第15話 トーテム信仰と沙紀の決意
補習が終わった後、僕は図書室へ向かい、悪友の佐藤健太と後輩の若葉を召集した。
部屋の隅の閲覧席で、臨時の『エスパー育成計画・進捗報告会議』が幕を開ける。
「というわけで、彼女は自らの学力を犠牲にしてまで僕を密室に閉じ込め、未来予知の強要と、魔術的触媒による精神攻撃を仕掛けてきた」
僕がノートの記録を開示し、補習での出来事を淡々と報告すると、若葉は丸眼鏡を押し上げて鼻息を荒くした。
「ムムッ……! パステルピンクとウサギの人形ですね! 亀岡先輩、それは間違いなく動物のトーテム信仰に基づく精霊魔術の応用です! 真乃極先輩は、ウサギの敏捷性と聴覚を自己の精神に憑依させることで、先輩の強固な論理の壁をすり抜けようとしているんです!」
「なるほど。彼女がそのように妄想している可能性は極めて高い。非科学的極まりないが、自己暗示のプラシーボ効果としては無視できない変数だ。今後も彼女の所持品には注意を払う必要があるな」
僕と若葉さが大真面目に考察を交わしている横で、健太は腹を抱えて机に突っ伏し、声を殺して肩を震わせていた。
「ひぃっ……ははっ、お前らマジで最高すぎる……! わざわざ赤点取って二人きりになったのに、未来予知の説教された挙句、好きな小物を『魔術的触媒』扱いされる真乃極先輩、不憫すぎて涙出てきたわ……!」
「何を笑っているんだ健太。これは僕の平穏な日常を脅かす、重大な防衛戦なんだぞ」
「いや、防衛完璧すぎるだろお前のそのポンコツ論理! あー腹痛てぇ。引き続き、その鉄壁の『防衛』とやらで先輩の心をへし折ってやってくれや。俺は親友のお前のためなら、なんだって協力するからよ」
涙目を拭いながらニヤニヤと笑う健太。こいつの態度は相変わらず不真面目だが、情報通である彼の客観的な視点は、今後のデータ収集において役に立つだろう。僕は眼鏡のブリッジを押し上げ、七月の過酷なエスパー防衛戦への決意を新たにした。
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翌日の朝。
七月の太陽は朝から容赦なくアスファルトを照りつけている。私、高橋沙紀は、日傘を傾けながら親友の真乃極凛と共に通学路を歩いていた。
「……で? わざわざ赤点を叩き出してまで決行した『補習デート大作戦』は、見事に玉砕したわけね」
「うぅ……そうなの沙紀ぃ、聞いてよぉ……」
凛は完全に萎れた花のように肩を落とし、私の腕にすがりついてきた。頭脳明晰な彼女が、わざわざ亀岡くんと一緒に補習を受けるためだけに、山田先生の胃を痛めつけながら意図的に赤点を取ったという事実には、親友ながら呆れ果てるしかない。
「私、ただ一緒に勉強する口実で、もっと彼に近づきたかっただけなのに……! 『私が今導き出した答え、なんだと思う?』って最高にドキドキするパスを出したのに!」
「あの亀岡くんにそんな乙女なパスが通るわけないでしょ。それで、彼はなんて?」
「『非科学的な未来予知によるカンニングは規定違反です』って、ものすごい真顔で説教されちゃったの……! 私が模範解答を透視しようとしてるエスパーだと思われてるの、もうヤダ……!」
「……あんたも大概おかしいけど、彼も相当な堅物ね。ベクトルが違うだけで」
私は日傘を持つ手でこめかみを押さえた。勉強中、凛が気を引くために好きな小物や色をアピールしたことも、彼はノートに何か真剣に書き留めていたらしい。凛は「私の好みをメモしてくれた!」と喜んでいたが、亀岡くんのこれまでの奇行を鑑みるに、絶対にロマンチックな理由ではないはずだ。
「まあ、進展がないよりはマシじゃない。少なくとも、彼はあんたのことをめちゃくちゃ『観察』してるわけだし」
「うん……そうだよね。頼斗くんが私を見てくれてるのは事実だもん! めげずに頑張る!」
凛は立ち直りが早い。恋というエラーに侵された親友のポジティブさに苦笑しながら、私たちは校門をくぐった。
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その日の昼休み。
私は購買で買ったパンをかじりながら、二年生のフロアの廊下を歩いていた。すると、二年A組の教室の前で、見慣れたメンバーが談笑しているのが見えた。
亀岡くんと凛、そして首にワイヤレスイヤホンをかけた佐藤健太くんだ。
「いやー、頼斗。昨日は放課後に空き教室で、真乃極さんと二人きりの熱い時間を過ごしたんだよな?」
健太くんがニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、亀岡くんの肩を小突き、凛との間をうまく取り持っているようだ。
「情報が歪曲して受信されているな。あれは山田先生の権力によって強制された不毛な補習であり、僕にとっては精神攻撃(エスパー特訓)に対する過酷な防衛戦だった」
「ふふっ、頼斗くんってば照れ隠ししちゃって。私、すごく楽しかったよ?」
亀岡くんの論理的な否定を、凛が完全に都合よく「照れ隠し」として変換し、熱っぽい視線を送る。見事なまでのすれ違いコントだ。
私が呆れて声をかけようとしたその時、廊下の向こうから栗色のポニーテールを揺らした女の子が小走りでやってきた。亀岡くんの幼馴染、伊藤さくらちゃんだ。
「あ、頼斗! おばさんが今日のお弁当に卵焼き入れ忘れたって言ってたよ! ほら、これ!」
さくらちゃんはタッパーに入った卵焼きを亀岡くんに押し付けると、「じゃあね!」と風のように去っていった。相変わらず距離感の近い幼馴染だ。亀岡くんは「質量保存の法則が……」とブツブツ文句を言いながらタッパーを受け取っている。
ふと、健太くんの方を見ると、彼の視線は亀岡くんではなく、廊下の角を曲がって見えなくなったさくらちゃんの背中を、ずっと追いかけていた。
「さくらのやつ、相変わらず世話焼きっていうか、元気だな……。今日の髪型、なんかいつもと違って、ちょっと大人っぽくて……」
無意識に漏れたであろうその言葉には、普段の飄々《ひょうひょう》とした彼からは想像もつかないような、柔らかくて優しい響きが混じっていた。
「…………っ」
その瞬間、私の胸の奥が、鋭い針で刺されたようにチクリと痛んだ。
呼吸が浅くなる。彼がさくらちゃんを見つめるその視線の熱度が、私には痛いほどよく分かってしまった。彼は、さくらちゃんのことが好きなんだ。そして、その事実にこんなにも胸が苦しくなる私は、健太くんのことが……。
……ダメだわ。こんなの、私らしくない。
日傘の柄を握る手に力が入る。
七月の熱気は、もうすぐそこまで迫っている。もうすぐ夏休みだ。一ヶ月以上も学校で顔を合わせなくなる長期休暇。
このまま、こんなモヤモヤした、重くて切ない感情を抱えたまま夏休みに入るなんて、絶対に嫌だ。
凛の暴走をストッパーとして見守るのもいいけれど、私自身の気持ちに蓋をして逃げ続けるのは、もっと嫌だった。
……決めた。
私は小さく息を吐き出し、覚悟を決めた。
夏休みに入る前に、彼を呼び出そう。そして、この一方通行の感情に、私なりの決着をつけるのだ。
親友のポンコツな恋が少しずつ(変な方向に)進展している裏側で、私の静かな日常もまた、引き返せない場所へと動き出そうとしていた。




