第20話 黒兎とヨーヨー
EDMの重低音から少し離れた、屋台が並ぶ参道を二人で歩く。
真乃極先輩は僕の隣を、肩が触れそうなほどの距離でついてくる。彼女の歩幅は明らかに僕より短いはずだが、小股で急ぎ足になりながら、絶妙なパーソナルスペースの侵略を維持していた。
「おう、若旦那! 巡回中か、ご苦労さん!」
不意に、射的や型抜きなどを並べたおもちゃ屋台の店主から声をかけられた。
角刈りで傷跡のある強面のおじさんだが、うちの神社のインチキ臭い祭りにも毎年出店してくれている、義理堅い人物だ。
「こんばんは。売り上げの前年比はどうですか」
「がははっ、相変わらず理屈っぽいねぇ! いつも祭りに呼んでくれて、いい場所使わせてもらってるお礼だ。若旦那にプレゼントだ、持っていきな!」
おじさんはそう言って、景品の中から黒いウサギの形をした小さなキーホルダーを放り投げてきた。
僕は運動量保存の法則に従って、飛んできた物体の軌道を予測し、片手で難なくキャッチする。
「ありがとうございます。ですが、僕にはこのような装飾品の用途が……」
言いかけて、僕は隣を歩く真乃極先輩に視線を移した。
以前、現国の補習の際、彼女はウサギのマスコットを『魔術的触媒』と思い込んで所持していたはずだ。
「真乃極さん。あなたは以前、ウサギの形状をしたアイテムを好んで集めていましたよね。僕には用途不明の物体ですが、データ収集の対価としてこれを譲渡します」
僕が黒兎のキーホルダーを差し出すと、真乃極先輩は驚いたように目を丸くし、次の瞬間、頬をパァッと赤く染めた。
「えっ……私に、くれるの……?」
「ええ。質量も小さく、持ち運びに支障はないでしょう。不用なら物理的に廃棄していただいて構いませんが」
「ううん! 絶対に捨てない! 頼斗くん、ありがとう……! すっごく嬉しい!」
彼女はキーホルダーを両手で包み込むように大切に握りしめ、沸騰したように体温を急上昇させた。
魔術的触媒のバリエーションが増えたことで、能力が強化されたとでも勘違いしているのだろうか。相変わらず非科学的な思考回路だ。
「あ、そうだ! 頼斗くん、ちょっと待ってて!」
真乃極先輩はそう言うと、手提げポーチから何かを取り出した。そして、手に持っていたそれを僕の目の前に差し出した。
それは、さっき彼女が自分で釣ったらしい、青地に白い線が入った水風船のヨーヨーだった。
「私からは、これ! さっき取ったんだけど、私へたっぴだから頼斗くんにプレゼント!」
僕は差し出されたヨーヨーの紐の先端の輪っかを指に通し、軽く上下に弾ませてみた。
ポヨン、ポヨンと、水風船が心地よいリズムで掌に返ってくる。
「……素晴らしい」
「えっ?」
「ゴムの弾性力と、内包された水風船の質量。そして、落下と上昇を繰り返す慣性の法則。この小さな球体の中に、完璧に調和した物理学の結晶が詰まっているじゃないですか」
僕は手のひらでヨーヨーの反発力を確かめながら、純粋な感嘆の声を漏らした。
縁日の屋台に、これほどまでに論理的で美しい物理現象のモデルが存在していたとは。
「ありがたく受け取ります。これは非常に有意義な物理シミュレーションの材料になりますよ」
「そ、そっか……! ふふっ、頼斗くんがヨーヨーでそんなに喜んでくれるなんて……私、なんだかすっごく嬉しいな」
縁日の提灯の赤い光に照らされた彼女の顔に、ホッと安堵したような、それでいて少し照れくさそうな笑みが浮かぶ。
彼女のエスパー育成計画の中にいるというのに、ヨーヨーの完璧な物理法則に触れたせいで、僕の警戒心は著しく低下しつつあった。
夜の熱気とEDMの重低音に包まれたインチキ夏祭りは、僕の強固な論理的思考を、少しずつ、しかし確実に狂わせ始めていた。
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ヨーヨーの完璧な物理法則に感心していると、ドン、という低い音が腹に響いた。
見上げると、夜空に大きな花火が開いている。
「あ、花火! 頼斗くん、あっちの方が見えそうだよ!」
真乃極先輩に腕を引かれ、僕たちは神社の裏手、御神木のある薄暗い静かな場所へと移動した。表のEDMの騒音が遠のき、花火の音が鮮明に聞こえる。
暗がりの中、色とりどりの火花が彼女の横顔を照らしていた。
「綺麗だね……」
真乃極先輩は花火を見上げていたが、不意にこちらへ向き直り、僕のパーソナルスペースへと深く侵入してきた。
ほのかに香る甘い匂い。彼女の大きな瞳が、上目遣いで僕を捉える。
「ねぇ……」
吐息がかかるほどの距離で、彼女は言った。
「花火より熱いもの、今私がどこに感じてるか分かる?」




