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先輩が僕をエスパーに育て上げようとしている事象 「ねぇ。私は今、何を考えているでしょう?」  作者: 団田図


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第12話 長期計画と借り物競走

頼斗らいとくん、大丈夫?」


 不意に、上から影が落ちた。聞き慣れた、少し甘さを帯びた声。

 視界の端で、体操服姿の真乃極まのぎわ先輩がしゃがみ込むのが見えた。彼女は砂まみれになった僕の眼鏡を拾い上げると、自分の体操服の裾で丁寧に砂を払い落としてくれた。


「はい。割れてなくてよかったね」


 差し出された眼鏡を受け取り、ツルを耳にかける。

 ピントが合い、クリアになった視界の先には、僕の顔を至近距離で覗き込む真乃極先輩の姿があった。


 先ほどのジャンプの失敗で、僕の計算に基づくプライドは少なからず傷ついていた。彼女はそんな僕の様子を見て、少し困ったように、けれどひどく優しい顔で微笑んだ。


「残念だったね。来年まで練習して、またがんばろ」


 その言葉が聴覚器官から脳に到達した瞬間、僕の思考は完全にフリーズした。


 ……来年まで?

 今、この人は明確に「来年まで」と言ったのか?


 僕はてっきり、このエスパー育成計画が数週間から数ヶ月程度の短期集中プログラムだと思っていた。だが、彼女の口から飛び出したのは「来年」という長期スパンの単語。


 ば、馬鹿な……!この非科学的な精神攻撃と超能力実験の防衛戦を、あと一年以上も続けなければならないというのか!?


 絶望的な観測データに、僕は戦慄した。これはもはや単なる特訓ではない。僕の論理的思考を根底から破壊するための、途方もない長期プロジェクトだ。


 しかし――。


「……」


 眼鏡越しに見つめ合う距離。彼女の瞳には、僕の物理的な敗北を嘲笑うような色は一切なかった。ただ純粋に、負けた僕の悔しさに同調し、寄り添ってくれている。


 不意に、呼吸のタイミングを見失った。気管支が一時的に収縮している。いや、これは視界が突如クリアになったことで視覚野が過剰刺激を受け、脳が情報処理に手間取っているだけだ。


 僕は慌てて視線を逸らし、立ち上がって体操服の砂を払った。


 間違いない。これは六月の強い紫外線と、熱容量の大きい砂からの輻射熱による急激な体温上昇だ。加えて、視界が突如クリアになったことで視覚野が過剰刺激を受け、一時的な自律神経のバグを引き起こしたに過ぎない。


 完璧な論理で自己の生理現象を説明できたことに安堵しつつも、僕は『エスパー育成防衛対策録』の新たなページに、彼女の存在が少しずつ無視できない「イレギュラーな変数」になりつつある事実を、無意識のうちに刻み込んでいた。



 +++


 六月の空は高く、グラウンドには土埃と歓声が入り混じっていた。

 俺、佐藤健太は、本部テントの近くで冷えたスポーツドリンクのペットボトルを握りしめながら、トラックのスタートラインを見つめていた。

 これから始まるのは、二年生女子の「借り物競走」だ。


「位置について、よーい……ドン!」


 ピストルの音と共に、女子たちが一斉に駆け出す。俺の視線の先には、栗色のポニーテールを揺らして走る伊藤さくらの姿があった。

 さくらは運動神経がいい。あっという間にトラックの中央に置かれたお題カードの入ったカゴに辿り着き、一枚の紙を勢いよく開いた。


 放送委員のマイクがグラウンドに響く。

『おっと、伊藤選手が引いたお題は……「気になる人」だーっ!』


 そのアナウンスを聞いた瞬間、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。

 気になる人。つまり、恋愛的な意味での好きな人、あるいは意識している相手。


 さくらのやつ、誰のところに行くんだ……?


 ペットボトルを握る手に思わず力が入る。さくらはカードを握りしめたまま、グラウンドをキョロキョロと見回した。

 そして、三年生の応援テントの方をチラッと見て、一瞬だけ躊躇するように足を止めた。


 ……ん?三年生?


 だが、さくらはすぐにパタパタと首を横に振り、踵を返すと、なぜか砂場の方で真乃極先輩と話していた幼馴染――亀岡頼斗の元へ猛ダッシュした。


「ちょっと頼斗、来て!」

「おい、質量五十キログラムの急な牽引は肩関節に無用な応力を――」

「いいから走って!」


 さくらは理屈をこねる頼斗の腕を強引に引っ張り、そのまま全速力でゴールテープを切った。

 その瞬間、俺たちのクラスの応援席から、ドッと爆笑が沸き起こった。


「おいおい、伊藤が亀岡引いてったぞ!」

「あいつ、絶対『幼馴染のインチキ神社の変人跡取り、将来どうなるか心配で気になる』って意味だろ!」

「完全に保護者目線じゃねーか!」


 クラスメイトたちの容赦ないヤジと笑い声。田舎の狭いコミュニティだからこそ、頼斗の家の怪しい神社事情も、さくらが頼斗の世話焼き幼馴染であることも全員が知っている。だからこそ、あの「気になる人」というお題で頼斗を選んでも、誰も恋愛的な意味だとは受け取らず、見事なコメディとして成立してしまったのだ。


「……なんだよ、それ」


 俺はホッと息を吐き出し、思わず苦笑した。

 さくらに特定の好きなヤツがいなくて安心した反面、あんな風に遠慮なく腕を引っ張れる幼馴染の距離感が、少しだけ羨ましかった。


 ゴール後、文句を言う頼斗を放置して戻ってきたさくらに、俺は歩み寄った。


「お疲れ、さくら。ほら、スポーツドリンク」

「あ、健太!ありがとー、ちょうど喉カラカラだったんだ!」


 さくらは満面の笑みでペットボトルを受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らした。


「お前、頼斗引っ張ってくるとか反則だろ。クラス中爆笑してたぜ」

「えへへ。だって、一番手っ取り早かったんだもん。頼斗なら後でジュース一本おごれば文句言わないし」


 そう言って笑う彼女の視線が、ふたたび無意識のうちに、三年生のテントの方へと向けられたことに、俺は気づかないふりをした。


 俺の一歩踏み出せない切ない片想いと、親友の果てしなくアホらしいエスパー特訓(勘違い)防衛戦。

 夏の入り口の体育祭は、それぞれの思いを乗せたまま、賑やかに過ぎていった。

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