金筬姫
就任式から約一ヶ月後。すっかり春である。俺は翠達と一緒に草原で花見をしながら演奏していた。俺は鼓を叩き、翠は笛を吹き、季打理は琵琶を弾き、半蔵は歌を歌い、美麻が舞う。遊びを兼ねての鍛錬だ。俺達にとって音楽は大事だ。
俺は酒を飲みたくなったが我慢した。また油断して女神に拐われたくなかったし、翠が嫌な顔をする。俺達は休憩に茶を飲み団子を食べる。談笑もする。これでも十分楽しい。
「へえ。翠中隊長と冬空連隊長は縄部隊長のお知り合いなのですね」
就任式の話題になった時、俺と翠が昔話をすると、半蔵が言った。翠は、
「ええ。とても信頼できる方だよ」
季打理は嬉しそうに、
「これで祝呪隊は安泰ですね」
翠を敬っているから無邪気に縄をも尊敬する。俺は金筬姫についてまだ不安が残ってはいたけれど、就任式は無事に終了したので、
「そうだな」
と、相槌を打った。
突然、北の方から非常に大きな霊圧を感じた。皆、飲食を止めて振り向く。美麻は頑張って口の中の団子を咀嚼してゆっくり飲み込む。俺を拐った山の女神と同じぐらいの霊圧だ。こちらから千歩ほど離れた所で美人がこちらを向いている。
美麻と翠が跪いた。季打理と半蔵もそれに従う。俺も同じ事をした。だが、美人は動く気配がない。俺は頭を上げる。美人はそれでも動かないので、俺は立ち上がり、美人の所へ歩いた。皆が平伏しながら俺を目で追うのを感じた。
俺は美人の十歩手前で片膝をついて頭を下げた。気配から察するに、美人は女神だろう。肌がピリピリする。
「邪魔して済まない。皆、頭を上げなさい」
鈴の鳴るような澄んだ声だ。俺は顔を上げた。実に美人だ。だが俺は翠と結婚しているので心を奪われるというわけではなかった。美人の結った髪に大きな櫛が差してある。俺は、
「もしや、貴方様は金筬姫様とお見受けいたします」
「その通り」
金筬姫は無表情で俺を見つめる。霊視で俺の記憶を探っているようだ。金筬姫は、
「お前は縄の知り合いね。縄に会わせて欲しい」
「分かりました。ですが何故でしょう」
俺が尋ねると金筬姫は目をそらし、
「縄と夫婦になりたい」
俺は息を飲んだ。金筬姫は俯き、
「押しかけ女房はよろしくないみたいね」
「滅相もありません。すぐに連れて参ります」
俺は立ち上がると、駆け出した。残された翠達がそれを目で追うのが感じられた。
強く念じながら走るとより速く目的地に着く。縄は今頃、祝詞隊の基地で部隊長同士の会議に参加しているはずだ。元帥含めて十五人が集まって祝呪隊の戦略を練っている。大事な会議だが、俺が金筬姫の話をすると衛兵が渋々基地内に通した。門から千歩離れた建物から元帥達の霊圧を感じる。俺は歩く。
入口には各部隊の師団長が一人ずつ待機していた。俺の直属の上司である戦闘隊の彦左衛門師団長が睨みながら立ち上がり、
「どうした」
俺は敬礼すると、
「金筬姫様が是非とも縄にお会いしたいと百合ヶ原で待っておられます」
彦左衛門と他の師団長達は俺を見つめて霊視する。冗談ではない事が分かると、師団長達は困った顔を見合せる。彦左衛門は、
「俺も行くから丁重にお断りしろ」
俺は、
「金筬姫様は縄と結婚なさるおつもりです」
師団長達はまた俺を見つめる。これも冗談ではない。皆、苦い顔をする。俺は、
「女神様が御自ら結婚を願って来られました。余程の御覚悟です。会わせないわけにはいきますまい」
師団長達は気まずそうに目配せをする。俺は黙って待った。
彦左衛門師団長は溜息を吐き、ゆっくりと入口の扉に振り向いた。二歩近寄ると四回扉をおもむろに叩いた。師団長達は固唾を飲む。
扉が開いた。戦闘隊隊長の高麻呂と、土木隊隊長の唐夫が無表情で出て来た。ちなみに唐夫は俺の母方の叔父だ。高麻呂が俺に気付くと、
「何だ?」
と、尋ねた。俺は片膝をついて頭を下げ、
「金筬姫様が縄と結婚を望んでおられます。今、百合ヶ原で待っておられます」
唐夫がやや驚いた声で、
「突然な事だな」
高麻呂は軽い溜息を吐くと、
「俺が姫様の所に参ってお断りする」
俺は思わず顔を上げる。高麻呂は部屋の奥に向いて片膝をつき、
「元帥。中座の無礼をお許し下さい」
「仕方がない。行け」
太くて威厳のある声が響いた。高麻呂は早足で去って行った。彦左衛門も続く。
俺はまた頭を下げると、部屋の中にいる縄に向かって大声で、
「刑務隊長も行って下さいませ!」
「駄目だ」
先程の威厳ある声。恐らく元帥だ。鳥肌が立つ。しかし俺は頭を上げて立ち上がり、
「けれども金筬姫様は⋯⋯」
「出て行ってくれ」
縄の冷めた声。その直後に扉が閉まった。




