているように、どこまでも静かで、優しかった。
その真っ直ぐな大人の優しさに触れた瞬間、顔に貼り付けていたお調子者の仮面が、ボロボロと音を立てて崩れ落ちていくのが分かった。
「……っすね。喉、カラカラですわ」
俺は大人しく缶を受け取り、ベンチにドカッと座り直した。プルタブを開けて一口飲むと、冷たい液体がやけに胸の奥に染み渡った。
「……案外、キツいもんすね。振られるって」
ポツリと漏らした本音。俺の情けない声を聞いても、先輩はからかうことなく、俺の隣に腰を下ろしてくれた。そして、自分のリンゴジュースを飲みながら、静かに相槌を打つ。
「そうね。自分の気持ちが届かないって、本当に痛いし、苦しいわ」
「こんなに辛いんなら、告白なんてしなきゃよかった」
「……ええ。私も、誰かさんに振られて身をもって知ってるわ。でもね、きっと次の恋が癒しになるってことを信じて前を向くしかないのよ」
先輩は自嘲気味にフッと笑い、遠くの暗い空を見つめた。
その横顔を見て、俺はハッとした。夏休み前、俺は先輩からの告白を断っている。先輩は今、俺と同じ「振られた側の痛み」を思い出しながら、俺の情けない失恋に寄り添ってくれているのだ。
俺を振ったさくらは、他の誰かに憧れている。先輩を振った俺は、そのさくらに振られた。
「……俺たち、見事な失恋コンビっすね」
「変な同盟組ませないでよ。……でも、そうね。私たちの恋は、どうやらここで行き止まりみたい」
先輩はリンゴジュースの缶を、コツンと俺の缶に軽くぶつけた。
「でも、このまま終わるのもなんだか癪じゃない?」
「へ?」
「私たちの恋は散ったけど、まだ絶賛迷走中のおマヌケさんが二人いるでしょ。自分の恋心が自律神経のバグだのエラーだの言ってる純朴さんと、それに振り回されてる私の親友が」
沙紀先輩の目が、悪戯っぽく、そして鋭く光った。
「こうなったら、あの親友二人を、何がなんでもくっつけるしかないと思わない?」
俺は先輩の提案に、思わず吹き出してしまった。
さっきまでの胸の息苦しい痛みが、先輩のその企みに満ちた笑顔のおかげで、少しだけ軽くなった気がした。
「あははっ! 違いないっすね。あいつら、俺たちが手を引いてやらないと、一生『高度なエスパー特訓』とか言ってすれ違い続けるに決まってる」
「ええ。だから、逃げ場のない完璧な状況を物理的に作ってやるのよ。名付けて『失恋コンビの友情裏包囲網』作戦、本格稼働ね」
「了解っす。頼斗の強固な論理的防衛線、俺たちで完全に破壊してやりましょう」
俺たちは夜のベンチで並んで笑い合った。
それぞれの恋は実らなかったけれど、この失恋コンビの間に芽生えた新しい絆は、決して悪いものじゃない。
秋の深まる夜空の下、親友たちの恋を強制的に成就させるための、壮大で少し意地悪な計画が、俺たちの手によって静かに幕を開けた。




