第28話 健太のアピール
沖縄の強い日差しが少し和らぎ始めた、夕方の土産物ストリート。
俺、佐藤健太は、修学旅行の自由行動という絶好のチャンスを活かし、首尾よく伊藤さくらと二人きりで歩いていた。
「ほら、さくら。これ食うか?」
俺は通り沿いの店で買った、冷たい紅芋のアイスクリームを差し出した。
以前、頼斗のやつが「夕方の血糖値が下がる時間帯に甘いものを物理的に与えろ」と、完全に動物の餌付けのようなポンコツアドバイスをしてきたのを思い出したからだ。理屈はともかく、女子がスイーツを好きなのは間違いない。
「えっ、いいの? 健太、ありがとう! どれどれ? ……んっ! すっごく美味しい!」
アイスを受け取ったさくらは、八重歯を見せて無邪気な笑顔を浮かべながら食したた。
よし、いい雰囲気だ。俺のスマートな気遣いが確実にポイントを稼いでいる。このまま土産物屋を巡りながら、さりげなく男らしさをアピールして、一気に距離を縮めてやる。
そう意気込んでいた俺の目論見は、次の店に入った瞬間に見事に打ち砕かれることになった。
「あ!これ、すごく綺麗……!」
琉球ガラスのアクセサリーが並ぶ棚の前で、さくらは目を輝かせてピタリと足を止めた。そして、深い青色をしたガラスのペンダントを手に取り、頬を赤く染めながらうっとりと呟いた。
「これ……絶対、あの人に似合いそう!」
あの人?
俺は少し首を傾げたが、すぐに合点がいった。さくらは昔から面倒見が良く、家族思いなところがある。きっと、母親か姉にでも買っていくのだろう。
「お前、ほんと家族へのお土産選びに夢中だな。いいやつ見つかってよかったじゃん」
「えっ?あ、うん……まあ、そんな感じ!家族みたいな、大切な人への……ね!」
さくらはなぜか少し誤魔化すように慌てて頷き、ペンダントを大切そうに胸に抱えた。
「よっと。お前、もう結構荷物持ってるだろ。俺が持っててやるよ、貸しな」
俺は男らしさを見せようと、彼女が提げている土産物の紙袋に手を伸ばした。しかし、さくらは「ううん、大丈夫!」とパッと身を躱した。
「これは私が自分で大事に持っていたいの!健太は自分の買い物してきなよ!」
そう言って、さくらは俺の気遣いを完全にスルーし、また別の棚へと夢中で小走りに向かってしまった。
俺のアピールは完全に空回りし、さくらの視界において俺の存在は完全に背景化して、沖縄の自然の一部に溶け込んでいた。
……マジかよ。俺、ただの荷物持ち以下の扱いじゃねえか。
南国の生ぬるい風に吹かれながら、俺は一人、やり場のない虚無感と共に深いため息を吐き出した。
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修学旅行の宿泊先であるリゾートホテルの洋室。
同室の健太は、夕食を終えて部屋に戻るなり「俺はただのネイチャーだ……無害な自然環境だ……」と謎のうわごとを呟きながら、死んだような目でベッドに突っ伏している。彼の非論理的な感情の乱れは放っておくとして、僕は机に向かい、キャンパスノートを開いていた。
表紙には『エスパー育成防衛対策録』と記されている。
今日、水族館の巨大水槽の前で真乃極先輩に仕掛けられた、精神感応のテスト。その過酷な防衛戦の観測データを記録しなければならない。
僕はペンを握り、真白いページに向かった。
『対象はブルーライトの視覚的錯覚を利用し、閉鎖空間において僕に精神同調を強要してきた。しかし僕は物理学的見地からジンベエザメの生態を解説し、見事にこれを勢いだけで押し切った――』
そこまで書いて、ペンの動きがピタリと止まってしまった。
ダメだ。脳内コンピューターが、不都合な真実をフラッシュバックさせる。
青い光に照らされた、彼女の艶のある黒髪。
至近距離で僕を見つめ、「何を願ったか当ててみて」と囁いた、あの潤んだ瞳と甘い吐息。
そして、僕の的外れな回答を聞いて、呆れながらも嬉しそうに微笑んだ、とびきり綺麗な顔。
ドクン、と。
ノートに向かっているだけなのに、またしても左胸の奥で心拍数が異常な上昇を見せた。
「……ッ、いかん。僕の論理が、視覚的ノイズに激しく汚染されている……!」
僕はペンを置き、両手で頭を抱えた。
僕のようなインチキ神社の変人息子が、あんな美しい人から好意を向けられる確率は、宇宙の真理として0%である。だからこれは、水族館の照明と沖縄の気候が引き起こした、ただの自律神経のバグなのだ。
だが、その強固な前提と、実際に僕の肉体を支配しているこの名状しがたい感情の波が、凄まじいエネルギーで衝突し、僕の得意な論理に深刻なエラーを生じさせている。
ふと、冷たい疑問が脳裏をよぎった。
そもそも、真乃極先輩は僕のことを、自分の超能力を開花させるための、ただの『被検体』や『モルモット』としてしか見ていないはずだ。彼女の行動はすべて、エスパー特訓という非科学的な目的のための実験に過ぎない。
だというのに。
……どうして僕だけが、彼女の一挙手一投足にこんなにも動揺し、心拍数を上げ、色々と無駄なことを考えさせられているんだ?
彼女はただの実験感覚で僕に近づいているだけなのに。
僕だけが、彼女の笑顔や、シャンプーの香りや、触れた指先の熱を、いつまでも脳裏に焼き付けてしまっている。
「……非論理的だ。あまりにも、非効率すぎる」
僕はギリッと奥歯を噛み締めた。
彼女の非科学的な実験の標的にされているのは僕の方なのに、気づけば僕の精神状態の方が、彼女の存在によって完全に支配されつつある。
どうして僕だけが、こんなにもドツボにはまっているのだろうか。
答えの出ない問いが、ホテルの静かな部屋の中で、ぐるぐると渦を巻く。
確率0%という絶対的な計算式が崩れゆく足音を聴きながら、僕はただ、ノートを前にして、深く、重い吐息を漏らすことしかできなかった。




