閑話 契約と対価
今回はイリス視点です。
私はヘンディル王国を去った。
本来は去る必要もなかった。
善良な人々のいる国に残る選択肢もあったが、それは私と、私自身が今置かれている状況が許さなかった。
『なぜ、進行が遅れている』
「申し訳ありません」
支部に帰還するなり、私は部下に“広間”へと連れられていた。
広間には、魔王が作り出した特殊な魔道具が設置されており、それに光として立体的に映し出された影―――魔王は、苛立ったような声を漏らした。
『お前は私の許可なく、自らの責務を怠った……というわけか?』
「……その通りです」
『ふざけているのか? 貴様の怠慢のおかげでどれだけの損失が出たのか分かっているのか?』
地に膝をついたまま怒りを受ける。
暫しの間、注意というの名の八つ当たりをした魔王の暴言を甘んじて受けた私は、話の折を見て前々から願い出ようとしていたことを訊いてみることにした。
「失礼ながら、執務をこなせる人員をこちらに回していただけませんか?」
『お前がいるだろう』
「ですが、私一人では限界があります」
『口答えをするな』
「……」
『貴様だけが動いているわけではない。他の……幹部の一人は、今まさにセントレアルを侵略する計画のために危険を冒している最中だ。それを貴様は……限界があるだと?』
明らかな苛立ちを見せる魔王に、口を噤む。
黒い影の姿でしかないが、本人を見なくても分かるくらいには苛立っているようだ。
『いちいち私に指示を仰ぐな。必要ならば貴様が見つけろ、見つからないならば命を削り、奉仕せよ』
「……。了解しました」
『ならば、話は終わりだ。次の“セントレアルの計画”で、これまでの損失を取り戻さなければ、貴様に罰が下ることになる』
それだけ言い放ち、魔王は魔具を切りその姿を消し去る。
暫しの沈黙の後に、ゆっくりと立ちあがった私は、大きなため息を吐きながらしばらく留守にしていた執務室に戻る。
先程の魔王とのやり取りを聞いていたのか扉の近くにいた部下達に気の毒そうな目で見られながら、執務室に入ると―――散乱した書類の中に埋もれている何者かがいることに気付く。
ニーアだ。
私が休暇をとっている間もなんだかんだで代わりを務めていてくれたんだな。
「おい起きろ」
「う、うぅ、しょ、書類はいやぁ……」
どうしよう。
こいつは本当にどうしようもない脳筋ではあるが、さすがに申し訳なく思ってしまう。
ニーアの印象を少しだけ良くさせながら、揺するとようやく目を覚めたのか、目をこすりながら起き上がる。
「悪かったな。私の仕事を押し付けてしまって……」
「……うぅん」
「……ニーア?」
待て、様子がおかしいぞ。
目の下にクマがあるのはしょうがないことだが、目が虚ろだ。
隣にいる私に気付いたニーアは、ぱぁぁ、と表情を明るくさせながら突然飛び掛かってきた。
「イリス! かえってきたぁ! おみやげある!?」
「正気に戻れ!」
「ぶっ!?」
正直、見ていられないので子供のような笑顔を浮かべるニーアにビンタを叩き込む。
空中でビンタを食らい地面にびたーんと落下し、頬を押さえたまま呆然とした彼女は、我に返ったように私を見上げる。
「はっ、私は何を……?」
「元に戻ったか。やはりこれに限る」
おかしくなった時は叩けば治るからな。
ぱちぱち、と瞬きをした彼女は呆然とした様子で私に話しかけてくる。
「……黒いライオンさんは? あんまりしつこいと嫌われる? リーファと仲良くしろって? 年頃なんだから慎ましく……しろ? え、なんで?」
どうやらまだ錯乱しているようだ。
「もう一発やるか……」
「あ、え、なんだかよく分からないけどやめて!? 私、正気! 普通にしょーきだから!?」
手をぶんぶんと振りながら、あとずさるニーアに構えた手を下ろす。
そこで私がこの場にいる事実に気付いたのか、ニーアは
「もう、終わりのない書類仕事をしなくてもいいの……?」
「ああ。もう休んでいいぞ」
「……ううん、手伝うよ」
……なんだと?
今、こいつは手伝うと言ったのか?
驚きのあまり私は彼女の額に手を当てる。
「お前、ニーアか? 本物か? なにか重病を患っているのか?」
「失礼すぎるよね!? え、えーと、イリスの仕事をやって大変さとか色々分かったから……」
「ほう」
「あの人でなしのクソムシ共と同じレベルに落ちたくないから!」
「あ、やっぱり本人だな」
こんなことを言うのはニーアしかいないな。
作業を手伝ってくれるのはありがたい申し出ではあるが、今の彼女の状態と―――私がこれからすることを考えると……断るべきだな。
「……いや、今はいい。お前には任せたいこともあるし、今はゆっくり休んでおけ」
「うーん、分かった」
眠そうな顔で頷いた彼女は、執務室のはじっこに無造作に放られている毛布を手に取る。
どうやらここで寝るつもりのようだ。
まあ、こいつの寝場所はここではないので、咎めはしないが……そういえば、聞きたいことがあったので、尋ねてみるか。
「お前、魔王についてどう思ってる?」
「え? 息の根を止めたいけど? むしろ反逆しちゃう?」
満面の笑顔。
しかし、目は全く笑ってなかった。
元から僅かにしかなかった忠誠心は欠片も残っていないようだな、うん。
「よし、ゆっくり休むんだぞ」
「? ……じゃ、おやすみー」
毛布にくるまると数秒で静かな寝息を立てはじめるニーア。
その様子を見届けた私は、ふと自分が持ってきた荷物に目を向ける。
「……置いてくるか」
一先ず、執務室から出て形だけある自室へと移動する。
明かりをつけ、ほとんど何も置かれていない部屋に足を踏み入れた私は、肩にかけたカバンから荷物の大半をしめていた包みを取り出す。
「持ってこれるものは、これくらいだったな……」
それは、鉢植えと種。
冒険者として初めて働いたときに、依頼人から受け取ったもの。
さすがに花そのものは持ってくることができなかったが、種は多くいただいていた。
窓際においた鉢植えに種を植え、水をかける。
そのまま種を植えたばかりの鉢を見つめ、少しばかり感慨に耽る。
「随分と狭い場所ですね」
「———ッ!?」
背後からの声に思わず振り向くと―――先ほど扉を閉めたはずの私の部屋の椅子には音もなく一人の少女が座っていた。
その姿を見て私はすぐに床に膝をつく。
魔王の時とは、明らかに違う―――心から屈服したと思わせる威圧感に冷や汗をかく。
「わざわざ膝をつかなくていいのに。さあ、疲れているでしょう? ここに座りなさい」
「……ありがとうございます」
差し出された椅子に腰かけると、椅子の後ろに回るように移動した少女―――メリアは背もたれに手をかける形でよりかかる。
ま、まさか既にこの場に来ているとは……。
焦燥した私は最初の彼女の言葉を思い出し、震えた声を絞り出す。
「申し訳ありません。メデュラリアム様。すぐさま貴方様のお部屋も用意します……」
「ふふふ、気の利く駒は好きですよ? あ、名前は長いのでメリアでいいです」
「……よろしいのですか?」
「私の名は、あの方が呼ぶことに本当の意味があるので、それ以外はどうでもいいです」
平坦な声にゾッとする。
私如きに名前を呼ばれようとも、彼女は毛ほども気にしていない。
「でも、酷い主もいたものですね。ふふ、でも面白い。まさか魔王があんな滑稽な存在だったなんて」
「見て、いらしたのですか?」
「ええ、貴女の服に仕込んだ蛇から」
私の服の裾から白色の小さな蛇が出てきて、メリアの手に戻る。
いつの間に?
交渉を願いだした日から?
だとしたら、生きた心地がしなかった。
その小さな蛇の存在は、私の命はずっと彼女に握られていたことを意味していたのだから。
「ちゃんと約束を守ってくれるようで、私嬉しいです」
「……はい」
「約束ってちゃんと守ってくれると嬉しくなりますね。世間知らずな私は最近それを知りました。ふふふ」
嬉し気に笑うメリア。
しかし、不意にその笑みを止めた彼女は背後から私の耳元へと顔を寄せる。
「だから貴女も、これから約束のために動いてくれますよね?」
動けない。
緊張のあまり返答すらできない私にくすくすと微笑んだ彼女は、座っている私の前に回り込み、見下ろしてくる。
顔はあどけない笑みを浮かべている少女なのに、その瞳はまるで地面を這う虫を見るように―――無機質なものだった。
「カイト様のために、自身の命のために、貴女が交渉として差し出したのは―――魔王軍そのものなのですから」
魔王の元で動いていた私は、今や神獣という常軌を逸した存在の手駒となった。
だが、それも私自身が望んで行ったこと。
勿論、彼女の元に仕える恐怖はあるが―――あの魔王に仕えるよりは、遥かにマシだと思えた。
魔王軍待望の 大 型 新 人。
現在の魔王の情報。
・部下の名前を覚えない。
・基本的に部下任せ。
・思い通りにいかないのが嫌い。
・強力な魔具を作成。




